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シンプル・ライフをつくるためには、なによりも健康に自信を持てるカラダをつくり、その状態を保ち続けることがベーシックです。 健康なカラダとは、ネガティブにいえば、不具合を意識しないでいられるカラダのことであり、ポジティブにいえば、元気満々、日頃から、どのような緊急事態にも即、対応できる準備が整っているカラダのことです。 そしてそのような状態を保つには、二つの方法があります。 一つは、自分の健康については専門家に任せ、定期的に健康診断なり、人間ドッグ入りするなどして、現代医学の粋を尽くしてカラダに起きた異常を早期発見してもらい、すみやかに治療を施していただいて、健康な状態を保つという方法です。 いま一つは、自分のカラダをできるかぎり人まかせにせず、自分でカラダを理解し、常日頃からベストな状態を保てるように自分でケアーしていくという方法です。 後者の方法は前者の方法を選択した人にいわせれば「バカだな。そんなことをしていると、気がついたときには手遅れということになるんだよ」ということになります。そしてその指摘には反論の余地がないことを、後者の方法を選択するばあいには、まず覚悟をしなければなりません。 また前者を選択したばあいは、極端にいえば医者の指示に従い、処方してもらった薬さえ飲んでいれば、日頃、カラダのことなど忘れていられます。しかしながら、後者のばあいは、常日頃から自分のカラダを観察し、「手遅れ」を覚悟で、起きた異常を自分で発見してケアしていく必要があるわけで、そういう意味では毎日が勝負、結構スリリングで、自分のカラダの健康を気づかうことそのものを趣味のひとつとしないかぎり、なかなかできることではありません。なんたって「手遅れ」がすぐ後にいるのですからね。その代わり、日々、健康であることを自覚することによって得られる歓びと、生きてあることへの感謝の気持は他の何物にも代え難いほど深いものがあります。 で、前者を選んだばあいは、残念ながらシンプル・ライフというわけにはいきません。なんたって命を預けるのですから、信頼できる医師のメンテナンスを生涯に渡って受け続けるにはそれなりのナニが必要なわけです。一方、後者のばあい、メンテナンスは「Do it yourself」ですから、ま、国民健康保険税を支払い、いちばん安い共済保健にでも加入していれば、とくにナニの心配はいりません。 しかしながら、なに分「Do it yourself」なのですから、その分、実用的な知識と知恵と呼べるものですが、カラダや食べ物について学ぶことがほとんど無数といっていいほどあります。 で、当然ながら、ここではシンプル・ライフがテーマですから、後者を選択した人にとって必須の知恵や知識について述べていくつもりです。ちなみに、ぼくのばあい、そうと決心してから30数年間、針灸師と整体師と歯医者さんを除いて幸いにもお医者さまのお世話にはほとんどならず、その分、国民健康保険税の節約に貢献してきたわけです。もちろん、明日、手遅れと宣言される可能性は常にあるわけですが…。 |

Step2=健康維持のための必須要件参考点を作る自分で自分のカラダを管理するためには、まず、自分のカラダが「正常に機能しているとき」の状態を掌握しておく必要があります。その理由はそれを「参考点」として異常の有無をチェックしたり、起きた異常を早期に、より正確に察知して、必要な対応処置をとることができるからです。 たとえば、どうもカラダが熱っぽいとか、寒気がするというとき、わたしたちは額に手を当てたり、あるいは体温計で体温を計ったりします。そして普段より体温が高いと、その不具合がカラダの体温調節機能を疎外するような原因によって起きているということになるわけですが、それは普段の体温=参考点を知っているからこそできることなのです。 人のばあい一般に36〜37度の間にあれば「熱はない」「正常だ」ということになっていますが、しかし、正常時の人の体温というのは、じつは人によって違います。