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「ねぇ、そろそろ結婚しない?」 そう言われた時、一瞬、脳裏を過ぎったのは目の前にいる女性ではなく、全く別の人だった。 Deep 時刻はもう夕暮れに近かった。赤くなりはじめた太陽が目の前に座る彼女の髪をよりいっそう鮮やかにしている。彼女は元々綺麗な紅の髪をしている。今はそれが陽光に照らされさらに輝いて見えた。こちらを見据える青い瞳も同様に傾きかけた太陽の色を反射し、紅くきらめいていた。 彼女の名は紅月カレンといった。ブリタニア人と日本人のハーフである彼女は、一見完璧なブリタニア人に見えるが、西洋人特有のきつさが薄れ、非常にバランスの整った美人だった。性格もハキハキとした勝気なものだったが、同時にひどくもろい一面を持っているのを知っている。基本的に彼女は真っ直ぐで優しい人だ。 そんな彼女の口から発せられた台詞に、スザクは咄嗟に返事をすることができなかった。戸惑いをみせるスザクの様子にカレンは少しだけ苦笑いをしながら続けて言った。 「驚いた?」 「うん。いきなりだったからね」 スザクは素直に頷いた。カレンは首を竦める。 「何も今すぐってわけじゃないけど……、考えてみてもいい時期なのかなってね」 「時期?」 「そう、時期」 カレンは頬杖をしながらそう言い、カフェの大きな窓ガラスの向こうをぼんやりと眺めた。つられてスザクも目線を外に向ける。 「あんたと私が付き合い始めてからもう何年かしら?」 「同窓会で再会してからだから、……5、6年は経ってるかな」 「そっか、そんなもんだっけ。色々と因縁があるからもっと長いかもって思ってた」 カレンは顔を動かさずに、視線だけをスザクに向けた。 「あんたと私が付き合うキッカケ、覚えてる?」 忘れるわけがない。 スザクは無言で即答した。 カレンも沈黙の返答を理解したのだろう、少しだけ苦笑いを零し、それはやがて溜め息に移り変わっていった。 「確か高校二年の夏だったわよね……。あれからもう10年なのね」 噎せ返るほどの緑。 照りつける太陽。 鬱蒼とした森の中に佇む白い洋館。 そして、優しく微笑むバイオレットの瞳。 あの日に感じた湿気さえも鮮やかに脳裏に甦る。 スザクはどこか遠い眼差しをしているカレンの瞳を見つめた。彼女もきっと自分と同じようにあの日のことを思い出しているのだろう。現実世界ではたった三日間の出来事だ。それでもあの二週間はかけがえのない出来事なのだ。少なくとも自分たち二人にとっては。 「懐かしいね」 スザクはそう言った。が、間髪入れずに否定された。 「嘘。そんなふうに思ってやしないくせに。懐かしいっていうのはね、もうその記憶が思い出になっているから言える言葉なのよ。思い出になってたら、私たち付き合ってもいないわ。生々しい記憶だから……私たち一緒にいるのよ」 ああ、そうか。そうなのかもしれない。 吐き捨てるように言うカレンにスザクは内心でそう呟いた。 未だに傷口から血が滲み出ているほどの生々しい記憶、それを慰め合うために二人は一緒にいるのだ。そしてその傷が一生癒えないことをお互いに知っている。だからカレンは言ったのだ。 「いいよ」 「へ?」 怪訝そうにこちらを見つめる瞳にスザクは笑った。 「結婚しよ」 「スザク……」 「結婚しよう、カレン」 「あんたならそう言ってくれると思ったわ」 カレンがどこかホッとしたような表情で微笑み返した。 これは誓いだ。お互いに一生傷口が癒えることはないという、誓約の証なのだ。 スザクの了承を得るとすぐにカレンは「お母さんとお兄ちゃんが家で待っているから、そろそろ帰らなきゃ」と言い、店を出た。さらに別れ際に「結婚の報告もしたいし」と付け加えた。それに対しスザクはただ「うん」と頷いた。 小さくなるカレンを見送りながら、スザクはぼんやりと今日の出来事、そしてこれまでの出来事をとりとめもなく思い返していた。 カレンとの結婚に対し、何も思うところはない。否定する気持ちもわいてこないどころが、いずれ結婚するとしたらカレン以外には考えられないと心のどこかで思っていたからだ。それでも傷口の奥にある傷ついた臓器が全く痛まないわけではないのだ。もう一度逢えたのなら、とありえない「もしも」を想像してしま う自分がいる。 スザクは溜め息に似た笑みをこぼした。そして踵を返し、雑踏の中を歩き始める。地面に落ちる影は濃さを増し、沈む太陽の最後の力強さを表しているように感じた。 カレンと付き合うようになったのは大学三年の時だ。 高校の同窓会が行われ、その時に久しぶりに再会した。そしてその日の夜にスザクはカレンと寝た。お互いにどうしても忘れられない人がいると知ったからだ。スザクもカレンも高2の夏に出会った「あの人」に未だ恋焦がれていた。空しい慰め合いだとわかっていた。でもせずにはいられなかった。それほど心が苦しかった。 あの夏の日。 怪我をしたスザクを助けてくれた。 白い洋館に住んでいた、紫色の瞳を持った「あの人」。 「彼」を取り囲む空気はまるで時間から切り離されたように静かだった。 同じ歳のように見えるのに、全てを達観したような眼差しでこちらを見据えていた。 でもその瞳が時々切なそうに歪むのをスザクは何度も見た。 彼は夢だったんだろうか、それとも現実だったんだろうか。それは今になっても答えはでない。 彼と会ったのはたった二週間だ。それなのにスザクもカレンも呪縛から逃れられなかった。だから、今は二人は一緒にいる。彼のことを話題にできるのはお互いにしかいなかったからだ。 不毛かもしれない。でもそれでよかった。 彼の記憶を持つ人間が自分以外にもいる。それはとても心強いことだった。 スザクは薄暗くなってきた街中を歩いた。影は街灯によって薄くなったり濃くなったりを繰り返している。すれ違う人の群れは意識しなければ判別しにくいほど夕闇が満ちている。無駄だとわかっていてもスザクはせずにはいられなかった。半ばもう習慣化されているといってもよかった。こういった人ごみの中、彼を無意識に探してしまうのは。 彼はこんな場所にはいない。そんなことは知っている。 彼はきっとあの鬱蒼とした森の中にいるんだろう。 目を瞑れば一瞬で甦る。 噎せ返る緑の匂い。 彼はあの白い洋館にいるのだ。 優しいバイオレットの瞳を湛えながら。 [2011/05/24] top/next
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