ある意味遠い国ロシアにあって、日本に近い街ウラジオストクってこんなところです

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隣国でありながら、ある意味とんでもなく遠〜いところにあった国ソビエト連邦ですが、社会主義体制が崩壊してロシア連邦となり、

その数年後には外国人の個人自由旅行も可能になって、ちょっとだけ西側諸国に近付きました。とはいえ、我々外国人が行くこと

のできない閉鎖都市も、まだまだたくさん残っています。太平洋艦隊司令部があるウラジオストクも、当然そのうちの1つだったの

ですが、なにがどうなったのか、今では高台の展望台から街の写真を撮ることも、空港施設の写真を撮ることも、飛行機の窓から

滑走路や街の写真を撮ることも自由になっています。まさかこんな時代が来るとは。じいさんになって、もうこれが生涯最後の渡航

というときにしか行けないだろうなあと思っていたのは何だったんでしょう。ただ、治安のことを考えると、一眼レフカメラやデジカメ

を持って行って、街中でパシャパシャやる勇気は、とてもじゃないけどわたしにはないので、使い捨てカメラでこそこそっと撮るのが

精一杯でした。そのため画質はよくないですが、そこはがまんして雰囲気だけ楽しんでください。



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富山空港とウラジオストク空港を結んでいる、VLADIVOSTOK AIR という航空会社の飛行機で行ってきました。飛行機は詳しくない

のでよくわかりませんが、たしか yak-40 とかいう機種だったと思います。ソ連製として有名なイリューシンやツポレフなどの大型機

とシートや内装などの造りはよく似ていたので、これもソ連製じゃないかなと思いますが、まちがっていたらごめんなさい。


ソ連製の飛行機のシートは、背もたれの部分が後方にリクライニングはしなくて、逆に前方にぺたんと水平ぐらいまで倒れてしまう

ものが多いです。全部のシートをそうやって倒すと、ほぼスクエアな大きい空間ができて、兵器や戦場に送る物資などが積めるよう

になるということだそうです。民間機でもいつでも軍事転用できるという発想は、イスラエルやアウトバーンなどにある中央分離帯の

ないまっすぐな高速道路がいつでも滑走路になるというのと同じですね。



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ウラジオストク空港に着く少し前に撮ってみました。シベリアの大地です。



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ウラジオストク空港到着です。これは駐機場で、滑走路は奥の森のずっと向こうにあります。どこもかも、とにかく広〜〜〜いです。



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画像中央左の大型機は、国際線でよく見るイリューシンかツポレフのようです。国内便のハバロフスク行きで、このあと山のように

荷物を持った現地の人たちがいっぱい乗り込んでいっていました。右側の大型輸送機は、軍用機の上から塗装して民間使用して

いるっていうかんじで、米ソ冷戦時代を描いた映画などでよく見るソ連の爆撃機そのものに見えました。元は軍用ジープだったんだ

ろうなあっていう車を、はけでぺたぺた塗りかえたような車も走っています。



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右の白い建物が国際ターミナルで、左のガラス張りの建物が国内ターミナルです。最近建て替えたそうで、どちらもきれいでした。

ウラジオストクの通関は国境警備隊が担当していて、ほとんどの人が軍服という、いかにも厳しそうな雰囲気ですが、これでも今は

かなりやさしくなっているそうです。これでやさしいんなら、昔はどうだったんだろう?



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ターミナル前の駐車場の端にはホテルがあります。周りにはな〜んにもなくて、何でこんなところにホテル?っていうかんじですが、