十代のころはたしかに36度台の人が多いようですが、20台を過ぎると普段は36度以下という人も結構いるのです。そういう人は37度を少しでも越えるたばあい、一般的には異常はない範囲かもしれませんが、不具合を感じたり、あるいはカゼの引き始めだったりするということもあるわけです。 ですから、参考点として自分の健康なときの体温を正確に掌握しておくということも、自分で自分のカラダをメインテナンスしていこうというばあいは、結構、大切なことなのです。 葛根湯は風邪薬ではないあるいは、「葛根湯」という漢方薬があります。一般にこの漢方薬は風邪薬だと思われていますが、ある意味では、これは大きな誤解です。それというのはすでに熱が出ていたり、あるいはのどが痛かったり、咳が出始めているような、いわゆる本格的なカゼになってしまったばあい、葛根湯を飲んでもほとんど効き目はないからです。二千年ほど前に書かれた中国の医書「傷寒論」に葛根湯の薬効について、つぎように一行で書かれています。 太陽病 項背強几几 無汗悪風 葛根湯証主之 太陽病というのは、症状が表面に表れる病という意味で、その表面に表れる症状というのは項背強几几(こうはい きょう しゅしゅ)、首から背筋にかけて背中が机のように硬くこわばった感じがして、無汗悪風、汗が出ず、風に当たるとぞくぞくと寒気がする、そういうときに葛根湯が効くと書いてあるわけで、風邪に効くとは一言も書いてないのです。 もっとも項背強几几 無汗悪風という症状ーー背中が首筋から縦に背骨に添ってこわばった感じがして、汗が出ず、普段は気持ちがいい風が、なぜか当たるといやな感じがして、ぞくぞくするーーというのは、他ならぬ風邪を引き込みそうになったときに起きる最初の症状で、それが葛根湯は風邪薬だという誤解を生む原因になっているのですが、じつはこのカラダというセンサーが感じる、ある意味では予知とも呼べるような小さな異常は、日常、余程、気を配っていないと簡単に見逃してしまうほど微妙なものです。とくに自分のカラダを医者任せにして、カラダが感じ取ってくる異常に無関心になってしまっている現代人のばあい簡単に見逃してしまう程度のものです。しかし、この段階で、すばやく異常を察知して飲めば、風邪を引き込むまでに防ぐことができるというのが葛根湯という漢方薬なのです。 日本ではもっとも早く漢方薬の重要さに着目した西洋医で、東京・六本木で西華クリニック診療所を開いている新井基夫博士は、そういう初期の異常を察知できる能力を回復すれば、葛根湯を飲まなくても、その段階で香辛料をたっぷりかけた熱いラーメンを食べて汗でもかけば、風邪は予防できると断言しておられますが、葛根湯という漢方薬は述べたように風邪を治すのに役立つ薬ではなく、そうした風邪になる前に起きる、いわば、予兆を関知することができてはじめて役立つ薬だということなのです。 したがって、葛根湯を有効な薬として役立てるためには、述べたように人によってそれぞれ違うわけですが、自分なりのカラダをセンサーとして異常を察知するために必要な「参考点」を確立しておく必要があるわけです。 そこで、今回はその参考点の作り方です。 寝る前の布団の中で人は毎日、必ず寝ます。そして、人が心身ともにいちばんリラックスできるのも(恋人が横にいるばあいを除いて)そうしてベットなり布団なりの上に横になったときで、それはまた、自分のカラダの状態をチェックする参考点を設定するチャンスでもあるのです。さて、まず、布団の上に仰向けに寝て、手のひらを上向けにしてカラダに添って延ばし、足は肩幅の広さぐらいに開いて延ばします。この姿勢はヨーガでは「アサーナ」と呼ばれるリラックスするときの基本姿勢です。 ついで、全身の力を抜き、ゆっくりと自分にとってもっとも自然な速度で、できれば腹式呼吸を数回繰り返して気分を落ち着けます。 この段階でどこにも痛いところや不具合がなく心身ともに落ちつけるようなら、第一関門は突破で、そのときの気分やカラダの状態を記憶します。 