1.恐怖
人を殺すことは容易い。
しかし、人を造ることは難しい。
全てはそうだ。
造ることは壊すことより難しい。
そして…再生は尚難しい。
キーンコーン…
授業を終えるチャイムが鳴り響く。
騒がしい教室の中で、俺は友達とくだらない話をしていた。
「昨日のテレビ見た?あの超能力のやつ。」
っと、嬉しそうにイスにまたがる友達の姿があった。
「あんなの超能力じゃないだろ?ああいうのをマジックって言うんだよ。」
俺は呆れた顔でそう言った。
「なんでだよ!テレビ欄に『超能力者登場』って書いてあったぞ。」
「そんなわけねぇだろ?そんな気持ち悪いやつがいるなら、とっくに世の中どうにかなってるさ。」
俺は現実主義なのかもしれない。数式、科学、解明されたものしか信じようとはしない。
「そんなこと言ってるとなぁ、本物の超能力者に殺されるぞ。」
「ああ、来るなら来い。」
その時の俺が強気だったのは、そんなものなんていないという確証があったからだ。
しかし、今日の俺のカンは冴えてなかった。
ブォン…
キィィィーーーーーーーーーーーーーーー…
「ぅあ!」
気圧が変化する感覚と音と共に、強烈な耳鳴りがした。
目の前は真っ暗になり俺はその場に倒れ込んだ。
意識はある。しかし目を開けることは出来ない。
更に耳から一切の音がシャットアウトされた感覚になった。
声も出ない。
「おい!誰か…。」
出ない声で叫んだ。
異様な感覚に、自分の居場所すら特定出来ない。
…あのままの教室に居るのか?それとも運び出されて病院に居るのか?それとも別の…。
答えてくれる者は居なかった。
ふと、瞼越しに光が見える気がした。
俺は腕を伸ばした。
腕が本当に伸びているのかも分からない。
…ビクッ!
何かに触れる感触があった。
「人?」
その腕から、意識が逆流する。
「うぁ”っ。」
俺は思わず顔を歪めた。
体内に侵入した相手の意識は、脳内で再生を始めた。
「…私の名前はナノ。こっちへ来い。」
少女の声が脳に響いた。
俺は、ナノに引き導かれるままに誘導された。
キィィィーーーーーーーーーーーーーーー…
ブォン…
またあの忌々しい耳鳴りが俺を襲った。
瞼越しの風景が、若干明るさを取り戻す。と同時に、目を開くことが出来た。
しかし、その瞳が最初に映し出したものは、今まさに殴りかかろうとする小柄な少女だった。
ドス!
「ぅぐっ…。」
避ようとするまでもなく、小さな拳が俺の腹をえぐるように圧迫する。
俺は少女の手を払い、体勢を立て直した。
「何しやがる…お前。」
久しぶりに出した言葉は無念の叫びだった。
「フフフ…、私はナノ。亜空間へようこそ。」
少女は不気味な笑みを浮かべた。
俺は周りを見渡した。
そこには藍色のみで支配された世界があった。
空も藍色、周りも藍色、地面も藍色。足下には感覚はなく、浮いているような感じだった。
俺は呆然と立ち尽くした。
「…ここはどこだ?」
瞳の焦点すら合っていない顔で呟いた。
「言ってるだろ。亜空間さ。」
乱暴な口調で、少女は答えた。
「…亜空間?…あの世のことか?。…いや、あの世なんて存在しない。そんな非科学的な場所なんて。」
自問自答を繰り返す俺の顔を、少女が覗き込んで言い放った。
「お前はどんな殺され方がいい?」
俺は少女に目を合わせた。
「お前、何言ってるんだ?」
すると少女は満面の笑みを浮かべ、俺から少し離れた。
「フフフ!嘘だと思っているだろ?みんなそうさ…最初はな。だが、もろくも私に消されていくのさ。」
あまりに状況が把握出来ない俺は、そんな言葉に耳を傾けるのではなく首を傾げた。
が、そこには、相も変わらぬ強気な自分が居た。
「殺るならやれよ。」
少女を睨み付けていた。
「・・・・。」
少女は間をおいて話し始めた。
「お前…何様のつもりだ?もっと恐がれよ。恐怖にひきつった顔を見せろよ。この亜空間の中で、なぜ平然としていられる。」
俺はトーンを落として答えた。
「死ぬことが怖いことだなんて低レベルな話だ。それを使って脅しているお前も低レベルだ。殺るならやれ。お前が悔しい思いをするだけだ。」
「なんだと!」
睨み合いが続いた。
しかし、先に目を背けたのは少女の方だった。
視線を落とした少女は、不適な笑みを浮かべた。
「…そうだな、目の前の人間を殺すのには飽きた。お前にはもっと素晴らしい恐怖をやろう。」
少女は言い終わると両手を高々と掲げ、目を閉じた。
一瞬の静寂が身を包んだかと思うが否や、少女の開眼と共に空間に緊張が走った。
バッ…
勢い良く振り下ろされた彼女の手の動きと同時に、空間の緊張が解かれた。
と、同時に、生々しい大量の悲鳴が僕の脳を襲った。
キャアアアアアアアアー!
