震災・復興記録保存問題の課題と展望1

一橋大学社会学部(旧・神戸大学国際文化学部) 中野 聡

1.目的

兵庫県南部地震発生後2年を経過した現在、膨大な量に達し、刻々と増え続け、同時に散逸しつつある震災・復興関連記録をどのように保存・整理・公開してゆくかが、重要な課題となっている2。付属図書館に震災文庫を設置して(199510月公開)いちやはく震災・復興関連資料の受託・公開に乗りだした神戸大学は、この問題に大きな役割と責任を担う存在である。そこでここでは、震災記録保存運動の現状を整理するとともに、その課題を検討したい。なお、この課題は継続的な調査・研究課題であり、本報告は中間報告および今後の調査研究のための覚書としての性格をもっていることをあらかじめ断っておく。

2.記録保存のインフラストラクチャー

このたびの震災と復興をめぐって、なぜ、記録保存運動が注目を集めているのか。震災が人々に与えた衝撃の大きさが前提であることは言うまでもないが、このような運動や問題意識の存在じたいが、日本の、とりわけ地域社会における記録(史資料)保存のインフラの貧困を示していることは否定できない。今回の震災をめぐってしばしば比較の対象とされる米国カリフォルニア州の場合、1989年のサンフランシスコ地震、1994年のノースリッジ地震などをめぐって、とくに記録保存は重要な課題とはならなかった。それは、地域における記録保存・公開のインフラがすでにかなり成熟していて、震災・復興過程についても記録の保存・整理・公開のメカニズムが「自動的」に機能したからであろう。

それでは記録保存のインフラとは、どのような要素から成り立っているのだろうか。記録は、その所持者がこれを作成・保存し、何らかのかたちで社会に公開することによってはじめて社会が共有する知的財産・公共財としての意味と価値をもつ。そのためにはまず、 (1)記録の作成・発信者がこれを保存・公開すること、(2) 記録を受託・管理して一般の公開に供する記録デポジトリが存在すること、そして、 (3)記録の保存価値についての社会的な合意が存在して、保存・公開のルールが確立することが必要である。本稿ではこのうちとくに、(1)記録発信者、(2)記録デポジトリの両者の側からみた日本の記録保存インフラの問題点および震災記録保存問題の現状を整理・考察してみたい。

3.記録発信者からみた問題

 

(a)公的組織が所持する記録の保存と公開

今回の震災では、震災直後の初動体制や国政・自治体レベルの「危機管理」、諸外国の救援運動に対する外交上の対応、復興事業(区画整理事業、仮設住宅の設置・維持・撤去、被災者支援諸事業・地震共済制度問題など)をめぐる政策決定過程が関心を集めている。主として政府・自治体が所持する、これら諸問題に関する記録の保存と公開が重要な意味をもつことは言うまでもない。

しかし、公的記録の保存・整理・公開については、従来から日本と欧米のあいだで大きな格差が指摘されてきた。たとえば米国では、公的な意思決定の過程は、通常、文書化され、記録される。米国連邦政府は、その全記録を「情報の自由法(Freedom of Information Act 1966年制定)」に基づく市民の開示請求によって、公開ないし公開を検討する義務を負う。国立公文書館・記録局(National Archives and Records Administration)は、連邦政府(司法・立法・行政)の全部局が発信・受信した、記録価値のある全記録の受託・公開を原則としたうえで、プライバシーの保護や一定期間の機密資料公開の制限規定を設けたうえで、一般の閲覧に供している。州政府等の自治体レベルでも、カリフォルニア州立公文書館(California State Archives)など、おおむね同様の記録の保存・公開の原則およびそれに対応した部局が存在する。

これに対して、日本の場合、まず集団の意思決定にかかわる「政治文化」の相違を背景として、米国ならば政策決定に付随して必ず発生・保存される記録がそもそも残されないという問題がある。さらに、情報公開制度がまだ整っていないために、政府・地方自治体の情報公開への対応が消極的で、情報公開を前提とした文書管理も適切に行われていないという問題がある。政府の記録デポジトリとしては、国立公文書館、外務省外交史料館などがあるものの、その資料公開のレベルやテンポは、欧米の公文書館と比較して大きく遅れている。