ついで、一般には心臓から遠い方の足、左足からやった方がいいといいますが、足首を起点にして足先をつま先立ちに延ばしたり、逆に足先を膝の方に向けて引きつけたり、指先を握るように縮めたり、逆に延ばしたり、開いたり、あるいは足首をぐるぐると回したりしたりして、痛いところはないか、異常を感じる場所がないか、あるいは左右とも同じように動くかを確かめます。その際、どこかの関節がコリコリと音を立てたりすることがありますが、それによって痛みを感じるほどではなければ問題はありません。むしろコリコリと音を立てながら調整されているぐらいに思った方がポジティブでしょう。そうして左右の足の足首から下のチェック(慣れれば両足を同時にやっても問題はありません)をして、とくに異状がなければ、その正常時の状態(足先をどの程度延ばせたか、あるいは引きつけたときの角度やまわり具合)を感覚的に記憶します。 その次は手首から先を同様に動かして異状がないか、正常なときはどの程度自由に動くものかを覚えます。 それが終わると、ふたたびアサーナの姿勢に戻って一休みします。 つぎに、足先を揃えて、膝を曲げ、そのとき、両手で膝を持ってもかまいませんが、両膝を胸の方に引きつけます。胸につくぐらい引きつけて、そのときに腰に痛みを感じるようなことがなければ問題ナシ。 ついで、膝を曲げた(足を立てた)状態で、膝を左右に開けるだけ開きます。もちろん、大きく開ける方がその分だけ股関節が柔軟だということですが、ここで注目すべきことはどれだけ大きく開けるかということより左右対称に同じように開けるかどうかということです。同じ程度に開けるなら、とりあえず問題はないでしょう。しかし、どちらかが開ける度合いが少ないようなら、少ない方の股関節に問題があるということです(どうやって直すかは別に述べますし、あまりに違いすぎるようなら、一度カイロプラクティクなど整体の先生に相談してみるといいかもしれません)。そしてとりあえず、対称に開けるようなら、その角度をアタマに入力します。 股関節のチェックを終えたら、アサーナの姿勢に戻り、足を延ばしたまま、片足を腰の方に向けて引きつけ、反対側の足は逆に下に延ばします。つまり骨盤を中心に一方の足を上に引きつけ、片方の足を下に延ばしてみるわけです。それを代わる代わるやってみて、両方が同じように縮められ、あるいは延ばせて、どこにも痛みを感じなければ問題はありません。 その動作を行う際、じつは恥骨の前の中央にある合わせ目に指先を当てて、足の動き合せて左右対称に動くかどうか(恥骨のいちばん高くなっているところの下側を指で探ると、そこが落ち込むような凹みになっていて、その凹みの上辺に指先を当てていると動くのがよくわかる)を調べ、高さも動きも左右対称なら、とりあえず、骨盤については芳香を疎外するほどの歪みはないと思ってもいいでしょう。 これで骨格のチェックの一段階を終えます。さらにくわしく、調べる方法や簡単な異常を直す方法はステップを別にして述べます。ついで内臓の状態のしらべかたを述べてみます。 痛みがなく柔らかいことアサーナの姿勢で、ゆっくり息をして心身をリラックスさせた後、利き手の四本の指を揃えてまず鳩尾(肋骨分かれ目=胃のあるところです)をゆっくり押し込んでいき、痛みがないか、あるいはどの程度、押し込むと痛くなるか、そしてもう一つ、どの程度の柔らかさを持っているかを指先に覚えさせます。つぎは肋骨に添って鳩尾の右側(肝臓のあるところです)を押し込んでいき、同様に痛みや柔らかさについての情報を指先に覚えさせます。 その確認の仕方としては、まず目的の場所に指先や掌を当てから息を吸い込み、ゆっくり息を吐きながら指先を押し込むようにしていくという原則を作ってチェックするようにしていけばいいと思います。ついで鳩尾の左側、両脇腹、へその左右といった順番でお腹全体を上の方から下腹部へとまんべんなく、各部分の硬さ、柔らかさ、あるいはどの程度押し込めば痛くなるかといった情報を指先や掌から覚えさせていきます。 