「ぎゃああああああ!!!」
俺は、この世の物とも思えぬほどに顔が引きつり、意識が吹き飛んだ。
もうろうとしていく中で、俺は少女の声を聞いた。
「これからがお前の恐怖だ。」
…と。
2.消滅
俺は太陽の光の中で目覚めた。
久しぶりに感じる土の匂い…遠い幼い頃の匂いがした。
目が慣れてくると、果てしない自然が見渡せた。
「ここは…。」
俺は見慣れない景色に、疑問だけを積もらせていた。
ふと足下に視線を移す。そこには見慣れない石の固まりが散乱していた。
俺はもう一度辺りを見渡した。
「まさか…。」
見慣れないこの景色は、俺の知らない景色じゃなかった。
至る所に転がる石はコンクリートの塊。
…そう、ここは俺が生まれ育った場所の成れの果てだった。
それはもう廃墟とも呼べぬ、消滅された世界。
「…み、みんなは……あ!」
最悪の状況が頭をよぎった。
「そう、お前があの時に聞いた悲鳴が皆の最後の叫びだったのさ。」
突然の声に振り返ると、そこには少女ナノの姿があった。
「どうした、驚いて声も出ないのか?死体なんぞないぞ。全てキレイに消してやったわ。」
ナノの言葉に、言葉を返すことが出来なかった。
「どうだ?恐怖したか?」
ナノは極上の笑みを見せた。
「楽しそうだな…ナノ。でもお前は間違ってる。これでは恐怖なんて生まない。」
「フフ、負け惜しみか?たとえ恐怖がなくとも、お前のその顔を見ていると愉快で仕方ない。鏡を見るか?その青ざめた顔は、希望を無くして死んでいく人間の様だぞ。」
俺は俯いたまま座り込んだ。
「ハッハッハ!どうだこれが私の力だ!人間なんぞ取るに足りんわ。」
ナノも高々と声を上げたまま座り込んだ。
鳥の囀りさえもなく、静寂に包まれた世界。全てが夢であって欲しいと俺は思った。
「フッ!夢のわけがない。目の前の現実を知れ。」
俺の心を読んだ様に、ナノの口が動く。
「お前の考えていることくらい簡単に分かる。お前だけじゃない。生きる者全ての意識が、手に取るように分かる。」
俺は、疲れた顔でナノに目線を合わせた。
「フ、さっきまでの威勢はどうした?情けない男だ。」
ナノは満足したかのように、体から殺気が消えていた。
「なぜ?なぜ人を殺す。」
俺の口からポロリとこぼれた。
「お前、人間は好きか?」
質問に質問で返された。
「人による。」
「フフッ、そうか。私は全ての人間が嫌いだ!ただそれだけだ。」
それ以上ナノは口を開かなかった。
長い沈黙が続く。やがて日が暮れ始めた。
やや肌寒い夜。俺は一人、寝床を探すために立ち上がった。
ふと気付くとナノの姿がない。
「一人の方が気が楽だ。」
声にならない声で呟いた。
俺は歩いた。何もない道をひたすら歩いた。
すると、ようやく廃虚と呼べるだけの形を残した町を見つけた。
その中でも一番綺麗な瓦礫を見つけ、そこを寝床とした。
歩き疲れたせいもあって、グッスリと寝られるはずだった。
しかし、一向に眠気が襲ってこない。
寝付けない俺は瓦礫の外へ顔を出した。
空には満天の星と、三日月が綺麗に見えた。しばし見とれてしまった。
いつからだろうか、星達の瞬きに合わせ、歌が聞こえていた。
俺はそれに聞き惚れていた。
ハッっと気付く。
「誰かいる?!」
俺は慌てて瓦礫を飛び出した。