飛行機を乗り継ぎする人たちのためのものなんだそうです。ソ連もロシアも飛行機といえばアエロフロートですが、白夜が見られる

夏の間だけエアバスの大型機が飛んでいる関西空港⇔サンクトペテルブルグ便でさえも、「今日は乗る人が少ないから欠航。明日

まとめて飛びます。」てなことがよくあります。モスクワから遠く離れた、ここシベリアの国内線では、果たしてその日に飛ぶかどうか

は神のみぞ知る。この日も、国内線でハバロフスクからほぼ同じ時刻に来る(はずの)友人とここで待ち合わせしていたんですが、

結局着いたのは次の日の朝5時でした。友人の始発点はずっと西のオムスクというところで、そこから2ヶ所の空港を経由して来た

んですが、それぞれの空港で機体整備で(というより故障でしょう)何時間かずつ遅れていって、ハバロフスク発の便に乗り遅れた

と思ったら、その前の日の便がまだ機体整備で止まっていたそうです。それも更に遅れて、次の日の朝5時到着なんですけどね。

そりゃ空港のすぐそばにホテルは要ります。


ロシアを個人で旅行する場合は、この辺のゆるさをよ〜く頭に入れて予定を立てないと、とんでもないことになります。まず大きな

旅行社主催のガイド付きの大都市周遊パックツアーぐらいから始めましょう。それでもハプニングはつきものじゃないかな?



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そしてこれが国際ターミナルの中です。画像中央の奥の突き当たりのドアが到着ゲートで、画像には入っていませんが、同じような

ドアが右手前にもあって、それが出発ゲートです。右側のブースがチケットオフィスや税関事務所などで、左側のブースには免税店

とかがあったように思います。標示板などの表記はほとんどがロシア語と英語の併記になっています。やっぱり世界共通語は英語

なんでしょうか?エスペラント語は?



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ロシアに着いたら、何をおいてもまず手に入れなければならないのが、このルーブルです。ルーブルは国外持ち出し禁止なので、

前もって手に入れることはできないし、空港でも替えられないので、市中の銀行か両替所か大きなホテルで替えるしかありません。

いずれにしてもどうにかして市街地まで行かないといけないので、問題は空港から市街地へ行くための足をどうするかです。これは

もう高くつくのを覚悟で、日本で前もってインツーリスト経由で車を手配しておくか(これも本当に来るかどうかは怪しい)、米ドルを

少し持って行って、現地で車をつかまえるかしかないでしょう。ただ、モスクワのシェレメチボ2のような大きな空港だと客待ちの車

がうじゃうじゃいて、客引きのおじさん達をよけるのに苦労するほどですが、ウラジオストクだと居るか居ないかすらわかりません。

そう頻繁に国際便は着かないですから。


この数年前にモスクワに行ったときはインフレが最もひどいときで、10万ルーブル札とか50万ルーブル札といった、とんでもない

額の紙幣が普通に流通していました。札をぱっと見ても、500000とかいうようにいっぱいゼロが並んでいると、すぐにはいくらの札

なのかわかりません。しかも毎日インフレは進んでいたので、昨日買えた値段で、今日もコーラが買えるとは限りません。こういう

状況になるとどうなると思います?そう、細かい額を数えなくなるのです。1万ルーブル札を出して何千何百ルーブルかのコーラを

1本買うと、がさっと大体のお釣り何千何百ルーブルか返してくれます。何百ルーブルか狂っていたとしても、日本円での感覚では

1銭、2銭の狂いでしかないし、明日になればコーラの値段も上がるので、細かいことは気にならなくなります。日本では絶対体験

できない、なかなかにおもしろい感覚でした。


その後の経済対策・デノミなどで、ウラジオストクに初めて来たときには、画像のような50とか100とかの普通の数字の札で落ち

着いていました。右下のコインはコピークというもっと小さい単位ですが、大きい額のものでも1円単位のコインですから、ほぼ見る

ことはありません。画像に撮りたかったので、あちこちで頼んで全種類集めてみましたが、残念ながら撮影失敗です。



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無事通関できて足があれば、この市街地まで来ることができます。これがダウンタウンウラジオストクの中心、中央広場です。この

中央広場=戦艦の埠頭で、写真を撮っている私の後ろには、ずら〜っと太平洋艦隊の戦艦が並んで停泊しています。写真でしか

見たことのなかったロシア艦隊というものを初めて見ました。当然ごく一部ですけど、すごい迫力です。生まれて初めてモスクワの

赤の広場に立ったときは、それはそれは感動しましたが、今回は閉鎖されていた軍港都市ウラジオストクを自由に歩いている、と

いう別の感動を味わうことができました。生きててよかった。今やインターネットでどこでも見られる時代ですが、画像と現物を同じ

にしてはいけません。絶対に自分の目で見ないとだめです。


画像中央左のような、兵隊さんの小さな団体もよく見かけます。持っている荷物からすると、たぶんサウナに行っているんだろうと

いうことです。こういう兵隊さんたちは、モスクワやサンクトペテルブルグなどの大都会でもよく見かけるので、珍しくはないですが、

何年か前に、ある「兵隊さん」を見に、ウラジオストク中の人がこの広場に集まったことがあるそうです。その「兵隊さん」たちとは?