近年、日本でも情報公開に向けた動きが目立つようになった。国政レベルでは、行政改革審議会の情報公開部会において情報公開法要綱案が起草され、法制化に向けた進展が見られる。また、自治体の多くにおいて、すでに情報公開条例が制定され、市民からの開示請求によって公費不正支出問題など多くの事実が明るみに出ている。しかし、日本の情報公開問題は、いまのところ、情報の請求者・被請求者の双方において、予算・決算等の行政情報や内申書等個人情報の本人開示などに関心が集中しており、歴史的価値をもつ公文書の保存・整理・公開は、あまり問題とされていない。情報公開法要綱案の検討においても、「公文書館等において歴史的若しくは文化的な資料又は学術研究用の資料として特別に保有しているもの」については、それぞれ定められた開示範囲、手続き等の基準に従った利用にゆだねるべきだとして一般的な開示請求制度の対象文書には含めないこととしている4。一方、地方自治体では、東京都、神奈川県、大阪府などに公文書館があるものの、公文書館を設置していない自治体がほとんどであり、現に行政機関が保有している情報を、いつ、どのような基準で、どのように歴史的文書として保存・管理するのかについてのルールは確立していないのが現状である。

公的組織が所持する震災・復興関連記録のなかには、個人情報保護の観点などから現時点では一般公開になじまない公文書が含まれている。震災・復興関連資料として公的組織が発信しているのは、これまでのところ、各組織から刊行されている報告書が中心である。言うまでもなく、準1次資料としてこれらの記録がもつ価値は大きいが、当事者が公刊した記録の限界もまた明らかである。一定の期間が経過したのち、適切な個人情報保護の措置をとったうえで、第3者が自由な眼で震災・復興関連の行政資料を歴史資料として検証するため自由に検索・閲覧できること──県・市レベルにおける公文書館の整備──が強く望まれる。

 

(b)私的組織が所持する記録の保存と公開

個人や私的組織が作成した記録は、原則として当該記録の所持者に記録の保存・公開についての選択の自由がある。したがって記録の所持者が保存・公開への意欲や知識をもつことが必要である。このうち私的組織という点では、各種ボランティア団体、NGO、NPO諸組織が震災・復興問題をめぐって発信した情報の記録価値はきわめて高い。日本のボランティア活動史において震災が歴史的契機となったことは疑いのない事実であり、これら諸組織の活動実態や、活動を支えた人々、震災後の社会のありさまに関する記録は、今後、人文・社会科学研究上の貴重な資料になってゆくであろう。

この方面では記録保存の動きも早く、各種団体を網羅する組織として震災直後の19962月に発足した阪神大震災地元NGO救援連絡会議(草地賢一代表)の「ボランティア問題」分科会で、自らの活動を記録に残して今後の反省の材料にしようとの機運が高まり、同年327日には震災・活動記録室(実吉威代表)が発足、513日には神戸市外国語大学において「やったことを記録に残すボランティア大集会」が開かれ、初期ボランティア活動についての記録数百点が集まった5。同記録室は、その後も避難所で発行されたミニコミ誌、チラシ、ボランティアの日誌などを収集、19971月現在で3000点近い資料を保存し、その一部を記録室文庫として公開しているほか、神戸大学震災文庫にも記録の一部を寄贈・公開している。

しかし、ボランティア運動は、本来、震災・復興支援に全力を注ぐものであっただけに、自己の活動記録の整理・保存じたいに同様のボランティア的情熱や人員を投入する余裕がもてないのは、やむを得ないことでもあった。ボランティア団体以外にも、企業、地区の自治会、親睦団体、宗教団体など、さまざまの私的組織が、震災・復興にそれぞれの立場から取り組んだ記録を所持している。この場合も、各組織の潜在力の大半は復興努力に捧げられてきたので、自発的・自覚的に記録の作成・保存を求めることには限界があった。いずれの場合も、第3者的な立場からの記録の収集・保存活動が必要となるだろう。

 
(c)個人が所持する記録の保存と公開

次に、個人の場合を考えてみよう。この場合も、私人としての個人、公人としての個人によって事情が異なる。まず私人の場合を検討してみる。

日記・書簡・メモ・写真(ビデオ)などの手段で自己や家族・家産の記録を保存する意欲は、日本社会において決して低くはない。むしろ、記録マニアとしての国民性さえ指摘できるだろう。しかし、欧米では多くの私文書が寄贈・公開されているのに対して、日本では、私文書が大学等に所蔵されるのはおおむね近世史資料までにとどまり、近現代の私文書の整理・公開は、作家・文学者など(近代文学館や国文学資料館)に限られている。個人が図書館・博物館等に寄贈する対象は、蔵書(○○文庫)、絵画・骨董(○○コレクション)など、図書館・博物館のコレクションを補完する性格にとどまっているのが常である。