歌声は以外と近くからのものだった。一歩進む毎に、大きく聞こえてくるのがわかる。
声の主を驚かせない様に、そっと近づいた。
「…あ。」
声の主の少女は、月明かりに照らされ美しかった。
しかしその歌声は切なく、泣いているかの様だった。
俺は目を凝らして、少女の顔を見た。
「…あいつ。ナノじゃないか…。」
ナノはこちらに気付き、涙を拭った。指に弾かれる涙が宙を舞い、まるで星くずのようだった。
ナノは瞳を隠したまま、姿を消した。
「なんで…、なんで泣いてるんだ?」
俺の中に新たな疑問が生まれた。
3.最後の喜び
あの日以来、ナノの姿は見ていない。
そもそもあの日から何日たったのだろうか。
俺は一人、瓦礫の町で退屈な日々を過ごしている。
この数日間で気付いたことがある。どれだけ動こうが、体内のエネルギーが消費されていないようだ。
すなわち、食事をしなくても生きて行けるということ。
実に便利な体だが、腑に落ちない。
もはや何が現実で夢なのか、その区別さえついていないかもしれない。
「しかし今日は暑いなぁ。」
言葉を忘れないための独り言。最近増えてきた。
「これだけ暑いと喉が乾いてくる。」
体のエネルギーは無くならないという法則でいくのならば、これは気分的なものなのだろう。
しかし人間とは貪欲な生き物。無駄な快楽を自分に与えようとする。
退屈な俺は、水を求めて歩き出した。
「水は…、どこにあるんだろ。」
俺はオアシスの様なものを想像した。
地下に埋まっている水道管は至る所で破裂しているだろうし、せめてその水が地上に出ていないだろうか。
俺は廃虚を後にした。
久しぶりに見る景色。どこまでも人工的な匂いを見せない世界。
遠い昔、陸上動物が生まれる以前、世界は動かない植物にこの様に包まれていたのかも知れない。
目に緑が映える。
移動中、俺はナノのことを考えていた。
彼女は一体何者なのだろうか?なぜ人を憎んでいるのだろうか。そしてあの涙…。
考えれば考える程、疑問は膨らむ。
…コツン
足に何かが触れた感覚。
三角錐の小さな金属。俺は拾い上げた。
「これって…。」
それは銃弾だった。
「初めて見た…。」
物珍しそうに、銃弾を観察した。
「でも、なぜこんな所に銃弾が?」
その時、背後から長い影が伸びてきた。
「…ハッ!」
振り向いた俺。逆光に照らし出されたのは少女の姿だった。
「…ナノ…か?」
小女は一言も漏らさず、小高い岩の上から俺を見下ろしていた。
逆光の為、表情が読めない。
少女の体がおもむろに動いた。
…カチャ
金属音が響く。
「それ…銃か?」
俺の言葉に、ナノは白い歯を見せた。
ナノは動こうとしない。しばらく沈黙が続いた。
「俺を撃つのか?」
ナノは反応を見せない。
俺は軽い笑みを見せ、落ち着いたトーンでナノに言い放った。
「狙うならここを狙え。俺は苦しむ顔なんて見せない。殺るなら一気にここを打ち抜け。フッ、快感だぞ。」
俺は親指で心臓を指した。
ナノは、俺の心臓に照準を合わせた。
覚悟を決めた俺は、言葉を漏らした。
「もう、一人でいるのは辛い…。」
その言葉に、ナノの動きが止まった。
「…どうした。」
しばらくしてナノは叫んだ。
「私なんて…。…お前なんか…お前なんか死んじゃえ!」
バン!
