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 1.心の行き先

 星の煌めく夜空の下、人は何を望み何を願うのだろうか…。
 …僕の望みはただ一つ…自由になりたい。
 将来が決まりきったみんなはなぜ、今を生きることができるの?
 時間、文化、学問、他人、金、地位、名誉、欲望、自分自身。全てが自分を縛りつけるものなのに、みんなはなぜ悲鳴を上げないの?
 諦めてるの?
 我慢してるの?
 それとも、そんな自分を楽しんでるの?
 僕には分からない。
 だから今日も、「今」から逃げる。
 君には分かる?

 いつものように、無音の星空に問いかける。

 しかし今日はいつもと違った。
 返答するかのように、満天の星空から白い小鳥が舞い降りてくる。
 まるでそれは星屑のように。
 「夜に鳥を見るなんて…。」
 ぼそっと呟いた僕を恐れもせずに、窓辺に舞い降りる。
 僕は手を伸ばした。
 「逃げろよ!掴むぞ。」
 羽に触れる程に空気を掴んでも、瞬き一つしない鳥。
 その目はどんな人間よりも優しく、そして哀れんでいるように思えた。
 「くそっ。」
 髪を掻き上げ、空気を噛む。
 地に足が着いてることで安心感を得ている人間。そんな僕じゃ、この鳥にさえ心の哀れみを受けてしまう。
 「…心の自由は空にあるのだろうか?」
 「いっそ、鳥になりたいよ…。」
 行く当てのないその言葉は、流星へと投げかける無責任な願い事だった。

 2.せめて、

 長い眠りを終えた闇の中、ぼやけた空間から理想は幕を開ける。
 鏡に映った姿を見て驚愕する。
 「願いは叶った。」
 鏡の中の鳥に、そう告げる。
 そう、僕は鳥になったのだ。
 部屋の雰囲気はまるで違う。「身体が変わるだけでこうも違うのか」と、自分の創造の世界に喜びさえ感じる。
 そう、これは夢さ。
 僕の作り出したもの。
 壊れそうだった僕を癒してくれる唯一の時間。
 部屋中の窓は開いている。
 「せめて夢の中だけでも…。」
 鳥に姿を変えた僕は、大空へと飛び立った。

 3.自由の代償

 うまく飛べない。
 羽の付いた腕は、予想外な空気抵抗を受け、一振りするだけでも腕の付け根には疲労感が生まれる。
 なんとか屋根の上にまでは来られたものの、あの大空へ飛び立つほどの力は無かった。
 途方に暮れる。
 小一時間が流れる。
 腕の疲労もある程度緩和され、今一度大空を夢見る。
 「コツを掴めば飛べるはずさ…。」
 僕は力いっぱい羽ばたいた。
 が、やはり飛べない。
 力を失った僕は、屋根に軽く叩き付けられる。
 身体はリズミカルに2バウンドする。
 その間、制御不能。操作不能。自由は奪われている。
 「!」
 我が目を疑った。
 体は屋根の外へ…地上がこの身を引き寄せた。
 落下は止まらない。
 制御不能の身体は、地上めがけ落ちた。
 駄目だと思った。死ぬと思った。
 でも、それでもいいと思った。
 たとえこれが夢でなくとも…。
 身体は加速を増す。
 しかし、恐怖感からか突然目の前は白くぼやけ、身体は宙を浮く感覚に囚われる。
 やがてそれは目覚めの感覚へと移行される。
 眩しい朝日。そう、僕は夢から覚め…
 「え?」
 光のカーテンが揺らぎ、瞳に映った真実は目覚めの光景ではなかった。
 そこには、白い小鳥の背に乗せられ大空を遊覧する自分の姿があった。
 「すごい…。」
 口に出来たのはその一言のみ。
 助けてくれた小鳥に「ありがとう」と声をかけた頃には、遊覧飛行は終わりに差し掛かっていた。
 「助けてくれたんだよね?ありがとう。」
 小鳥は無言で微笑む。
 言葉は通じているようだ。僕は鳥の言葉でも話しているのだろうか?
 やがて二人…二羽は地上に舞い降りた。
 小鳥は、僕を背中から降ろすと、おもむろにクチバシを動かした。
 「ピピッ。」
 そして優しく微笑む。
 「?」
 小鳥の言葉はいつもの言葉。理解の域を越えた囀りだった。
 「僕の言葉わかる?」
 小鳥は軽く頷く。
 どうやら一方通行の会話らしい。
 「僕には君の言葉がわからないや…。」
 小鳥は微かに首を傾ける。それが妙に愛くるしい。
 「女の子?」
 ふとした疑問に言葉をこぼした。
 小鳥の反応を見て確かにメスだとわかった。
 僕は彼女に一つのお願いを試みた。
 「飛び方…教えてくれないかな?」
 彼女は不思議そうな顔をしていたが、快く了承してくれた。
 仕種を見ていると、どうやらキックがコツのようだ。地面を大きく蹴り、それにうまくタイミングを合わせ、羽ばたけば飛べるということらしいが、これがまた難しい。
 何とも言えないタイミングが、元々人間の僕には掴みづらいのだ。
 結局のところ、飛べるようになった頃には、太陽が真上を気持ちよさそうに泳いでいた。