欧米では、公人としての個人が所持する資料の保存・公開も盛んである。たとえば米国イェール大学所蔵のスティムソン(Henry L. Stimson, 1867-1950 国務長官など歴任)文書のように、公的決定に関わる資料(政府・外交文書など)を、組織だけでなく個人が同時に保有していて、後年、自分とゆかりのある地域の文書館・図書館や出身大学の図書館などに私文書とともに寄贈する場合が少なくない。むしろ要人の個人文書は寄贈されるのが普通である。こうして公開される個人文書は、国立公文書館や大統領図書館(Presidential Libraries)などで公開される公文書を補完したり、公文書からは明らかにできない政策決定過程の背景などを知るうえで重要な役割を果たす。むろん、それらの文書は、プライバシーや公益・国益保護の観点からさまざまの公開制限が加えられており、各文書館の規定にしたがって、また、記録の寄贈者やその遺族の意向を尊重して保存・管理がなされている。資料の寄贈・受諾はただちに公開するためというよりは、あくまで「歴史遺産」として後世に残すことが目的であり、多くの場合は、後年、適切な時期に公開されることを前提とされているのである。

日本でも、重要な公的決定に関与した個人が原資料を保有していたり、それに関連したメモや日記を残すケースは少なくない。しかし、それらの記録は一般に公開されることなく「死蔵」されている場合がほとんどで、研究者は本人・遺族と私的に交渉したうえでそれらの資料を閲覧したり、提供を受けたりしているのである。

ここで注目されるのは、震災・復興記録の保存運動が、個人資料の寄贈・公開の気風に欠けていた日本の従来の状況に一石を投じつつあることである。神戸大学震災文庫をはじめとする記録デポジトリは、原則として震災に関連するあらゆる記録の寄贈を、広く市民・団体・関係者に対して呼びかけている。これまでのところ個人から寄贈される資料の中心は、写真、ビデオなどの映像資料やチラシなど匿名性の強い記録が中心であった。しかし、今後、より私文書的な性格の資料(日記、メモ、書簡類)が寄贈・収集の対象となることも考えられる。それらが蓄積されて公開されれば、欧米の私文書公開にかなり近い形態となる可能性もある。

一方、公人として関与した個人が所持する記録については、残念ながら今のところ日本の政府・自治体関係者、消防・警察関係者などが個人資料を寄贈する可能性は低い。ただし、比較的自由な立場にありながら公的な資料を所持する個人として、ボランティア団体の主催者や大学関係者などが、資料を寄贈することは可能である。震災・復興のさまざまな現場に関与してきている神戸大学教員の多くは、自らが価値ある膨大な資料の所持者であることを自覚してその保存と整理にあたり、適切な時点でこれを震災文庫に寄贈するべきであろう。

4.記録デポジトリからみた問題

 

(a) 日本の記録デポジトリとその問題点

日本の記録保存インフラの貧困という点で、記録所持者をめぐる問題以上に深刻なのが、記録を受託・管理・公開する「受け皿」すなわち記録デポジトリの問題である。たとえ記録所持者レベルにおける記録保存・公開への意欲が高まったとしても、デポジトリが充実せず、公開・利用のしくみが整わず、社会における認知度が高まらない限り、記録は散逸してしまう。逆に、記録デポジトリが充実すれば、死蔵されている多くの価値ある記録が各方面から提供される可能性がある。

日本でも個人の記録公開意欲が十分に高いことは、インターネット上における個人ホームページの激増ぶりから見ても明らかである。ホームページの開設者たちは、自らが所持する発信価値のあるユニークな情報を──ある意味では自らがアーキヴィストとなって──階層的に整理したうえで、一般の閲覧に供している。これはちょうど欧米における私文書寄贈の際の作業に似ている。プロバイダは、ある意味で、巨大なデジタル・アーカイヴである。