辺りに銃声が鳴り響いた。
そして人類は絶滅した。俺を殺すことが彼女の最後の喜びになったのだろうか。
4.ナノ
その日、ナノは朝から忙しかった。
寝床から5キロ程の所に湧き出る、清らかな水をくみに出かけた。
歩いて往復する頃には太陽も頭上に輝き、ナノは休む間もなく食料の調達へと出かけた。
しかし、ここは人間にとって廃虚と化した世界。
食べ物と言えば自然界に実る果実くらいだろう。
ナノは懸命に探していた。
両手に余る程の果実を手にしたナノは、「これだけあれば一日くらい大丈夫だろう」と、自分の寝床へと帰って来た。
そこにはナノを待つ男の姿があった。
その男は、いつ途切れるとも分からない程の微かな寝息を漏らしていた。
「大丈夫か?」
ナノはその男の耳元で囁いた。
しかし、男の反応はない。
ナノは構わず男の口に水を注ぎ込んだ。
しかし、男は飲もうとしない。
今度は水を自分の口の中に含み、口移しで飲ませた。それを何度か続けた。
男の顔色が若干良くなってきた頃を見計らって、今度は果実を口移しで与えた。
男はむせるが、それもお構いもなしに、ナノは強制的に与え続けた。
充分に果実を与えると、今度は男のズボンを脱がせた。
男の太股には白い包帯が何重にも巻いてあり、ナノはそれを取ると澄んだ水で傷口を洗い流した。
包帯を巻き、ズボンも元に戻したナノは、男の傷口に向かって手をかざした。
ナノの力でも、治癒をさせることは難しい。
しかしナノは願いを込めた。少しでも早く傷が回復してくれることを心から願った。
やがて夜が訪れた。
辺りは冷え込み始め、着ている衣服だけでは心許ない。
あいにく薪の用意をしていなかったナノは、少しでも男を暖めようと自分の衣服を男に与えた。
男は未だに目覚めない。ナノは寝ずの看病を続けた。
「クシュン…」
朝方になると冷え込みは更に増し、ナノの体は震えていた。
それが何度目のくしゃみなのかさえも分からない。
ナノは寝床を後にし、トイレに向かった。
静まり返った寝床には、相変わらず男の微かな寝息だけがしていた。
「…ん。」
突然男は目を覚ました。
「・・・・。」
しかし意識はもうろうとし、男は状況の把握さえも出来ない状態だった。
「俺…は…。」
そこにナノは帰って来た。
「…あ!」
ナノの顔がほころんだ。しかし、彼女を待っていた言葉はそれを吹き飛ばした。
「…なぜ。なぜ俺はここにいる。なんであの時殺さなかったんだ!」
男は意識を取り戻した。その男とは…そう、俺だった。
「くそぉ、そんなに俺の苦しむ顔が見たいのか!」
俺は言い放った。
するとナノは何も言わず部屋を出ていった。
一瞬悲しそうな顔をしたようにも見えた。
「…なんだアイツ。」
一人になった部屋を見渡してみた。
几帳面に統一されたその部屋は、まさに『女の子の部屋』をイメージさせるものだった。
俺は一瞬見取れた後、徐に腰を上げた。
「痛!」
あまりの激痛に右太股を押さえ込む。一気に目が覚める。ズボンを脱ぐとそこには包帯が巻いてあった。
「そうか、ナノの銃弾がここに当たったのか…。でもなぜ包帯が…。あいつ、俺の看病を?なぜ…なぜだ?」
考えても分からない。
動けない俺はただ、この部屋の時の流れに流されるしかなかった。
「はぁ…孤独はもう嫌だ。誰かと話したい。」
時計の必要ない世界で自分を抱きしめていた。
コツ…コツ…コツ……
何時間たったのだろうか。微睡んだ俺に足音が迫ってきた。
「これ、あげる。」
ナノだった。目の前に差し出された物は、甘い匂いのする果実だった。
「・・・・。」
俺は無言で受け取った。
「・・・・。」
ナノも無言で立ち去ろうとする。
「ありがとな。」
彼女の背中に言葉を添えた。
5.孤独
相変わらず孤独な部屋の中で夜を迎えた。ナノのくれた食料のお陰で、なんとか満腹感に包まれている。
「夜は冷えるなぁ。」
この日の夜も肌寒かった。俺は部屋の片隅から毛布を取り出してくると、それにくるまって眠りについた。
「こんなに孤独が辛いなんて…。」
俺は夢の中で泣いていた。
「俺は一人でも生きていけると思ってた。」
自分に弱音を吐いていた。
バン!