そう、アメリカの兵隊さんたちです。名前は忘れましたが、アメリカの駆逐艦が入港して乗組員が上陸したそうです。ウラジオストク

にアメリカの駆逐艦!だけでもすごいことですが、現地の人が初めて見たものはアメリカの戦艦だけではありませんでした。そう、

ウラジオストクの人たちは初めて黒人さんを見たのです。ロシアでは我々イエローモンキーもかなり珍しくて目立ちますが、黒人さん

はまず見ることはないですからねえ。大都市のモスクワやサンクトペテルブルクでも、まず見ませんね。



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画像左端に見える、中央広場に面した大きなビルは沿海地方政府庁舎で、画像にはありませんが、更に左に行くと、シベリア鉄道

の起点であるウラジオストク中央駅があります。この庁舎前の駐車場の手前に立っているものが何だか、この画像ではわからない

と思いますが、近付いて行くとびっくりします。



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これがなんと巨大なテレビ!液晶ぽいですが、よくこれが壊されないもんだと思います。けっこうな大音量で、ず〜っと何か流れて

いますが、普通のテレビ番組じゃなくて、宣伝中心のショップチャンネルみたいなもののようです。たしかフィリップス製だったと思い

ますが、これも西側資本の流入の象徴なのかな?まわりの建物の古さから思いっきり浮いていておもしろかったです。この画像は

週1回の定期市の日に撮ったので、中央広場は人でいっぱいです。



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中央広場の反対側に沿って、かの有名な百貨店「グム」や商店が並んでいます。街中にはホテルもたくさんありますが、西側でよく

見るような有名なホテルチェーンのものはまだありません。ここに限らず、ロシアの都市にあるちょっとしたホテルは、ほぼ外国人と

一部のロシア人のお金持ち向けといってもよく、ふつうのロシアの人たちは、パブリックスペースであるロビーにすら入れないことが

よくあります。そのため入口にはドアマン兼セキュリティの、ごついお兄さんたちが数人たむろしているのがふつうで、西側のホテル

のようなウエルカム感を期待してはいけません。外国人観光客が安心して泊まれるホテル=セキュリティがしっかりしているホテル

というのが絶対条件なので、誰でも彼でも勝手に中に入れるわけにはいかないということでしょう。ロシアに限らず、治安のよくない

国ではよくあります。



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これが有名百貨店「グム」の入口です。我々が日常目にする百貨店に比べるとかなり地味で、うっかりしていると通り過ぎてしまい

そうです。中はというと、売り場でもなんでもない中二階があったり、階段同士がいたるところで複雑につながっていたりと、かなり

入り組んだ造りになっていて、売場面積をできるだけ広く取って、より多くの商品を並べるといった物品販売業の常識を覆す(?)

店舗展開になっています。並べてある商品は、西側の新しい物もそれなりに見ますが、殆んどは映画に出てくるような、ソ連時代の

雰囲気ぷんぷんの物なので、一見の価値ありです。



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中央広場に沿って走るのが、ウラジオストク一番の大通りスベトランスカヤストリートです。いかにもソ連的な建物が限りなく並んで

います。歩道も車道もいたるところひび割れたり穴が開いていたりで、ぼこぼこです。ソ連時代から、インフラの整備に使えるお金

があまりなかった状態が今でも続いているようです。軍事費や宇宙開発費が最優先だったんでしょうか?