もちろん、プロバイダと文書館・史料館を同一視することはできない。前者は一種の巨大な壁新聞のためのスペースを提供しているに過ぎず、情報は原則として「たれ流し」される。記録の寄贈者と受託者の間で情報の記録価値を十分に検討し、公開の条件を厳格に規定、よく整理したうえで保管・公開するのでなければ、アーカイヴと呼ぶことはできない。とはいえ、インターネットの普及は、もしこれと同様のレベルで個人記録を一般の閲覧に供する場として文書館・史料館のような記録デポジトリが普及し、人々に広く知られ、かつ、利用しやすかったとしたら、日本でも大量の個人記録が保存・公開される可能性があることを示したと言えるであろう。

米国カリフォルニア州の例をあげてみよう。同州では、インターネット上にホームページを開設している文書資料の記録デポジトリだけでも78箇所にのぼる(このなかには、カリフォルニア州公文書館、サンフランシスコ市立図書館、同市立博物館などは含まれていない6)。これに対して震災以前から開設されてきた兵庫県・神戸市内の記録デポジトリは、神戸市文書館や兵庫県立図書館郷土資料室などをあげうるのみで、しかも同施設の受け入れ資料は、従来、近世史までの史資料であった。

この格差は、地域の公共図書館や大学図書館に近現代史資料を対象とする文書館・史料館が併設されていないところにの最大の要因がある。カリフォルニア州の78箇所のデポジトリのうち過半数の40箇所は、州立大学・カリフォルニア大学等の大学図書館に併設された文書館・史料館である(このほか、国立公文書館の支所、国立公園・国立史跡(National Historical Site)に附属した史料館や、市立・州立の各種博物館・図書館・公文書館、地域の歴史協会、私的な図書館・文書館などがある)。個人から見ると、地域の公共・大学図書館や、出身大学の図書館などが、よくその名が知られ、また資料寄贈の際に敷居が低く気軽に相談ができる存在となっている。これに対して日本では、公共・大学図書館のほとんどが、これまで、受け入れ対象を刊行物あるいは製本・冊子化された資料に限定して、文書資料を受け入れる体制をもたなかったのである。

震災・復興記録の保存問題は、このような日本の図書館のあり方に制約されると同時に、その従来のあり方に変革を促す契機ともなっている。この観点から、記録デポジトリによる震災・復興記録保存に向けた動きを整理してみよう。

 

(b) 震災記録のデポジトリ

震災記録の収集・保存の動きが図書館関係者の間で本格化したのは、「震災記録を残すライブラリアン・ネットワーク」が公共図書館を中心に活動を開始した19954月頃からであった。このあと、717日には、阪神大震災地元NGO救援連絡会議(先述)や、兵庫県・大阪府の18自治体の図書館関係者、神戸大学付属図書館関係者などが集まって、記録収集のノウハウや図書館間の協力体制についての研修会が開かれた7。現在、震災記録のデポジトリとして活動している主な図書館としては、(a)神戸大学付属図書館震災文庫(b) 神戸市立中央図書館(震災関連図書コーナー)、(c) 兵庫県立図書館郷土資料室(震災資料コーナー「フェニックス・ライブラリー」)などがある。また、記録の収集・保存に乗り出している自治体の動きとして、(d) 財団法人・21世紀ひょうご創造協会(兵庫県)、(e) 尼崎市立地域研究史料館などがある。さらにNGO団体として、すでに触れた(f) 震災・活動記録室のほか、文化財文書修復の専門性を生かして被災史料の救出・修復活動を行い、現在は市民からの写真記録の収集に力を入れている(g)震災記録情報センター(坂本勇事務局長)が記録保存運動のネットワーク化に努力している。このほか、(f)東京大学生産技術研究所など幾つかの大学の研究センター、研究プロジェクトが震災記録の網羅的な収集・保存を試みている。

このうち、記録の受託だけでなく、整理・公開という点でデポジトリとしての十分な機能を発揮しているのは、大学・公共図書館である。これは、図書館が資料整理のノウハウをもつ人材──ライブラリアン(司書)──を擁しており、記録の保存・公開の施設・場所を有していたためであった。なかでも神戸大学付属図書館は、被災者救援や図書館復旧に人員を割かれて記録保存活動の開始が遅れた公共図書館と比較して、国立大学図書館として記録保存活動を早期に開始し得る立場にあり、また早い時期に館長が行動開始を決裁したために、今日、最も充実した記録デポジトリとなっている。現在その資料点数は約8000点にのぼり、インターネット上で資料目録が公開されている。