銃声と共に弾丸がこめかみをかすめた。
「私なんか…私なんか…。」
部屋の入り口にナノの姿があった。
「ナノ…キミは一体…。」
俺のその言葉を聞くと、彼女は部屋を出た。俺は必死で追いかけた。
やがて彼女に追いつくと、無理矢理振り向かせた。
「おい、ナノ!」
振り向いた彼女の瞳には大粒の涙が溢れていた。
それに驚いた俺は、すぐに手を離し、目を背けた。
「あなたは何も分かっていない。」
彼女の言葉が胸に響いた。
「・・・・。」
何も返せないままでいる俺を、彼女はそっと抱きしめてくれた。
思わず言葉が零れる。
「…暖かい。」
久しぶりに安らぎを覚えた。
パチッ…パチッ…パチッ…
薪の燃える音で俺は目覚めた。
「暖かい…。」
部屋には手作りの暖炉があり、その火が部屋を暖めていた。
いや、暖めていたのは暖炉だけではなかった。
俺を包む毛布の上にかけられた衣服も俺を暖めていたのだった。
「誰の服?」
俺はそう呟くと微かな気配に気付き、自分の背後に視線を向けた。
「あ!ビックリした…。」
俺の背後には薄着になったナノが寝ていた。
「こいつ、自分の服を俺に…。」
その言葉に反応するかのように、彼女は寝返りを打った。
ナノの指先が俺に触れる。
「冷たいじゃないか…。」
体温を感じさせない程に彼女の体は冷えていた。俺は毛布をかけてやった。
「…お父さん。」
かすれた寝言だった。
「お父さん…か。こいつも親がいるんだな。」
彼女の手を握った。
「お前も寂しいのか…。」
それに答えるかのように、彼女が手を握り返した。
すると、いつかのような意識の逆流が始まった。
「…あ!」
俺は一言の悲鳴を上げるだけで精一杯だった。
精神を犯すように、ナノの意識は逆流を続ける。
「ねぇ、あなた。ナノには不思議な力があるみたいなの。」
ナノの母は、寝室で髪を解かしながら言った。
「不思議な力?…お前は親バカだからなぁ。」
ナノの父は、仕事の疲れを顔に見せ、呆れた声で返した。
「違うの。きっとあの子には超能力があるんだわ!」
「何を言ってるんだ。俺達の子だろ。普通の子さ。」
「あなたは何も知らないじゃない。」
ナノの母は、娘の力を我が力だと勘違いしていた。
その後、母は父が止めるのも聞かず、我が子の力を世間に広めた。
しかし世の中で一番興味を示した人物は、子供でも大学教授でもなかった。
軍事力の開発に未来を託す、先進国の研究者だった。
ナノは無理矢理多額の金で買われ、能力の増強に専念させられた。
その間、友達などおらず、両親にも会えず、孤独な日々が続いていた。
ある日、自分の力が絶対的であることに気付いたナノは、施設を抜け出した。
そして自分の居場所を探した。
しかしそれはどこにもなく、ようやく落ち着ける場所が亜空間なのだと、見つけ出すことが出来たのだった。
彼女は嘆いた。
自分を好き勝手に利用する人間達を恨んだ。
そしてたった一人、亜空間の中に沈んでいった。
「…ぁ!」
意識の逆流は止まり、辺りは静寂を取り戻した。
「あなたは…一人なの?」
ナノの言葉が耳に届いた。
俺はその言葉をかき消すように、いくつもの質問を投げかけた。
「今のはお前の過去か?亜空間にどれだけ居たんだ?なぜ看病する?お前には仲間がいないのか?」
俯いたナノは、ゆっくり口を動かした。
「30年居た。一人で…。」
偽りのない淋しい言葉だった。
「30年?お前…何年生きてるんだ?」
「…分からない。あの空間の中には時の流れがないの。何年居ようが、私はあの日のまま。」
疑問の上にいくつもの疑問が重なっていくかのようだった。
「俺は、お前の様な超能力者のことを聞いたことがない。確かに30年も前の話なら、今更世間の話題に上がってくることも少ないかも知れない。が、それほどの力を持っているのならば、少なくとも耳に入ってくるような気がする。だったらさっき俺が感じたお前の意識はなんだ?」
