地裁八王子支部(提供:亜細亜大学法学部町村ゼミ生による写真)


追悼・辻内鏡人 1954-2000

 辻内さん傷害致死事件 裁判の記録

東京地裁八王子支部

初公判(2001.2.26)
第2回(2001.3.14)  
第3回(2001.5.16)  
第4回(2001.5.23)  
第5回(2001.6.7)  
第6回(2001.6.27)  
第7回(2001.8.22)  
第8回(2001.9.12)  
第9回(2001.10.17)  
第10回(2001.11.14)  
第11回(2001.12.5)  
第12回(2001.12.12) 論告求刑・最終弁論  
第13回公判(2002.1.21)  判決 懲役7年

控訴審(日程未定)

2001年6月27日 第6回公判

 6月27日、午前10時5分より、東京地方裁判所八王子支部刑事1部1係305号法廷において、辻内鏡人さん傷害致死事件の第6回公判が開かれました。

 今回の公判では、先ず冒頭、弁護人が意見書を提出し、その概要を読み上げました。ここで弁護人は、検察側が起訴状で被告が傷害の故意を発生させるに到った地点を「富士本1-25先の路上」と述べていると理解して、その主張を弾劾するべく準備を進めてきたが、もしそうでないならば、傷害の故意発生地点を検察は明らかにするべきであり、それが明らかにならなければ、検察側の主張のいかなる点を弾劾すべきかが分からない以上、弁護を続行できないと主張しました。


 これに対して検事も意見書を提出し、その概要を読み上げました。ここで検事は、実況検分調書に記載された故意発生の地点は、あくまで被告の主張を記したものであり、被告の供述の信憑性には疑問があること、弁護人は検察が主張する事実と被告人の供述とを混同しているが検察は被告の主張に基づいて立証を進めようとしているわけではないこと、冒頭陳述において述べたように、検察側としては、事前に自転車の人物とトラブルを起こした被告が立腹・激昂して、現場で被害者の自転車を発見するや傷害の故意を発生するに到ったと考えており、故意発生の地点は衝突地点から遡って傷害が十分に可能な「いずれかの地点」であってその地点を特定する必要はないと主張しました。


 なおも弁護人が故意発生地点の特定を求めたのに対して、裁判長は、弁護人は検察が信憑性を欠くと考える被告の供述に信憑性がないことを明らかにしようとしているに過ぎず、検察の主張を弾劾するという点で意味がないのではないかと述べたうえで、裁判所としては、検察側の主張する「いずれかの地点」について、被告人の防御に支障があれば問題であるが、現時点では弁護に十分な訴因の特定があると判断するとの裁定を下しました。


 次に、弁護人は被告の母親を弁護側証人として申請しました。宣誓のあと母親は、被告から事件直後に電話を受けてタクシーで現場に駆けつけたこと、現場に到着したときには、被害者を乗せた救急車がすでに走り去った後であったこと、現場での被告や警察官の様子について、被告人が証人に一言「市議会議員に電話してくれ」と述べたこと、現場は緊迫しており事情を聴ける状況ではなかったこと、現場検証をしている警察官から「被害者が心停止」になったことを聞いたことなどを証言しました。また、同日の夜、小金井署を訪れ、被告には会えず、常用している薬を渡すように頼んだが断られ、警察の担当医が処方すると言われたこと、翌日の朝一番に面会したときには、被告はただ「こわい、こわい」と泣き伏していたこと、このとき証人は、被告が重大な事態を引き起こしたので取り乱していたと理解していたことなどを証言しました。


 このあとの検事の幾つかの質問に続いて、陪席判事からの質問に対して、証人は、被告が22年前からT保養院に通院していたこと、その後、J医大に通院して、そこで一般にナルコレプシーに対して処方される薬を処方されたが、担当医は診断としてはナルコレプシーではないと言っていたこと、抗鬱剤2、眠剤1、安定剤1、ナルコレプシーに対して処方される薬1の計5種類を処方されていたことを明らかにしました。さらに、被告が前回公判において「日本共産党員」であるために警察の迫害に恐怖感を抱き警察・検察に迎合して供述したと述べたことについて、小金井署で面会したとき、そのようなことを感じたかという質問に対して、そういう思い込みをしているとは思わなかったと答え、また過去に日本共産党員であるために警察などとトラブルがあったかという質問に対しても、そんなことは一度もなかったと答えました。


 ここで、今回の審理は終了しました。次回公判は8月22日午後1時30分から、次々回公判は9月12日午後1時30分から同じ305号法廷にて行われることになりました。それぞれ検察・弁護側が立証活動を展開する予定です。