 4.空へ

 地面を蹴り、両手を大きく広げる。
 身体は高く浮き上がり、やがて開放感を得る。
 「自由の世界だ。」
 僕の呟きに彼女は笑みを浮かべる。
 彼女に先導されるように飛んでいると、やがて小高い丘へ出た。
 彼女につられ、木々で羽を休める。
 雄大な光景に囲まれ、これ以上に無い程の興奮に身が震える。
 目の前には広大な湖。それを包み込むように山々が連なる。頭上の太陽が湖に溶け込み、煌めき、そしてさざ波を優雅に彩る。
 僕は感嘆の声を上げ微笑で時を止める。
 …何分経ったことだろう。彼女の「ピッ」という一言で我に返る。
 彼女を見据え、微笑む。
 「なあ、よかったら僕と一緒に来ないか?」
 思わず出た言葉だった。
 孤独を望む僕なのに、どうしたことだろうか。しかしそれは正直な言葉だった。
 彼女は少し困った顔を見せた。
 「自由に生きたいと思うんだ。各地を飛び回って、それで、やれるだけ好きなことやりたいんだ。」
 彼女の答えを待った。
 「ピーッ…。」
 悲しい響き。すぐに断られたことがわかった。
 「ごめん。嫌な想いさせたよね。」
 自由を願う自分が、彼女を縛り付けようとしたことに気が付いた。
 「ありがとう。君がもし居なかったら、この夢の続きなんて見られなっかったよ。」
 そして彼女に別れを告げる。
 「じゃあ。行くね。」
 強引に話を進め雄大な光景に飛び込んだ。
 「ピーー…。」
 彼女の囀りが空に響いたが、僕は振り返ることができなかった。
 勢いに乗って、必死に山を越える。
 その途中、小さな村を見つけた。
 有人無人かさえわからない村に、食料を求めて舞い降りた。
 「何を食べればいいんだろう?」
 今置かれている自分の立場が、一瞬分からなくなった。
 「人の食べる物が一番いいけど…やっぱり鳥のエサ?」
 かなり嫌だった。

 5.死を待つひと

 その村は本当に小さく、上空で見渡せば全てを望むことが出来た。
 「…煙?」
 その村の一軒に、煙の出ている煙突を見つけた。
 「人が居る?」
 その場所へと向かった。
 「…いい匂い。」
 その家からは、ご飯の炊けた香りが漂い、夢がいささか現実味を帯びる。
 「誰か住んでいるんだな。」
 僕は、体を窓辺に移した。
 「・・・・。」
 僕は中の様子を目の前にして、なぜか寂しさを感じた。
 その家の中には、動作一つもおぼつかないお爺さんが一人、質素な食事をしていた。
 「家族…いないのか?」
 僕は窓の隙間から侵入し、家中を飛び回った。
 しかし、お爺さん一人で生活しているとしか思えない程に、家の中には何も無かった。
 「おお、今日も来たか…。ん?いつものコではないのかな?」
 さすがにお爺さんも、飛び回る僕に気づいたらしい。
 「ほれっ、こんな物しなかいが、良かったら食べてお行き。」
 お爺さんは、真っ白なご飯に生玉子をかけ、僕の前に差し出してくれた。
 僕はせめてものお礼にと、お爺さんの話相手になってあげたかった。
 皿をはさんでお爺さんと向かい合うと、お爺さんの瞳を一点に集中した。
 「おお、お前はいい目をしとるな。」
 その言葉を聞き終えると、僕は静かに食事を始めた。
 「…儂には孫がおってな、その子に会うのが生きがいなんじゃ。」
 彼も静かに独り言を始めた。
 「見ての通り、一人で住むには大きな家じゃ。昔はな、息子夫婦と一緒に住んでおったんじゃ。だが、こんな所では仕事に通うのも一苦労。息子は街へと出て行った。」
 お爺さんは、遠い目をしていた。
 僕は、「あなたはここで何をしているのですか?」とでも言いたそうな視線を、彼へ送った。
 「儂はもう、ここで死神さんを待つばかりじゃ。」
 僕はその言葉に、急に頭に血が上った。
 「いいのか!それでいいのかよ!」
 お爺さんにはどのように聞こえたのだろうか。
 ただの小鳥の鳴き声にしか聞こえなかったのだろうか。
 彼は話を続けた。
 「少し前まではな、孫が遊びに来てくれてたんじゃ。それもいつしか途絶えてしもた。せめてもう一目でも会えれば幸せなんじゃが…。」
 彼のその言葉を聞いて、じっとしていられるわけがない。
 僕は、隣の部屋から紙とペンを持ってきた。
 「ん?なんじゃ?」
 僕は、クチバシでペンを持ち、書くマネをして見せた。
 「書くんじゃな?はて、でも何を書いて欲しいのじゃろう。」
 「お孫さんへの手紙を書いて欲しい。」
 僕は答えた。
 その言葉が彼に理解出来たのだろうか。
 お爺さんは無言のまま、静かにペンを走らせた。
 「ここに孫がおるんじゃ。」
 最後にお爺さんは、壁に貼られてある地図を指差した。
 僕は、自分の気持ちが通じたのだと思い、紙を受け取ると大空へ飛び立った。