ソ連製の車が走ってきたときを狙って写真を撮りましたが、実際走っているのはほぼ全部といっていいほど日本車ばっかりです。

車が右側を走ってなかったら、ここがどこかわからなくなるほどです。



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スベトランスカヤストリートの中央広場前から山手の方に延びるのが、もうひとつの大通りオケアンスキーストリートです。この通りを

ず〜っと上がって行くと、高層アパートが建ち並ぶ住居地域に入っていきます。


左端にちらっと写っているパトカーに乗ってきたおまわりさんが、青いタウンエーストラックを止めたところです。見ていると、免許証

じゃなくて、何やら許可証のような書類を出させていました。この後も、貨物車ばっかり止めて、同じことをしていました。貨物車は

乗り入れ規制か何かあるんですかねえ?画像ではわかりにくいですが、このおまわりさん、自動小銃を肩から下げています。何か

あったらいつでも撃てるぞ、というこわい態勢です。



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週に一度の定期市の日には、中央広場が露店と人でいっぱいになります。郊外の人たちが、農作物やパン・ジャム・お菓子など何

でも持って来て売っています。全部まさにホームメイドで、できたてのパンやお菓子なんかは最高においしかったです。この奥の方

はすぐ港で、右手にはずらっと並んだ戦艦の一部が見えています。左手の方の高いビルが太平洋艦隊司令本部です。



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港に浮いている戦艦博物館の甲板から陸側を撮ってみました。左の高いビルが太平洋艦隊司令本部で、右には潜水艦博物館の

舳先が見えます。



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実際に使われていた潜水艦 C-56 をそのまま使った潜水艦博物館です。中は半分が普通の部屋のように内装がしてあって、当時

の写真や道具などが陳列してあります。残りは潜水艦そのものが保存されています。陳列部分はソ連の香りぷんぷんで、潜水艦

部分は、魚雷室に並ぶ魚雷の隙間にまで人間が寝るスペースがあったりして、なかなかおもしろかったです。この画像を撮った時

立っている戦艦博物館も潜水艦博物館も、入場料は数百円とお安いです。それも我々外国人料金で、現地の人の料金はその1割

とか2割ぐらいです。ここに限らずロシア全体で、博物館や美術館などの入場料は、まずこの二重料金制です。


余談ですが、潜水艦の博物館といえば、ハワイの真珠湾に大きなのがありましたね。第二次世界大戦で使われた潜水艦が、ほぼ

当時の状態のまま保存してあったように思います。「この艦に乗って戦争に行って帰って来たんだ。」と言っていた退役軍人のおじ

さんが艦内を全部案内してくれたのが印象的でしたが、今もまだあるのかなあ?



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戦艦が並んでいる横にはフェリー乗り場があります。対岸の住宅街などに住んでいる人が、通勤などの足としてフェリーを使うこと

が多いんだそうです。遠くにうっすら見えているのが最も近い対岸で、15分ほどで着きます。左手に写っている水兵さんのセーラー

服はとってもかっちょいいです。画像ではわかりにくいですが、帽子の後ろには長〜いリボンが下がってたりして、米軍の水兵さん

とはまたちがった格好よさです。



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対岸までのフェリーに乗って、海の上から港を撮ってみました。季節は春だったんですが、凍え死ぬかと思うほど寒かったです。でも湾内は凍っていません。ロシアの中で数少ない不凍港ですね。周りの建物なんかと比べても、戦艦はやっぱり巨大です。画像では伝わりませんが、現物はこれだけ離れて見ても、とんでもない威圧感です。



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でも半島の反対側っていうかんじのところにあるスポーツ湾には、まだまだ氷がいっぱい
浮いています。



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さらに、その湾の外はぱりぱりに凍っています。
ソ連が大昔から南下政策を採ってきたのがなぜかは、行ってみればすぐわかります。

この寒さの中で海辺でデートしているアベック、じゃない、カップルがいっぱい居るのには
おどろきました。
何十分も外で座っていられるような気温じゃないんですけどねえ。
やっぱりロシア人は寒さに強いんでしょうか?
それとも春が来たんで、みんなうきうきしてるんでしょうか?