そうして健康時のお腹全体の痛さや柔らかさ(たとえば、左の下腹部では直腸に便が溜まっているばあい、その固さや軟らかさもわかります)を覚えておくと、健康状態をチェックするとき、あるいはカラダの調子が良くないときとか、たとえば胃が痛いとか腸の具合が良くないといったときに、それを参考点として、どの辺りに原因がありそうか、見当をつけることができるわけです。 ステップ2としては、まずここまでです。 で、参考点とどこがどう違っていれば、どういう問題があるかといった詳細については追々述べていきますから、まずは上記のような方法にしたがって、「参考点」をしっかりと確立してみてください。 そして恋人が隣りにいないときなど、日常生活の中でときどき、上記のような方法で異常がないかどうかの確認をとっていくわけです。で、ほとんどのばあいそれは単に異常がないことを確認する行為に終わるわけですが、しかし、だからといってそれは決してムダなことではないのです。 なぜなら、そうして健康であることを再確認したことで得られる安堵感がナニにも増して深い眠りを呼び込む好ましい心理的要因になるからです。そうして、ぐっすり熟睡することで、周知のように疲労がすみやかに取り除かれ、より健康が促進されるという健康維持にとっては最高の好循環を生み出すサイクルができ上がるからです。 そうそう、参考点作りの途中で心身をリラックスさせたために眠たくなるということがしばしば起こります。そのばあいは逆らわずに眠っていいのです。なんたって眠ることはナニよりも健康の秘訣ですし、それに人生は長いのですからね、急ぐ必要はなにもないわけで、参考点作りはまたの夜にして、まずは休息第一。なにごとも慌てず、ゆっくりと、スローに、です。 |

Step1=カラダについての基礎的理解人間のカラダは「水の入った皮袋」である。遊牧民が羊などの家畜の中身(!)を抜き取り、四肢の先と肛門と首の部分を紐で縛って作った皮袋を水筒として使ったり、その皮袋に乳を入れて揺すってチーズを作ったり、あるいは空気を入れて川を渡るときの浮き袋として利用している様子をテレビのドキュメントなどで見たことがあるかもしれない。じつは、人間もまったく同じ、基本的には70数%の水分が詰まった皮袋なのだ。しかし、それだけでは人間らしい形を保つことなどできないし、動くといっても、せいぜいが軟体動物のようにぐにゃりぐにゃり転がることができるくらいで、立ったり座ったり、ましてや歩いたりすることなどは到底、不可能だ。それを可能にしているのは、その皮袋の中にあって、人間らしい形に整える役割を果してもいる合計213個の骨なのである。 まず大地に上に立つ左右の足の部分にはそれぞれ31個(合計62個)の骨が棒状に組み合わさって、それが左右から骨盤を支えている。 62個の骨に支えられた骨盤の真ん中には、昔は尻尾(尾骨)につながっていた仙骨という平らな骨がくさび状にはまっていて、その仙骨を土台にして直立歩行をはじめた人間にとっては大黒柱といえる24個の椎骨が柱状に立ち、その上に頭蓋骨を載せている。 24個の椎骨は、詳しくいうと、下から5個の腰椎、その上に肋骨につながっている12個の胸椎と、直接頭蓋骨を支えている7個の頚椎で構成されていて、胸椎から出た肋骨をカラダの前面でつないでいる胸骨のいちばん上の骨に鎖骨がつながっていて、それに左右32対の骨でできている手の骨がつながっている。 これらの骨は不動関節といってほとんど動かない関節もあるが、そのほとんどはユニバーサル・ジョイントといえる可動関節で接続されていて、それぞれの骨と関節は簡単に外れたりずれたりしないように、その周囲は「腱」という膜状の紐によってがっしりと固定されている。 つまり人間という皮袋にはそうして213個の骨が入っていて、しかもその骨の一つひとつが関節と腱というパーツの助けを借りて精密につなぎ合わされ、組み立てられた〈骨組み〉のおかげで、ありがたいことに!