俺の言葉は、自問自答のようにも聞こえた。
「あなたが私を知っているなんてことは決してないの。だってこの年代、私はまだ生まれていないのだから。」
俺はその意味が理解できなかった。
「理解できる?亜空間の中には時の概念がないの。だけど、すべての時間とつながっているの。明日がなく、昨日もない世界だけれど、明日に行くことも出来るし、昨日に行くことも出来る。10年後も、10年前も思いのまま。」
俺は頭の中で、一つ一つ整理した。
既に辺りは常識を失った世界だ。
その為、それを理解することは難しくはなかった。
「…俺のことは…。俺のことは知ってるのか?」
その言葉に、ナノは軽く頷いた。
「未来のあなたは優しい人。いつも私を見ていてくれた人。でも…。」
言葉を濁したナノに、俺は訊ねた。
「でも?」
俺が聞くと彼女は目を伏せた。
「私を裏切った人。」
その声は、胸を締め付けるほどに切なかった。
「そうか…。」
俺は、未来の俺が彼女にした行為を聞けなかった。
「…ごめん。」
俺は謝った。
「あなたはまだ知らないじゃない。」
俺が謝ったのは、裏切ったことに対してではなかった。
「そうじゃない。そのことに謝ってるんじゃないよ。俺はキミを…。」
ナノは言葉を待った。
「…一人にした。」
その意味が分かったのか、ナノの瞳から涙が流れ出した。
「この数日。俺は一人なんかじゃなかった。なのに俺は、一人だと思い込んでた。キミを…ナノを…、人として見ていなかった。」
ナノは俺の気持ちを汲むかの様に、軽く首を横に振った。何度も、何度も。
「そんな俺を…ナノは介抱してくれた。なのに…。」
「違う!それは私がいけないから…。私が怪我させたから…。」
俺は彼女の肩に手を置いた。
「その原因を作ったのは俺だよ。片方だけが一方的に悪いなんてことはないんだよ。」
その言葉にナノは泣き崩れた。
その涙には、懐かしい者に出会えた喜びが含まれていた。
6.時間軸上のエリア
「行って来ます!」
朝からナノの元気な声が部屋に響いた。
「あ、ちょっと待てよ!一緒に行こう。」
俺たちは手を繋いで泉へと向かった。
ナノの日課であった水汲みが、いつしか二人の日課になっていた。
ほかに誰もいないこの世界だけれど、なぜか二人は寂しくなかった。
「暖かいね。」
昼が近づくにつれ暖かさを増し、俺たちは草の上で寝転がった。
見上げた空はどこまでも青く、吸い込まれるように心を軽くしてくれる。
「ねぇ、寂しくない?」
ナノは俺の手を握り、聞いてくる。
「いや、別に。お前が居るし。」
そもそも人との関わりが好きじゃない俺だ。ナノ一人が居れば十分だと思った。
でも、ナノはそうは思わなかったらしい…。
俺とナノはそれぞれ思いにふけた。
私は彼から沢山のものを奪ってしまった。友達、家族、街、学校、未来…それでも彼は寂しくないと言う…なぜ?私はこの何十年もの間寂しかった。一人でいたことよりも、全てを無くしてしまったことが寂しかった。私は結果的に、人間が私にしたことと同じようなことを彼にしてるのかもしれない…ごめんなさい。口に出せば彼は私に気を使ってしまうだろう。だから、心の中で「ごめんなさい」。
俺は楽しかった。ナノと出会うまでは、社会という名の囲いの中で飼われてたペットに過ぎなかったのかもしれない。自由という名の逃げ道を探し、それを手に入れてはただの自己満足をするという繰り返しをしていたように思う。でも今はどうだ。自由という名の逃げ道なんて考える必要ない。わがままを言えば生きていけるような世界ではない。生き物とは本来、こんな生き方をしなければいけないのではないか…と、ナノは俺に教えてくれたように思える。