ここで注目されるのは、震災・復興記録の収集・保存活動が、ライブラリアンに対して、従来の図書館業務を超えた課題をもたらしていることである。

第1に、資料収集の方法にまず大きな違いがある。従来は、図書館や教員が選書した本を発注・購入・整理することが一般的な収書(資料入手)方法であった。これに対して、震災記録の場合、一般の図書として購入する分とは別に、記録資料の寄贈を広く呼びかける、あるいは個別に記録の寄贈依頼をすることで資料を入手しなければならなかった。具体的な寄贈依頼を行うためには、資料発生の時と場所を特定して依頼状を発送しなければならない。そのためには、新聞・雑誌のチェックなど、基礎調査にかなりの時間が必要であった。

第2に、震災記録の多様性という問題がある。震災は、自然環境・人間(社会)環境の文字通り全てに衝撃を与えた現象であり、記録の形態もまた限りなく多様である。震災関係の記録デポジトリの多くが、震災に関するあらゆる形態の記録の寄贈を人々に呼びかけているのも、震災記録の多様性ゆえに、あらかじめ収集資料の対象が特定できないことを示している8。神戸大学震災文庫では、図書館の一般蔵書とは区別して震災文庫独自の分類表によって資料を整理しているが、これも、写真や、ビラ・チラシといった1枚ものの資料など、これまで図書館が扱ってこなかった形態の資料を扱っているためである。情報化時代に起きた震災であったことも反映して、ニューメディアによる資料も多い。

このように、震災記録の収集・整理活動は、これまでもっぱら刊行物を扱ってきた日本の図書館にとって、資料入手の方法、資料形態、資料整理の方法ともにかなり異質な要素を含んでいる。ひとことで言えば、震災記録の収集・保存活動には、アーキヴィスト的な要素がかなり入り込んでいるのである。図書館業務と文書館・史料館業務は、本来、それぞれ異なる専門性をもった仕事であり、欧米の図書館の多くは、人員・施設ともに分離している。しかし、震災文庫をはじめとして図書館に付置された震災記録のデポジトリでは、ライブラリアンが、本来の業務に加えてボランティア・ベースで試行錯誤的に経験を積みながら、震災記録の収集・整理にあたっているのが現状である。その背景に、施設・人員・予算の厳しい制約のもとにおかれた現在の大学図書館・公共図書館の現実があることは言うまでもないだろう。

5.課題と展望

本稿で検討した記録の発信者、記録デポジトリ双方が抱える問題は、記録保存インフラを発展させてゆくうえでむろん相関的な要素である。個人の記録保存・公開への意欲と知識が高まり、社会的なしくみが成熟すれば、記録保存デポジトリの施設・人員の充実に対して応分の財政支出をすることへの社会的合意も高まるであろう。一方、記録デポジトリが充実し、その存在が広く市民の間で知られるならば、人々の記録保存および所持記録の寄贈への意欲は高まるに違いない。いずれにしても重要なのは、記録保存インフラの第3の要素、すなわち、価値ある記録を市民共有の財産として保存すること、すなわち地域の歴史を公共財として認める社会的なコンセンサスが生まれ、記録の保存・公開のルールが確立することなのである。

「忘れないこと」が、ひとつの合い言葉にさえなった兵庫県南部地震に伴う震災と復興は、少なくとも阪神地域において、記録保存への市民のコンセンサス形成の大きな契機となった。しかし、この運動が、より全体的・総合的な地域の史資料保存運動に発展しなければ、震災・復興関連資料の保存そのものを長期的に成功させることも難しい。