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中心街からちょっとだけ離れたところの小高い山の上に、街の大部分が見渡せる「鷹ノ巣
展望台」というところがあるんですが、行ってみた日はこの天気。
ここでもいつもの「やることなすことぜ〜んぶ裏目」運が発揮されました。
この前の数日も、この後の数日も、どが付くピーカンだったんですけどねえ。

ぼやっと写っているのがケーブルカーの頂上駅ですが、これまたここ2ヶ月ほど故障した
まま直すお金がなくて止まってるそうです。
それがわかったのは麓の駅まで来たときだったので、「この線路沿いに歩いて上がっても
すぐだよ」という係の人の言葉に騙されて、はあはあ言いながら上がってきたのに、この
景色。
悔しいので、駅だけでも写してみました。

ケーブルカーの故障といい、この日に限ったこの天気といい、私の運もだいぶ筋金入りに
なってきました。
ま、ロシア人の「すぐそこ」と日本人の「すぐそこ」は全然違うということを忘れてた自分が
悪いんですけどね。



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他の日に、ちがう山に登って撮ってみました。
街の中心部は山に隠れて見えませんが、なかなかの景色です。



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ソ連というと何もかも暗いイメージですが、建物などは実はとてもカラフルで、こんなきれい
なピンク色のビルもあります。
しかもこれ、海軍省の建物........う〜ん、おしゃれ。
日本どころかアメリカでも、こんなおしゃれな軍の建物ってないんじゃないでしょうか?
画像では伝わらないでしょうが、こんな色なのに奇抜な派手さもなく、周りから浮いている
わけでもなく、思わず立ち止まって眺めたくなるほどのきれいさです。
まさにデザイン力の成せる業なのでしょうが、何がポイントなのかいくら考えても、これだと
いったものが見つけられなかったです。



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街のそこかしこにある教会もなかなかおしゃれです。
丸いドームの付いた屋根が特徴で、屋根のちょっと下にも並んでますが、中にはイコンと
呼ばれる、木の板などに聖者や天使などの絵を描いた物がいっぱい飾ってあります。
英語読みではアイコン.......パソコン画面に出てきますね。

腕組みしてはいけない・ポケットに手を入れていてはいけない・私語はいけないなどいくつ
かのルールさえ守れば、宗教にかかわらず、無宗教の私でも中に入ってミサなどを見学
することができます。
時の政府の弾圧により教会も封鎖され、信仰も禁止された暗い歴史を経てきたせいか、
中には別世界のような荘厳さがあります。
日本のお寺や、アメリカの教会などとはまったく違うものを感じることができるので、ロシア
に行ったときには絶対に入ってみるべきです。
今や超メジャー観光地となっているモスクワのクレムリンの中の教会ですら、同じものを
感じることができます。



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街の中心部周辺には、こういった昔ながらの商店街もいっぱいあります。
道の左側のおじさんたちは、段ボール箱の上にたばこを並べて、1本いくらでバラ売りして
ました。
箱で買って仕入れて1本ずつ小売りする、という商売の基本といえば基本ですが.....



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そしてロシアで露店といえば、このアイスクリーム屋さん。
これはもうどこに行っても、街の中心部にはいっぱい居ます。
歩いている人の服装を見ればわかると思いますが、とてもアイスクリームが食べたくなる
ような気温ではないんですけど、この日もけっこう売れていました。

気温が−20℃とかになるシベリアで、凍る凍らないの境目の0℃ぐらいのアイスクリーム
を食べると暖かい、という今で言う都市伝説が子供の頃語られてましたが、そんなことは
ありません。
−10℃ぐらいのモスクワの路上で試してみましたが、舌がしびれるほど冷たかったです。
よく考えればわかりますが、当たり前です.......だって体温は35℃以上あるんだもの。



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もっとよく見かけるのが、こういう売店のような小さなお店で、これはもう街中のいたるところ
にあります。(ずっと上の方の画像のフェリー乗り場にもずらっと並んでます)
全面ガラス張りというところが多く、画像中央左に見える小さな窓から、中の人に商品名
を言うと出してくれます。
ここは、化粧品やシャンプーや洗剤なんかが並んでいるので、ファーマシーといったところ
でしょうか。
並んでいる商品はもうほとんど西側から入ってきたものばかりのようで、アメリカで有名な
洗剤や化粧品がいっぱいありました。

