CROSS ROAD


 温度のない視線にルルーシュは固まってしまい、どうしても動くことができなかった。
 スザクは笑顔だ。別に怒っている訳でも睨んでいる訳でもない。口元は綺麗な曲線を描き、静かな微笑みを湛えている。それなのに、彼の緑色の瞳が放つ視線だけが凍りのように温度がなかった。
「スザク」
 搾り出すように声を出した。
 何も悪いことはやっていない。だから恐がるな。平然とした態度を取れ。取るんだ。
 そう自分に言い聞かせながら、ルルーシュはぎこちない身体を強引に動かし、スザクの正面に立つ。そして彼の目線に真っ向から挑んだ。
「お前こそいつ帰ってきたんだ? 早かったんだな」
「三日前」
 間髪いれずに返された。
「そんなことより僕の質問に答えてよ。さっきも言ったけど、ねぇ、どこ、行ってたの?」
 スザクの鋭い視線の密度が増す。
 ルルーシュは口を噤んだ。
 ブリタニアから遠く離れた、あの南国の島のことを言いたくなかったからだ。海風が心地よくふく古びた洋館は、ルルーシュに静かな孤独を与えると同時に、誰の目も気にしない平穏な安らぎも与えてくれている。その場所をこのスザクに話すことは抵抗があった、今はまだ……。
 ルルーシュの沈黙をどう受け取ったのか、スザクは顔に浮かべていた笑みの種類を変え、皮肉ったように唇を歪めた。
「言いたくない? それとも言えない?」
「…………」
「答えたくない……? それでもいいけどね」
 スザクはふと視線をルルーシュから外した。それから全てに興味を失ったように背を向け、暗い廊下の中を戸惑いも見せずにリビングへと向かう。
 ルルーシュはハッと息を飲み、慌ててスザクを追った。このままではよくない。が、何を言えばいいのか分からなかった。真実は言えない。あの南島の洋館のことは話せない。ならば、何を伝えればいいのか、いくら頭の中で計算しても答えは出てこなかった。
「スザク」
 ルルーシュはリビングに足を踏み入れた。
 こちらに背を向け、大きな窓に顔を向けている姿に呼びかける。地上から溢れてくる光の洪水と薄く瞬く星がガラス窓を通して視界に映る。
 まだどうすればいいのか分からない。けれどこのタイミングを逃してはいけないのは分かっている。
「スザク」
 もう一度声を掛けた。そして彼の腕を掴みこちらに顔を向けさせようとした時、逆に自分の二の腕をしっかりと捕まれた。強い力に思わず顔を顰める。
「スザ」
「紳士面なんてしなきゃよかった」
 抗議の声に被せるようにスザクの声がした。
「君にはきっと理解できないだろうね。僕がこの三日間どんな気持ちだったのか」
「……」
「君との貴重な時間だ。一分、一秒が惜しい。さっさと仕事を終わらせて、はやる気持ちを抑えながら帰ったよ。でもね、扉を開けた向こうには誰もいなかった。最初はどこかに出かけたのかなって自分を誤魔化してた。けど、沈滞している空気や綺麗に片付いている部屋の様子が、誤魔化そうとする自分に真実を突きつけるんだ。事実、君は帰ってこなかった」
 スザクの顔が近づく。鼻先が触れ合うまでになり、闇が宿る緑色の瞳がぼやけた。
「君が戻ってこないってわかった時の僕の気持ち、理解できる? できないよね? できるわけがない。僕だってどう言えばいいのかわからないのに」
「スザク……」
 口を挟む間もなく、スザクから溢れ出る言葉対しルルーシュができたのは、小さく名前を呼ぶことだけだった。
「それなのに、君が理解できるわけがない」
 スザクの唇がゆっくりと左右に引き伸ばされる。頬があがり、目が細められる。
 ああ、こんなに完全な笑みだというのに、何でこんなに歪んでいるんだろう。
 そんな歪んだスザクの笑みを見て、ルルーシュは唐突に理解した。
 スザクにそんな表情をさせているのは間違いなくルルーシュで、そしてもう一人、ここにはいない過去のスザクだ。あの記憶が彼自身の人生を奪い、歪ませている。