関東大震災を例に考えてみよう。それは、震災を体験した全ての人びとにとって確かに忘れることのできない体験であった。しかし、その後の激動の昭和史の展開のなかで、多くの東京の市民は、忘れることのできない、それぞれ別の体験(たとえば2.26事件、東京大空襲、東京オリンピック)を積み重ねていった。彼らに対して、関東大震災の体験のみを語り、その記録のみを提供して下さいと頼んでも、決して思うような成果はあがらない。人びとは、各自にとって重要な体験を、全体として、後世に残したいと思うものだからだ。人びとが、「自分史」を全体として語るさまざまな記録や記憶を、気軽に、また自由に預ける場があり、その記録や記憶のなかから、震災とそこからの復興についての重要な事実が発見できたり、あるいは震災・復興のさまざまな風景が結果として浮かび上がってくるというのが、本来あるべき記録の保存と利用のあり方ではないか。その意味で言えば、「震災だけを忘れない」という主旨で記録保存運動が展開すれば、むしろ「風化」は避けられない。震災を記録保存インフラの「離陸」の契機と考えて、それぞれの記録保存活動やデポジトリが、より広い範囲の史資料を収集・保存する文書館・史料館へと成長してゆくことが望ましいのではないか。本稿が、必ずしも震災記録問題に議論をしぼることなく、全般的な記録保存インフラの問題を論じた意図も、そこにある。

6.今後の研究課題

震災記録の保存運動は、震災後2年をへて、これから本格的に展開する課題である。記録デポジトリという点でも、神戸市が計画する震災記念館構想など、今後あらたな動きが予想される。このため本研究プロジェクトでは、次年度も引き続いて次の課題で検討を進めてゆく。今後の調査・研究・交流活動の最新情報については、逐次、特定研究ホームページに掲載した報告内容をアップデートすることにしたい。

震災記録保存活動・記録デポジトリ運営についての継続調査・情報交流

震災関連個人文書収集の可能性の検討

オーラル・ヒストリー・プロジェクトの可能性の検討

震災史資料についてのマニュスクリプト・ガイドの作成準備

 

参考文献
安澤秀一著『史料館・文書館学への道』(吉川弘文館、1985年)

大藤修・安藤正人著『史料保存と文書館学』(吉川弘文館、1986年)

書誌研究懇話会編『全国図書館案内補遺:文書館・資料館・博物館を中心に』(三一書房、1992年)

安藤正人・青山英幸編著『記録史料の管理と文書館』(北海道大学図書刊行会、1996年)


  1. 本稿執筆にあたっては、神戸大学付属図書館情報管理第一掛長・稲葉洋子氏、震災・活動記録室の舟橋健雄氏から貴重なご教示をいただいた。記して感謝したい。
  2. 震災(復興)記録の保存をめぐる諸問題は、新聞をはじめとする各種報道が注目した震災2周年のテーマのひとつであった。「被災地史料保存 市民も奔走」『神戸新聞』、1996122日;「終わらないあの日 風化させるな」『京都新聞』、1997116日。
  3. 以下、本稿で紹介する各機関がインターネット上にホーム・ページを公開している場合には、そのURLアドレスを表記する。http://www.lib.kobe-u.ac.jp/eqb
  4. 行政改革審議会行政情報公開部会「情報公開法要綱案の考え方」、19964月。
  5. 「震災ボランティアの経験記録を呼びかけ NGO連絡会議」『朝日新聞』朝刊、1995514日。
  6. 米国議会図書館WWWの州別文書館目録による:http://lcweb.loc.gov/coll/nucmc/casites.html
  7. 「阪神大震災、記録残そう、公立・大学図書館が協力体制」『日本経済新聞(大阪朝刊)』、1995722日。
  8. たとえば次のような文面で寄贈の呼びかけが行われている。「商業出版物・私費出版物はもちろん、各種団体・個人による研究報告・調査報告・統計資料・講演会等の記録・レジュメ・チラシ類なども対象としております。また、形態としては、印刷資料のほかに、電子資料(CD−ROM等)・ビデオ・録音カセット・マイクロ資料・写真・地図なども収集いたします」(震災文庫ホーム・ページ掲載)。「 1.文字情報/関連するすべての図書・資料類(写真、新聞、広報誌報、地図等);民間のビラ、チラシ、壁新聞、社内報、ミニコミ誌、ボランティア情報日記、体験、感想文等;専門研究の記録(研究報告、調査報告施策提言);講演記録、セミナー、シンポジウムの資料;統計資料(各種統計資料);2.映像情報/テレビ映像、報道写真、ビデオカセット、8mmフィルム、写真;CD−ROM等電子資料、マイクロフィルム;3.音声情報/録音テープ等」(21世紀ひょうご創造協会ホーム・ページ掲載)。
 


このページは、特定研究「兵庫県南部地震に関する総合研究」平成8年度報告書に掲載した報告書をもとにして掲載しています。


 


このページの最終更新日:04/02/06