こういったお店はキオスクと呼ばれていて(日本にも電車の駅にありますね)、ありとあら
ゆるものが売られています。
大きな街ではキオスクばかりが並んだ通りなんかがあったり、住宅街でも歩道にぽつんと
あったりで、本当によく見かけます。



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そのキオスクの集合体のような市場もあちこちにあります。
画像中央右の青い看板のところが入口で、中は広〜い公園のような敷地にいっぱいお店
が並んでいます。
が、カメラを持っていたこの日はお休みで入れない.........がっくし。

庶民の味方キオスクに限らず、ロシアではどんなお店で買物をしても、店員さんの「ありが
とうございました」という言葉を聞くことはまずありません。
もちろんロシア語にも「ありがとう」に当たる、「スパシーバ」という言葉はありますが、まず
お店で聞くことはありません。(店員さんとよほど仲良くなれば別ですが)
ましてやお店に入ったときに、「いらっしゃいませ」なんて言葉は絶対に聞けません。
買うかどうかもわからないのだから、店員さんの視線は冷ややかなもんです。
ま、「いらっしゃいませ」に当たる言葉は世界共通語の英語にもありませんから、世界の
標準はそっちなのかも?

ソ連時代は全て国営企業で、計画経済の下で作られた製品に差があることもなく、しかも
資金不足から生産量も少なく、常に物不足の世の中では、他の会社と競争して物をより
たくさん売る必要そのものがありません。
「この石鹸欲しかったら並んで買えば?」というのが当たり前で、「愛想よく応対して、また
来てもらおう」なんて発想そのものが誰にもないのです。
「売ってやるんだから黙ってお金払って早く帰れ」てな空気はどこでも感じますが、これは
今のロシアの人たちが悪いんでもなんでもなく、歴史がそうさせているんだと、よ〜く頭に
入れておきましょう。



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日本で廃車になったクルマが海外に輸出されているのはもう常識ですが、パーツ供給も
ほぼないこんな所でも、元気に走り回っています。
パーツも交換せず、ろくに整備しなくても壊れないで長持ちする日本車しか使い物になら
ないでしょうね、ここでは。
日本で走っていた状態のままでは、対向車のヘッドライトがまぶしいはずですが、そんな
小さなことを気にしてはいけないのでしょう。
道が広いから大丈夫だし、そもそも夜はみんな外に出ません.......とっても危ないから。



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乗用車はまだわかりますが、福山通運や佐川急便とかのトラックもいっぱい走ってます。
(まさか福山通運ウラジオストク支店?........はないよなあ)
日本で使われている間にとんでもない距離走って廃車になったはずですが、まだ使える
んですねえ.........我が国の技術はすごいです。
日本に居ると当たり前のことで全然わかりませんが、よその国に行くと我が国の技術の
すごさはよ〜くわかります。
そんな技が身に付けられる国に居ながら、手に職を付けようとする人がいなくなったのは
悲しいことでもあり、こわいことでもあります。
この先どうなってしまうんでしょう?

ウラジオストクは街中に路面電車が走っているので、道路のセンターには画像のような
線路がたくさん敷かれています。
これがまた全部ボコボコのうねうねで、よくこれで脱線しないものだと思います。



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もちろん電車もぼこぼこです。
こう言っちゃ失礼ですが、マンガみたいでおもしろいです。



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ウラジオストクには大学などの研究施設もたくさんあって、この新築のビルもその一つで、極東連邦大学と訳すのかな?
この中にきれいな博物館がありました。
入って行くと中は電灯が消えていて暗かったので、いつもの運の悪さかと思いきや、入場
者がいないので電気消してたそうでした。
それぞれの展示室に入る度に電気付けて見て、出るときに消していってちょうだいと受付
のおばさんに言われました。
初のセルフサービス博物館?と思いながら見ましたが、本物の日本刀や鎧兜や種子島
(鉄砲)から第二次大戦の遺留品まで、日本に関する展示物がたくさんあったのには驚き
ました。
その昔にはジャパンタウンがあるほど日本人がたくさん住んでいたんだそうです。
知らなかった。

