CROSS ROAD


 ブリタニア共和国首都ペンドラゴンの秋は短い。夏の気候が涼しいがゆえに冬の訪れは早く、つい一ヶ月前までは夏だったはずなのに、すでに季節は移り変わり木の葉の色は黄色や赤に色彩を変化させ始めている。通りを歩いている人に目をやれば、半袖を着ている人はなく、セーターやジャケットを着込んでいる人が大多数だった。特に今日は朝から降り続く霧雨がよりいっそう秋の冷たい空気を運んできていた。
 傘をさすほどではない。だがじんわりと染込んでくる雨滴は身体を芯まで冷たくさせる。これで体調を崩すのは避けたい。ルルーシュは荷物になるなと思いながらも、大きな黒い傘をさし、もう片方の手にはこれまた大きな花束を抱え、首都のきちんと舗装された道を歩いていた。
 外の世界に出るようになってから、ルルーシュは必ず年二回ペンドラゴンを訪れていた。ひとつはナナリーが亡くなった日。そしてもうひとつ、世界の英雄であるゼロが亡くなった日、今日のことだ。それは同時に人間だったルルーシュが死んだ日でもある。
 旧市街地の外れにある古びた教会の門をルルーシュは静かに開けた。ひっそりと隠れるようにあるその教会は、かつて世界の三分の一の領土を誇った神聖ブリタニア帝国の最後の皇帝ナナリー・ヴィ・ブリタニアと世界の英雄ゼロが眠っている。
 ルルーシュは十字架が並ぶ小道を進んだ。もう何度も来ているので迷うこともない。初めて来た時散々迷ったのを思い出し、ルルーシュはクスリと小さく笑った。昔とはいえ、大国の最後の皇帝と世界の英雄の墓だ、それなりに立派なのだろうと想像していたが、やっとの思いで探し出し、見つけた二人のお墓はそれは小さくこじんまりしたものだった。
 ナナリーは質実剛健な皇帝だったという。だが一国の皇帝だ、何もこんな質素なお墓じゃなくてもと、ルルーシュでさえ思ったほどだ。
 ルルーシュは足を止め、二人が眠る墓石を見下ろした。
 ナナリーの方に目をやり小さく微笑んだ後、ゼロの前に立つ。
「お前が俺の騎士、元ナイトオブゼロだったからといって、何も同じ日に死ななくてもよかったんだぞ、スザク」
 もっと生きて欲しかった。
 俺の言葉など忘れて、もっと幸せになって欲しかった。
 ルルーシュは抱えてきた花束をそっと墓石の前に置いた。
 スザクの魂がここにないことは知っている。彼は輪廻転生の流れにいるのだ。
 でも、とルルーシュは思う。
 ルルーシュを命がけで守ってくれたナイトオブゼロだった枢木スザクはここにいるのだ。一時は本気で殺し合おうとしていた。本気で憎まれ、本気で憎んだ。それでも最後にはルルーシュの手を取ってくれたのだ。
 幾度も出会った生まれ変わったスザクは、その本質は変わらなかったが、やはり『彼』ではなかった。そんな当たり前のことを思い知らされ、毎回少しの失望を味わう。
 ルルーシュは古くなった墓石に触れ、そっと撫ぜる。それからゆっくりと立ち上がり。
「またな、スザク。ナナリーもまた来年来るから」
 そう二人へと声を掛けた。
 一歩後ずさる。二人のお墓を眺めた後、ルルーシュは踵を返した。長居すると帰れなくなる。ここはそういう場所だ。
 再び十字架に挟まれた小道を歩く。ふと顔を上げれば前方から人が歩いてくるのが目に入った。珍しいな、とルルーシュは思う。毎年年二回訪れているが、この墓地はいつも人気がなく、数年前に見かけて以来だった。ゆえに何となく注視してしまっていたが、その人間の輪郭がはっきりしてくるにつれて、ルルーシュの足の動きは緩慢になり、そして止まった。向こうもこちらに気づいたのか、歩みを止め、どこか唖然とした様子でこちらを見ている。
 まさか、と思った。
 そんなことあるはずがない、と否定した。
 ここは日本じゃない。ブリタニアだ。
 百歩譲ってブリタニアにいたとしても、何故この場所に? よりにもよって何故今日なんだ? 何故この場所に来るんだ?
 ルルーシュは混乱した。だがすぐに気持ちを切り替え、現実的な事実に目を向ける。
 そうだ。よくよく考えれば彼がルルーシュの事を覚えているはずがない。最後に会ったのはもう12年も前だ。しかもその当時でさえ接触したのは数回だ。仲良くなった生徒ならいざ知らず、ほとんど関わっていない自分を覚えているわけがない。
 だが、ルルーシュのその思考は肝心の部分がすっぽりと抜け落ちていた。彼がこの場所にいる理由が不明なのだ。そして目の前に佇む彼が発した言葉に、ルルーシュの身体は完全に硬直した。
 彼は驚いた表情を仕舞うと、今度は口角を上げ小さく微笑み。
「ルルーシュ」
 と静かに名前を呼んだ。
 冷たい霧雨が降る静寂な霊園の中でその声はやけに大きく響き、ルルーシュの元へと届く。その呼び方がまるでかつての『彼』に酷似していて、どこか恐怖を覚えた。意識せず一歩背後へと後ずさる。そんなルルーシュの行動に、彼の緑色の目が微かに見開いた。
 彼はもう一度言った。
「ルルーシュ?」
「枢木先生……?」
 恐る恐るそう言えば、彼はきょとんとした顔つきになった後、急に笑い出した。
「そうか……そうだよね。君の中の枢木スザクは教育実習生の時のまんまなんだね。無理もないけど」
 彼は離れている数歩分の距離を縮める。
「案内して欲しいんだけど、いい?」
「え?」
「さっきから探しているんだけど、どこにあるのかわからなくて」
 目の前の穏やかに喋る彼の存在に圧倒され、ルルーシュは自然と言葉少なになる。
「君は知っているんでしょう」
「何を?」
「もちろん、ナナリーと……僕のお墓だよ」