「でもその時、咄嗟に思ったことだけ覚えてるよ」
 スザクは笑った。歪んだ笑みをさらに深くして。
 その声がルルーシュの耳に届いた瞬間、白い天井と照明が目に入った。その理由が分かる前に背中に衝撃が走る。痛みに顔を顰めながらあたりに目をやれば、やっと自分が押し倒されたのだと知る。
 目の前にルルーシュを見下ろすスザクの顔がある。
「紳士面なんてしないで、さっさと抱いとけばよかった、って、そう思った」
「スザク」
「滅茶苦茶に抱いて、忘れられなくなるぐらいに」
 冷たい声色にぞっとしたものが背筋に走り、何かを言おうと口を開けた。が、その途端大きな手がルルーシュの口を塞いだ。
「……ん、っん」
「黙れよ。拒否の言葉なんか聞きたくもない」
 身体全体でルルーシュを押さえこみ、片手で口を塞ぎ、そんな状態の中、スザクは器用にルルーシュのシャツを開けた。白い首筋に噛み付き、その手はゆっくりとルルーシュの滑らかな肌を弄り、肩口、胸、そして腹部に移動しかけた時、唐突に止まった。
 手だけでなく、スザクの全てが、止まった。
「……ルルーシュ」
 戸惑いが交じった声が聞こえる。
 急に何だ、どうしたんだ、と思ったが、次の瞬間、その訳を理解した。
 スザクの大きな手が白い胸に残る傷痕にそっと触れたのだ。彼もこの傷痕が何であるか察したのだろう。
 当たり前すぎて忘れていた。その傷痕があるのはルルーシュにとって当然だったし、見慣れていて何も感じなくなっていた。だが、客観的に見れば大きな傷痕だ。それはそのはずで、この傷が原因でルルーシュは死に至った訳だし、何しろ胴体を貫いたほどなのだ。そんな傷痕を目にしたら躊躇するのも無理はない。
 スザクはそっと身を起こした。口元を覆っていた手が外され、身体を押さえつけていた重みがなくなる。それでも離れることはせず、彼はルルーシュのすぐ隣に座っている。
「ごめん」
 何に対する謝罪だと思ったがルルーシュはそれを追求することはなく、スザクと同様に身を起こした。それから俯く彼に目をやる。
「何だ、しないのか? 俺は……お前にだったら何されてもいいんだぞ」
「ルルーシュ……」
「それとも萎えたのか……? お前が知っている俺の身体にはこんなのなかったからな。大きな傷痕だし、無理もない。でもこれは」
「違う。それは違うよ、ルルーシュ。それは違うんだ」
「スザク……」
「ただ」
「ただ?」
「僕が君を殺したんだなって……あの時の事が甦って……」
「スザク」
 ルルーシュはハッと目を瞠った。スザクの両手が小刻みに震え、薄暗い部屋の中彼の顔をよくよく見れば具合が悪そうに眉根を寄せている。
「まだ、ダメなんだ。あの時のことを思い出すだけでこの様だ。手が震えて……。あの頃は父親だけでなくフレイヤで何千万人と殺したのに、君のことだけ……」
 スザクは微かに笑みを顔に浮かべ、震える指をぎゅっと握りしめた。
「僕がゼロレクイエムのことを思い出したのは、一番最後なんだ。それまでもあの頃の記憶は断片的に細切れで思い出していたんだけど、ダモクレスの戦いの後は、いきなり僕がゼロで世界の英雄だった。その間のことはさっぱりと思い出せなかったのに、ある日突然甦った。……18の誕生日だった。思い出してから2週間ぐらいまともに寝られなくてね、5キロ痩せた」
 口から苦笑いが零れる。痛みを堪えるように目を細める。
「何でだろうね?」
「スザク」
「他の人の死は記憶の映像だとどこか他人事のように割り切ることができるのに、君の死はまだ生々しくて、ほら、この手、まだ君の血が付いているような気がする」
 ルルーシュはそっと震えるスザクの手に触れた。スザクはそんなルルーシュを見つめ返す。
「何百年も前のことだ。それにお前じゃない」
「うん、わかってる。わかってるんだけどね」
 理性と感情は別物だ。きっと心情的に割り切れないものがあるんだろう。
 でもそれはルルーシュも同じだ。