青い空、緑の草原、幼い頃はそれが身近にあった。風の匂い、草の匂い、太陽の匂い。俺は全てを感じていた。いつからなんだろう、大切なものを無くしてしまったのは…。いつからなんだろう、それに気付かない自分になっていたのは…。人間とは、なんてくだらない生き物なんだろう。これでは生きているとは言えないのかもしれない。
彼の笑顔を見ていると、今までの時間を取り戻せそうな気がする。なんて心が暖かいんだろう。でも、彼には彼の今までの時間がある。私が奪った時間がある。私はいつか、彼にそれを返さなくてはいけない。でも…でももう少しだけ…二人だけの時間をください。やっと掴んだ幸せだから。
「どうした?急に笑ったりして。」
ナノは俺の腕にしがみつき微笑んでいた。
「だって夕日が綺麗なんだもん。」
辺りは既に夕時を迎えていた。
「夕焼けか…。」
久しぶりに夕日を見た気がした。
まるで時間が流れるのを忘れているかのように、不動を思わせる光景が続く。
「なぁ、ナノ…。俺達はずっと一緒か?」
夕暮れ空に少しセンチメンタルにでもなったのだろうか。俺は、辺りに夜を招いた。
「当然だよ!」
刹那も与えずナノの返事が返ってきた。
俺は少し安心した。
部屋の中で夜を迎えると、いつものように肌寒くなってきた。着ている服しか持っていない俺達だから、夜には木を燃やして寒さを凌いでいる。
「なぁ、ナノ…。薪ってもうなかったっけ?」
僕は記憶の中にあった薪の置き場所に行ってみたが、姿形がなかった。
「え?そこにない?あ、いけない。集めてこないといけないんだった。」
あまり見ないナノの慌て方が、何とも言えず可愛かった。が、言葉に出すと照れくさい。
俺は微笑みでそれに答え、ナノに一言告げた。
「俺、取ってくるよ。ナノは家でゆっくりしてな!」
俺は薪集めの用意をすぐに始めた。
「あ、私も行くよ。」
ナノの言葉を振り切って、俺は一人で薪集めに出かけた。
一人で出かけたのには理由があった。
ナノをどうすれば幸せにできるのかを考えたかった。
「もぅ!なんで行っちゃうのよ!」
ナノの声が遠くで聞こえた。
月明かりの下、薪は容易く拾い集めることが出来た。
集めている最中でも、色々なことを考えていた。
突然わけの分からない世界に連れて来られて、自分以外仲間のいない環境で、ナノに命まで狙われて…。
それなのに、今となってはこの世界を愛おしく思えてしまう。
自分の居場所の様に思えてしまうのはなぜだろう?
この先二人はどうなるのだろう?
もっと幸せになるにはどうすればいいのだろう?
疑問ばかりが生まれ、解決の糸口は一向に浮かんでこない。
しかし今宵は月夜。気持ちが暗くなることはなかった。
「あれ?こんな場所があったんだ…。」
ぼーっと考えながら歩いていた僕を待っていたのは、見たことのない断崖絶壁。
その谷は吸い込まれるように暗く、まるで夜の住処だった。
「おお〜。」
俺は感嘆の声を上げると、覗き込む様に寝そべった。
「怖いな。」
人のもろさが伝わってくる様な光景は、今まで悩んでいたことさえも吸い取っていく。
「ナノにも教えてやろう。」
俺は急いで立ち上がった…その時!
ゴロン…
「ヤッホー!」
そこにはナノの姿があった。
「ナノ…どうしてここに?っていうか、”ゴロン”って?」
「ゴロン?」
俺は慌てて振り返った。
「うわ!」
足下の崖は、風化していたかの様にもろく、崩れかかっていた。
「危ない!」
ナノの声が届くか否か、足下は崩れ、俺は崖に吸われようとしていた。
「届いて!」
ナノは、手を差し伸べ滑り込んできた。
それを何とか認識出来た俺は、崩れる崖を必死で上ろうとした。
パシッ!