さてここで問題です。
この建物の前は、交通量も非常に多い大きな交差点なんですが、日本の交差点と大きく
違うところがあります。
さて、それは何でしょう?
車線がないというところも違いますが、それは消えてなくなってしまったのを直せていない
だけのことですから正解ではありません。



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この画像の車の位置と向きを見てもわかると思います。
そう、正解は「信号機がない」でした。
これだけの交通量で、車線も停止線も信号もないのによくぶつからないもんです。
見ていると、車の流れの中の隙間を見つけて、な〜んとなく行きたい方に行く、といった風
に走っているようです。
この国でレンタカーを借りて走るのはやめておいた方がよさそうです。

もっとこわいのは歩いてここを渡るときで、これはもう度胸一発スキを見つけて走って渡る
しかありません。(上の画像に写ってます)
とはいっても、そう簡単ではないです。



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そうご電器の配達のトラックが走っている、この交差点で、この状況でも道を渡っている人
がいっぱいいますが、この車の列に突っ込んでいく勇気は私にはありません。
狩猟民族、白人は勇猛果敢です。

そもそも信号のある交差点そのものが非常に少ないです。
停電も多いので、あっても常に役に立つというわけではない、と言えなくもないですが。



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街から少し離れると、道はこんなカンジになるので、もう信号は要らないですね。



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丸善機工株式会社のトラックが走っている、この交差点には、珍しく信号があります。
角の低いポールに付いているのが信号機ですが、うっかりすると見逃してしまいそうで、
前にバスでも走ってたらもう見えません。
前に大型トラックが走ってても見えるようにと、進行方向正面の高い位置に大きな信号機
があるだけじゃなく、反対車線の高い位置にも大きな信号機が設置してあるような親切な
国は日本だけでしょうね。



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ほぼ日本車しか見ませんが、もちろん国産車もあります。
こちら、ソ連時代からの大衆車ラーダですが、他のと違ってどこか垢抜けたデザインじゃ
ない?と思っていたら、フィアットが生産設備ごとソ連に移して作っていたものだそうです。
イタリアの香りたっぷりのピニンファリーナデザインは流石ですが、となるとこれは国産車
なのか??........とも思いますが、普通のロシアの人たちはそんなことは知らないのか、気
にもしないのか、国産車の代表にラーダの名前を挙げます。

後ろの建物もカラフルだなあと思ってボーッと歩いていると、危険なことがあります。
手前の歩道やラーダの後ろにあるマンホールのフタは、万が一外れても中に落ちない様
に円形になっているはずですが.........ロシアのマンホールは........落ちます。
毎年何人か落ちて死ぬので、絶対にマンホールのフタを踏んではいけません!



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こちらはラーダの四輪駆動車、ニーバ。(たぶん)
ニーバは滅多に見ることがなくて、これが撮影できた唯一の画像。
あっと気が付いてカメラを出しているうちに通り過ぎてしまい、よく確認できなかったので、
まちがってたらごめんなさい。



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こちらは高級車ボルガ。
かなり古そうなので、たぶんソ連時代の製造だと思います。
ソ連時代は計画生産で、「今から半年間はこの色のこの車作ります」てな具合に製造して
たそうで、色を見れば製造年月がわかるそうです。



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こちらは新しい型のボルガ。

というように、いろんな車はいっぱい走っていますが、残念ながらオートバイを見ることは
めったにありません。
ウラルという有名なソ連製オートバイがあるぐらいなので、オートバイもあるにはあるそう
ですが、数が少ないのでまず見かけません。
この寒さとこの路面状況では、かなり危ないでしょうねえ。



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ここで再び問題です。
これはバスターミナルに停まっている路線バスですが、どこかおかしいところがあります。
さてどこでしょう?
熊本県自動車学校の送迎用バスがロシアの路線バス?.......なんてことは、もうおかしくも
何ともないですね、ここまで読んできたあなたには。

そう、正解は「




















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