 その夜は二人で一緒に寝た。セックスしたわけじゃない。ただお互いの体温を確認しながら寝ただけだ。でもそれだけでささくれた心が落ち着くのを感じる。
「怒ってごめん。君がどこへ行こうとどうこう言える権利はないのに」
「謝るのは俺の方だ。書置きでもすれば良かったんだ。こんな俺だからな、お前が不安に思う気持ちもわかる」
「ルルーシュ」
 甘えるようにスザクがルルーシュの肩口に顔を埋める。そっと手を背中に回し、ルルーシュは大きな背中を優しく撫でた。
「スザク」
「ん?」
 すぐ耳元でスザクが吐息と共に返事するのが聞こえる。
「本当にしなくていいのか? さっきも言ったが俺はお前になら、お前だけは……」
「正直に言えば抱きたい。抱いてみたい。でもきっと君を抱いたら歯止めが効かなくなりそうで恐いんだ。手放せなくなって、愛しくて、閉じ込めて、でも最後にはきっと君を憎む」
「スザク」
「自分の思考回路はよくわかるんだ。長年つきあっているからね」
 苦笑いが聞こえる。茶色い癖毛がそのたびに揺れるの感じる。
「君といる時間に期限をつけたのは、自己防衛だよ。誰かを憎むのは辛い。ましてその相手が君ならなおさらだ。だから君を思っての事じゃない。自分が苦しむのが嫌なんだ。そして永遠を生きる君に優しい記憶だけをあげたかった。ずるいんだ、僕はね。今に始まったことじゃないけど」
 笑いながら軽い口調で言われたが、言葉の羅列が心の奥に染込でくる。
「いつでも僕は自分勝手なんだ」
「そんなの、とっくに知っているさ」
 ルルーシュは軽く宥めるように軽くスザクの背を叩いた。
「それにお前の激しい感情を見た時、逆に俺は安心した。変わってないって」
「あれ、ルルーシュってもしかしてラウンズだった僕が好きだったの?」
「違うっ、なんでそうなるんだ?」
 スザクは肩口から顔を上げ、ルルーシュの顔を覗き込んだ。
「はっきり違うって言われると、何とも言えない気持ちになるけど。でも今、激しい感情の僕がって」
「それはそうだが……」
「じゃあ、どの僕が好きだった?」
 冗談交じりの口調の奥に、隠しきれない真剣さが混じっていた。和やかに笑う表情の中、その緑色の瞳だけが静かにルルーシュを見つめている。
「どのスザクって、お前、それは変だろう。そういうものじゃないだろう」
「そっか、わかった」
「おい、何を考えている?」
「せっかくだし、君が望んでいる枢木スザクでいようかな、とね」
 その言葉にルルーシュは目を見開いた。そんなことを考えるスザクが少し悲しかった。
 だから言った。自分が望むスザクの姿を。
「自然でいろ。それが俺が望むスザクだ。紳士面をしないで、ありのままを」
「…………ルルーシュ。わかった。……わかったよ」
 目を細めた緑色の瞳の向こうに優しさが視えた気がした。
 暖かい体温が身体を包み込むのを感じる。瞼が自然に落ちてくるのがわかる。
 眠りに落ちる直前、心地よい温度に身を寄せながらルルーシュはぼんやりと思う。