とりあえず人間らしい形に整えられているのだ。なにごとも自分でキメられず、ぐずぐずした人のことを「骨がない」といったりするけれど、たしかに骨がなければ、人はぐにゃぐにゃの形の定まらないナマコのような水の入った皮袋に過ぎないのである。 骨について最も重要な事実これで骨のありがたさ、大切さがお分かりいただけたと思うが、この事実は、われわれ人間が自分の心身の健康を考えるとき、なによりもまず注視すべきは人間を人間の形たらしめているこの骨組みであることを示唆している。シンプルにいえば、この骨組みが一つの狂いもなくキチンと組み合わさっていて、各部のユニバーサル・ジョイントが可能な分だけスムーズに動いているかぎり、そして、そういう良好な状態が保ち続けられているかぎり、人はいつまでも健康な状態を維持し続けていくことができるといっても決して言い過ぎではないのである。 さらに、である。先にこの骨組みは合計213個の骨でできているといったけれど、ここで注目すべきはじつはこの213個の骨の配分なのである。 たとえば足の骨は左右32対、合計64個の骨でできている。詳しくいうと、腰から膝までは寛骨(骨盤)と大腿骨の2対、膝から足首までは膝蓋骨(いわゆるお皿)、脛骨、腓骨の3対、足根骨が7対、中足骨が5対、指骨が14対の合計32対。つまり、片方の足でいうと腰から足首までには5本の骨しかなく、その大半、26個が足首から下に集中しているのだ。 そして、この足首から下の26個の、いわば小骨が、複雑に組み合わさって全体重を支え、なおかつ歩いたり、ジャンプしたり、いきなり横移動したり、あるいは重いものを持って歩いたりといったわたしたちの日頃のさまざまな動きに対応して、その都度、26個の小骨が瞬時に組み合わせ位置を変えながら、足の裏にかかる衝撃のすべてを吸収し、ときには全体重の何倍にも及ぶ重みを支えているのだ。 同様に上肢(腕から指先まで)のばあいも32対の骨でできているのだが、そのうちの27個は手首から先に集中している。つまり、213個の全身の骨のうち、その半分にあたる106個は足首と手首から下あるいは先にあるということなのである。そして足首から下、手首から先にある小骨といえる小さな骨の複雑な組み合わせと動きが人間らしい動きを可能にしているのである。 つまり、あえていえば、大腿骨や上腕骨などという大きな骨は単に人間らしい形にするためにある骨に過ぎない。重要なのは手足の先にある106個の小骨であって、その組み合わせがちょっとでもずれたり、狂ったりすると正常な動きができなくなり、さらには、これらの小骨に狂いが起きると、それを補正しようとして骨と骨をつないでいるジョイントつまり関節部分が不自然な動きをするようになり、それをそのままにしておくと、やがて取り返しが付かないような骨組み全体の不具合やジョイントの不具合を引き起こす原因になるのだ。大胆にいえば、骨組みやジョイントの不具合は手足の先にある106個の小骨の組み合わせやあるいはジョイントの不具合に起因しているといっても過言ではないのである。そしてこの事実を逆から見れば、骨組み全体の不具合は、じつは手足から先にある小骨があるべき位置あるようにキチンと調整していけば、修正していくことが可能だということも示唆しているのだ。 ちなみに、整骨師や整体師を訪ねたとき、いきなり、背骨や首の骨を調整しようとする師はあまり信用できないと考えてもまず間違いはない。すぐれた師はまず全体を観察した後、かならず、手足の末端を見て不具合の原因を探り、そしてカラダの中心から遠いところから、その調整に取りかかるのである。 これで手足から先にある小骨たちの重要性がおわかりいただけただろうか。 日頃、わたしたちは手足を便利に使っているけれど、それらは体全体にとってきわめて大切な部分であり、とくに医師のお世話にならないようなシンプルライフを心掛ける者にとっては、とりわけて大切に扱わなければ終生の苦労を背負うことになるかもしれないような重要な部分であるということはあまり意識していないのではないだろうか。