「うっ。」
間一髪、片手で繋がった。
しかし、俺を宙に浮かすのはナノの右手だけ。その表情からは苦痛が手に取るように分かる。
「今すぐ上がってみせるから!」
ナノの苦しむ姿なんて見たくない。俺は必死な思いで岩に爪を立てた。
「早く…。」
ナノの力では到底持ちそうにない。俺は思いきって岩を蹴った。
「でや!」
「きゃっ!」
俺の体が宙に浮く。
フワッ…
目の前にナノの顔が迫る。
「ナノ!」
目線が合うや否や。
「ダメだ。」
無念にも俺の体は下降し始めた。
「ナノ離せ!」
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
ナノは握る強さを増した。
バタンッ!
壁に叩きつけられる俺。
「ぎゃあ!」
それを支え、腕の引き裂かれそうなナノ。
一瞬の沈黙の後、俺は見上げた。
ナノの腕を伝い、俺の手を伝い、やがて顔に滴り落ちる鮮血。
俺は無言で手の力を緩めた。
「だめぇ!」
俺とは逆に、ナノの握力は力を増す。
「もういい、離せ。」
ナノの血で、既に顔は赤く染まっている。これ以上ナノを苦しめたくなかった。
「やっと見つけた幸せなんだもん!絶対離さない!」
「ナノ…。」
俺も力を戻した。
ギュッ!
二人の団結が崖に響いた。
「ナノ、行くぞ!」
「来て!」
今一度、壁に爪を立てそして蹴った。
体は宙に舞い、気持ちいい程の風が吹き抜ける。
「ナノ!」
俺は両手を伸ばした。
「もう少し!」
その時。
ピシッ!
「え?」
俺の体がナノに引き寄せられることはなかった。フワッっと浮いたまま、谷の中心へと飛んで行った。
「なんで?」
と、俺の言葉を残し。
「!!!きゃぁぁぁぁぁぁ!」
ナノは全てを察した様に悲鳴を上げた。
ナノの体が離れていく。未練を残すかの様にもう一度手を伸ばした。
「ナノ!」
遠くから、ナノの涙が見えた。
「ダメなの…。もうダメなの。」
俺は、ナノの姿を見て言葉を無くした。
「ナノ…お前の体…。」
ナノの体には風化した岩の様に、無数のヒビが入っていた。
そして俺の腕には、ナノのちぎれた手がくっついていた。
「いやぁぁぁぁぁ!」
ナノの叫びが響く。
彼女は長い間、時の止まった世界にいた。突然流れだした時間の波は津波となり、その体は耐えきれず、崩壊しようとしている。
その中、ナノの言葉の一つ一つが聞き取れた。
「…私はもう生きられないわ。でも、せめてあなただけは助かって!私のわがままが作り出した世界、私が壊してあげるから!」
その言葉は脳に直接届いた気がした。
「あなたとの数日間、とても楽しかったわ。実はね…あなたは……。」
ナノの言葉が止まる。
「な、なんなんだ?」
「…いいの。でもお願いがあるの。あなたの子供には”ナノ”と名付けないでね。」
「・・・・。」
俺は言葉を失った。
「…ごめんなさい。最後まで親不孝で…。」
「ナノ!」
俺の声が響くと同時に、世界の崩れる音がした。
瞳には、ナノの体が崩れていく姿が映った。
7.二度と来ない未来に
世界が元に戻った日、それからちょうど10年が経った。
その間、俺にも家族というものが出来た。
今も妻が寝室で髪を解かしている。
「ねぇ、あなた。あの子には不思議な力があるみたいなの。」
どこかで聞いた台詞を妻は言った。
「不思議な力?…お前は親バカだからなぁ。」
俺は呆れた声で返した。
「違うの。きっとあの子には超能力があるんだわ!」
「…何を言ってるんだ。俺達の子だろ。普通の子さ。」
「あなたは何も知らないじゃない。」
妻の口調は荒くなったが、俺は穏やかに答えた。
「いいや、ナノは普通の子さ。俺達に未来を連れてきてくれる、普通の子さ。」
「なに…それ?」
「三人で居れば幸せだろ?」
「?」
二度とは来ない未来があることを知った俺は、全てを語ろうとはしなかった。
世界が元に戻った日の後、ナノのことを考えると辛くて仕方なかった。
しかし、俺はこれから来る未来に全てを託そうと決めた。
部屋の片隅では、ナノは幸せそうに寝息を立てていた。
「こいつ、何も知らない顔しやがって!」
俺は幸せを噛みしめた。
そして、新たな未来の再生が始まった。