 スザク
 お前は俺を求めてくれるだろうか?
 求めてくれるなら、俺はお前に……永遠を……。


 それから平穏で和やかな日々を過ごし、春にさしかかろうとした頃。
「え? お墓参り?」
 休みの日の朝食の席で当たり前のように宣言し、その言葉にきょとんとした顔つきをしたスザクに逆に問われた。それに対しルルーシュは力いっぱい頷き、拒否を許さないような綺麗な笑顔でさらに言う。
「お前も当然行くだろう?」
「……誰の?」
「なっ!! ナナリーのだ」
 ルルーシュの絶叫に近い叫びがダイニングに響き渡った。
 そんなやり取りを経て、ルルーシュたちは二人が再会した教会へと向かっていた。彼らのそれぞれの腕には花束がある。ルルーシュはちらりとスザクが持つ花束を見て、ふぅと溜め息をついた。
「言いたいことがあるなら言いなよ?」
 笑いを含んだスザクの声が隣から聞こえた。
「お前の選んだその花束は何だ。人の趣味だから花屋では何も言わなかったがな、どういった狙いなんだ」
「ええっ!! そんな事言われたってどうみてもナナリーをイメージした色合いじゃないか。ピンクとか白とか黄色って、ナナリーっぽいだろ」
 自分の花束を見ながら満足そうに微笑むスザクに、ルルーシュは微かに顔を顰める。
「僕にすればルルーシュの方こそどうかなって思うけど。ちょっとシックすぎない?」
「何を言う。ナナリーにはこのぐらい荘厳な感じの方がいいだろう。まさしく女帝ってイメージじゃないか。お前はその……いなくなってしまったから知らないだろうが、あれ以後のナナリーは本当にすごかったんだぞ。様々な政策を推し進め、いくらシュナイゼルの助けがあったからと言っても、あんなに早く民主化に移行させるとは思わなかった。この俺でもあの手腕には驚かされたものさ」
「そっか。そうだったんだ。……そういえば気になってたんだけど、ゼロの死後、シュナイゼルってそのままちゃんとナナリーに仕えてたの? ゼロの死によってギアスは無効になったんだろ?」
 スザクは聞いた。それに頷き、ルルーシュもまた応える。
 二人の軽快な足音が石畳に反射し、周囲に響いている。
「そのことか。全世界が急速に変化している中で、旧制度に戻そうという事がいかにナンセンスなことなのか、それがわからないシュナイゼルじゃない。大人しくナナリーに仕えていたみたいだな。少なくともナナリーの傍にいれば地位も名誉も仕事も安泰だからな。だが俺も心配になってな、一度ジェレミアに頼んで様子を見にいってもらったことが……、スザク?」
 急激に気温が下がった気がした。
 にこやかにこちらの話を聞いていたスザクの表情が笑顔のまま凍りついている。細められた目の奥に宿る緑色の光が鋭い刃を見せていた。
 ルルーシュはもう一度声をかけた。
「スザク?」
「君って今、さりげなく重大なことを口にしたの、気づいている?」
「え?」
「へぇ……、ジェレミア卿って君が生きていたこと知ってたんだ」
「あ」
「まさかと思うけど、ジェレミア卿の農園で一緒に働いていたアーニャまで知っていた、ってことはないだろうね」
「いや、その」
「ふ〜ん、アーニャも知ってたんだ」
 スザクの笑顔がますます凶悪なものへと変化する。
「ジェレミア卿の農園には何度か足を運んだことがるんだよね。まぁ、ゼロとしてだけど。ブリタニアの旧貴族たちが残した遺産に関する要件だったかな。そっか……ジェレミア卿、知ってたんだ」
「ス、スザク」
 低くなった声色にルルーシュは焦ったように呼びかける。だがスザクはルルーシュの顔を見ると押さえ切れないものを噴出すように笑い、それから優しい口調で言った。
「大丈夫。怒ってないよ。むかついたけどね。それに昔のことだろ」
 古い建物が並ぶ薄茶色の世界でスザクが色鮮やかに笑った。
 そんな建物が立て込む街並みの中、急に開けた空間に出る。ナナリーとゼロが眠る教会がある場所だ。ところどころ錆びている鉄製の門を開き、ルルーシュとスザクは中へと足を踏み入れた。
 以前来た時とは異なる風景が広がっている。赤や黄色に色づいていた木の葉はなく、葉が落ちた寂しげな枝が四方に伸びている木々が並んでいる。だがどこか柔らかい印象を受けるのはもうすぐ芽吹く前兆なのかもしれない。
 二人は並んで人気のない小道を歩いた。
 やがてナナリーとゼロのお墓の前に辿り着き、足を止めた。
 花束を捧げる。軽く目を瞑り黙祷する。
「ルルーシュはナナリーがどうして亡くなったのか知ってる?」
「病死だ。お前が倒れてから26年後に」
「そう」
「葬儀は盛大だった。最も俺もテレビ中継を見ただけだけどな」
 スザクが驚いたようにこちらに目を向ける。
「行かなかったの?」
「ああ、行けるはずがないだろう。30年そこそこじゃ、まだ無理だ」
「それもそうか。君は悪役のわりには無駄に顔が綺麗だからね」
「どういう意味だ」
 抗議の声を上げれば、スザクは軽く首を竦め。
「良くも悪くも印象に残るってことだよ」
 何とも返事がしづらく、ルルーシュはスザクから顔を背けた。隣から堪えきれず笑いを噴出す声が聞こえる。そんなスザクの態度に何か釈然としないものを感じながらも、ルルーシュは今自分の心が穏やかであることを感じていた。
 冬から春へと移り変わる優しい日差しがナナリーの墓石に降り注いでいる。
 この場所でこんな気持ちになれる日が来るとは思わなかった。
 ナナリー。
 俺は願ってもいいだろうか?
 自分の……を。
 ルルーシュは未だに笑いを堪えているスザクに向き合い、その顔を見つめた。スザクもまたルルーシュの視線にすぐに気づき、目線だけで「何?」と問いかけてくる。
「スザク」
「ん?」
「お願いがあるんだ」
 優しい笑顔に促され、ルルーシュはゆっくりと己の願いを口にした。

 ここで言うのが一番相応しい気がした。
 ナナリーとゼロがいる前で。

「俺と一緒に永遠を生きて欲しい」




[2010/11/19]


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