そんなわけで、この知識はこの先、わたしたちが自分のカラダを考え、あるいはその不具合を自分で調整していくときの重要な手掛りとなるものだから、しっかりとアタマに叩き込んでおいてほしい。 骨組みを意識することもちろん、人間のカラダは「食」=食べ物と空気によって維持されているわけで、いくら骨組みに気を使っても、「食」がでたらめであっては健康なカラダを保つことができないのはいうまでもない。しかしながら、クルマでいえば、「食」とは、ガソリンに当たる「栄養」と、それを完全燃焼させるのに必要なエア=きれいな「空気」とオイルに当たる「栄養素」ということになるが、どんなにいいガソリンを食わせ、いいオイルを補給しようと、車体そのものがガタガタでは安全走行などムリであるのと同じように、車体に当たるカラダがパーフェクトに整備されていなければ、いくら「食」をよくしても文字通りムダ飯なのだ。 つまり、健康なカラダであるためには、親から与えられた車体、じゃなかったカラダをきちんと整備していくことこそがまずなによりも先決なのである。このことを、まず、しっかりとアタマに入れておいてほしい。もちろん、金はなくとも健康でいたいというばあいの話だが。 つけ加えておけば、人間は周知のように自然治癒力あるいは免疫力といって、自分で自分の不具合を直す力を持っているが、その力の強弱もじつはこの骨組みの良し悪しに深く関係していて、狂った骨組みを糾すことで、強い免疫力=自然治癒力を持ったカラダを作ることも可能だし、追々述べていくが、少々の不具合なら簡単に直すことも可能なのである。 では、理屈ばかりではしょうがないから、まずはその第一歩として簡単な実践編と参ろう。 まず、骨組みが正しく組み合わさっているかどうかをどうやって知るかだが、それは簡単である。 日常生活を送るについてなんの支障もなく、これといって痛いところや不具合もなければラッキー!、まず、大きな狂いはないといっていい。 しかし、だからといってまったく狂いがないとはいえないのもまた事実なのである。それというのは、人間には「慣れ」というものがあって、少々の狂いなら受け入れる余地があるからだ。たとえば、カラダが固いばあい、固いなりに動く範囲で動かすという習慣がついていて、それを不具合とは感じないし、姿勢が悪いというのは他ならぬ骨組みに狂いが生じている証拠なのだが、少々の悪さなら悪いなりに不具合を感じずに、とりあえずは問題を感じないでいられるからだ。 しかしながら、感じない不具合をそのままにしておくと、いつの日かかならず健康を疎外する原因になる。 そこで、だ。なんの不具合も感じない段階で、骨組みを糾しておくに越したことはないわけで、そのためには、まず意識することなのである。 たとえば、そういわれてみれば、たしかに姿勢が良くないとか、関節が固いゼヨと思い、それを直したり、関節に人並の柔軟さを取り戻す必要があると感じたばあい、まず姿勢についていえば、日常生活の中で〈意識して〉背筋をまっすぐ延ばすように心掛けることでよくすることができる。 良い姿勢とは骨盤の中心、先に述べた仙骨の上にまっすぐに椎骨=背骨が立てられるかどうかで、これは立った状態や座った状態のときだけではなく、歩くときに〈意識して〉あごを引き背筋をまっすぐ延ばして歩くように心掛けていけば自然に矯正できるものだ。関節の柔軟さというのは、他人に較べて固いなと思える関節を決してムリをせず、日常生活の中で、たとえばテレビを見たりしているときでもいいのだが、〈意識して〉延ばしたり縮めたりしていれば、急にではないけれども、ある日ふと「おお、ずい分と柔らかくなっておるではないか」と我ながら感動するといった具合に少しづつ少しづつだが確実に柔らかくしていくことができる。 つまり特になにかをしなくても、その事実を〈意識する〉、それだけで、十分〈骨組み〉を糾すことは可能なのである。まずはトライ。 (カット=『絹本着色骸骨図』葛飾北斉(1760〜1849)作=東京・元浅草/誓教寺蔵) |