 二人の墓石の前にしゃがみ、両手の平を合わせて黙祷をしているスザクの後ろ姿を、ルルーシュは見ていた。小さな可愛らしい花束がそれぞれの墓石の前にちょこんと置いてある。まるで誰かにあげるプレゼントのように色彩が鮮やかだ。
 しばらくしてスザクは立ち上がり、ルルーシュの方へと振り返った。そして問う。
「これ、君が持ってきてくれたの?」
 先ほどルルーシュが置いた、ゼロの墓石の前にある花束のことをスザクは訊いた。ルルーシュは頷く。
「そっか……」
 そう言ってスザクは再びゼロのお墓へと視線を向けた。そんな姿をルルーシュはただ見つめている。
 目の前にいるのは誰だ?
 ここにいるのは誰なんだ?
 最後に会ってから12年。昔目にした少年の面影を残した青年は姿を消し、今、ここにいるのはどこから見ても大人の男だった。精悍な顔つき、広くなった肩幅、鍛えられた身体がきっちりとしたスーツを纏っていてもわかった。穏やかな緑色の瞳の中には以前はいなかった獰猛な獣が鳴りを潜めている。その瞳はまるでナイトオブゼロだった頃の……。
 ルルーシュは固唾を飲み込んだ。
 最大の懸念はそこではない。あれから12年。それなのに自分をルルーシュだと認めているのに、スザクは何も言ってこない。18歳のまま一切の変化のないルルーシュを見てもだ。問い詰めるのが怖い。その先にあるスザクからの返答が怖いのだ。
 ルルーシュは何も言わない。沈黙し、スザクの出方を伺っている。そんな様子にスザクは苦笑いを浮かべ、それから言った。
「久しぶりだね。最後に会ったのは大学4年の時だから……12年ぶりかな……。元気だった、って聞くのもおかしいけど」
 スザクの苦笑いが小さな微笑に変わる。
「携帯番号渡したのに。君は一度もかけてこなかったね。ちょっとショックだったなぁ。きっと電話してくれるって思ってたから」
「それはっ……」
 不意にルルーシュの手の平に丸めた紙の感触が甦った。カサリとくしゃくしゃになった紙の音が記憶の中で聞こえる。
「こっちに住んでからもあの番号を解約することはできなかった。いつか、掛けてきてくれるかもって、未練たらしいよね」
 霧雨の向こうに晴れ晴れとした笑顔が見える。灰色の風景の中でスザクの笑顔だけが色彩を帯びていた。
 何て応えればいいのか分からなかった。肯定すればいいのか、否定すればいいのか、それさえも分からず、ルルーシュはただただ沈黙を守るしかなかった。だが、そんなルルーシュの様子をスザクは全く気にした風もなく、逆にどこか嬉しそうだった。
 スザクは手を差し出した。
 大きくてしっかりとした手だ。己の変化をやめてしまった手とは違い……。
 ルルーシュは手に目をやり、それからその持ち主の顔を見上げた。
「行こう、ルルーシュ。店に入って向かいあって話すよりも、歩きながらのほうが話しやすいだろう?」
「は……なし……?」
「そう、話。聞きたいことたくさんあるんじゃない? 僕も君に言いたいことがたくさんある。それにこれからのことも」
 そう言って、緑色の瞳を真っ直ぐに向けるスザクに、ルルーシュは逆らうことは出来ず、そっと自分の手をスザクの手の上に乗せた。その途端、ぎゅっと握り締められる。逃がさないよ、というスザクの意思を感じた。

 墓地を出て、人気のない旧市街地を当てもなくただ歩いた。秋の霧雨が街全体をすっぽりと包み込み、全ての風景に薄っすらと靄がかかっている。
 日本ではない異国の地でスザクと一緒に歩いている。ルルーシュは隣にある気配を感じながら、不思議な気分を味わっていた。
「何が聞きたい?」
 スザクは言った。
「何でお前はここにいるんだ? 日本で教師になっているとばかり思っていた。それとも臨時に休養を取って来たのか?」
 ルルーシュの問いにスザクはきょとんとした表情になり、それから苦笑いする。
「最初の質問がそれ? ルルーシュらしいといえばルルーシュらしいけどね」
「スザク……」
「わかってる。日本ではね、教師にならなかったんだ。大学を卒業してすぐにこっちに渡ったんだ。こっちにきても、多少の変化はあったけど言葉には不自由しないし、体力には自信があったし、昔培った感もあるし、それほど困ることはなかったな」
「昔培った感?」
「ルルーシュ、僕は今、ブリタニア軍に在籍しているんだよ」
 にっこりと微笑みながら言うスザクに、ルルーシュは茫然としながら見つめ返した。
「ブリ……タニア……軍……」
「うん。どうしてももう一度この地に来たかった。昔の面影はないかもしれないけど、全てが違っているんだろうけど、またここから始めてもいいかもしれない、って思った」
 スザクは一旦足を止め、後ろを振り返る。先ほどまでいた墓地の塀が遠くに見えた。
「ナナリーと……ゼロのお墓もいつか行かなきゃって思ってたんだけど、何しろ忙しくてね。あと結構昔のことだから、どこにあるのか調べるのにも手間取って。それに……自分がここに眠っているのかと思うと、行き辛くてね」
「スザク……お前……」
 視線が絡み合い、お互いを見つめた。遠く過ぎ去った過去の景色が二人を取り囲むように甦り、そして消えた。湿った空気が頬に当たる。
「そうだよ、僕は全部思い出しているんだ。遠い過去、自分が世界の英雄ゼロだったことも、君の騎士ナイトオブゼロだったこともね」
「いつ……から……?」
 ぼんやりと呟くように問いかければ、それまで饒舌だったスザクが動揺したように口を詰まらせ、あたりに静けさが満ちた。逡巡している様子が伺える。歯切れの悪さにルルーシュは眉根を寄せれば、やっとその口を開いた。
「18の時」
「え?」
「正確に言えば10歳の頃から段々と思い出してはいたんだ。それが完全に甦ったのが18の時」
 思わぬ告白にルルーシュの身体が震えた。
「じゃあ、お前は……12年前には……」
 その後に続くだろう言葉にスザクは頷き、自嘲的な笑みを浮かべる。
「そう、全部思い出していたんだ。だから君を教室で初めて見た時本当に驚いたよ。名前も同じだったからね。きっと君も生まれ変わったのだと信じて疑いもしなかった。でも……」
 スザクは言葉を切った。
 ルルーシュはハッと息を飲む。
 自分を見つめる深い緑色の瞳に絶望が宿る。
「前会った時は確信はなかった。でも、今日再会してわかった。君はコードを受け継いでいるんだね」





[2010/10/12]


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