 6.夢と現実と

 「なぜ、僕はこんなに必死なんだろう。」
 ふと、脳裏をよぎる。
 「いや違う。理由なんてないんだ。そんなもの必要ないんだ。」
 僕は必死で羽ばたいていた。
 だが、お爺さんの示した場所は意外に遠く、休まず飛んでも丸一日かかってしまう。
 「ダメだ…体力がもたない。」
 半分程来たところだろうか、僕はたまらず木陰へと身を移した。
 「ふぅ…。」
 うなだれるように、ため息を吐く。
 「頑張らないと…。もっと頑張らないと。」
 まるで呪文のように唱えた。
 「よし、行くぞ!」
 僕はもう一度地面を蹴った。
 上昇気流に助けられつつ、高度を上げていく。下に見える景色が遠のいていく。
 「ん?」
 遠のく景色の中に、不自然に浮き出てくる黒い物体があった。
 「から…す?」
 その物体は、恐ろしいほどのスピードで向かって来た。
 「…おい。ぶつか…」
 「る」の言葉が出てくる前に、カラスが僕の体を貫く。
 「うあっ。」
 情けない言葉が出ると同時に、カラスと目が合う。その目がなぜか「ニヤ」っとした。
 「お前!」
 カラスは急に方向転換すると、僕の持っていた手紙を奪い、急降下を始めた。
 「おい!返せ!」
 突然の出来事に大声で叫ぶと、僕も急降下を始めた。
 しかし、相手は飛行のプロ。その差はグングン離されて、その姿は見えなくなった。
 「う…そ、だろ?」
 どれだけ飛ぼうが姿は見えず、何とも言えない罪悪感が湧き上がってきた。
 「お爺さん…ごめん。」
 お爺さんの寂しさが綴られた手紙。だからこそ、どうしようもない脱力感や怒りが、交互に姿を現しては僕を支配する。
 何度「怒り」が湧き上がったことだろう。
 怒りが来る度に、それが大きくなることがわかる。
 「あああ!カラス。あのカラスはどこ行きやがった!」
 僕はついに発狂した。
 自然と体が動き始める。そして、その動きはスピードを速めていく。
 いつの間にか無意識に羽ばたいていたのだった。
 「絶対見つけだしてやる!」
 頬をかすめる今までに感じた事のない程の風が、そのスピードの速さを物語っていた。
 「居た!」
 数キロ飛んだ所だろうか、木陰にポツンと佇むカラスの姿があった。
 カラスは僕に気付くと、距離を離そうと猛スピードで飛んだ。
 しかし、今度は僕の方が速かった。
 ドス!
 カラスに体当たりをすると、二人して地面に落下した。
 地面に叩きつけられるまでの途中、カラスの言葉がハッキリと耳に入ってきた。
 「まだまだ元気があるじゃないか。今のお前の目、それが生きるってことだ。」
 その言葉に唖然とし、僕はバランスを取る事さえ忘れ、無防備なまま地に叩きつけられた。
 遠のく意識の中で、僕は聞き慣れた音が聞こえてくるのに気が付いた。
 
 …カチッ…カチッ…カチッ
 「…時計?しかも僕の部屋の…。」
 すると次の瞬間。
 …カチ。
 ジリリリリリリリリリリリリリ!…
 「ぅああ!ウルサイ!」
 カチ!
 そこには、目覚まし時計を止めた僕の姿があった。
 「自分の部屋だ。」
 夢から覚めた。

7.夢、あやつり人

 パリンッ!
 目覚ましを手に取ると、鏡に投げつけ、それを砕いた。まるで夢を砕くように。
 「くそ!なんだよ、こんな中途半端なままで目覚めやがって…。そうだ!もう一度眠ればいい。そうすれば夢の続きが見られるかもしれない。」
 僕は、ナイスアイデアと言わんばかりに微笑むと、再度ベッドへと身を移した。
 …カチッ…カチッ…カチ…
 時は静かに刻まれていく。
 「羊が一匹…羊が二匹…羊が三匹…」
 羊は静かに数を増やしていく。
 「・・・。」
 「・・・・。」
 「・・・・・。」
 「…ああ〜!眠れん。」
 異常なまでに眠気が無く、苛立ちのみが積もっていく。
 「くそ!もういい。」
 僕は、大きな独り言を言い放つと、夕暮れの街へと駆り出た。
 いつもの街並み。いつもの人混み。
 今の僕にとっては、それは何の価値もなかった。
 「…なんだよ。何が『その目が生きるってことだ』だよ。あんなカラスに何が分かるって言うんだよ。なんでそんなこと言われなきゃいけないんだ。そんなに『生きる』って大切なのかよ。それって、ただ死ぬのが怖いヤツらの言い訳じゃないのかよ。ただ生きてるだけじゃダメなんだよ。そんなんじゃ人間はただの寄生虫なんだよ…地球の。僕だって寄生虫なんだよ。人は、生きる意味なくして生きてちゃいけないんだ。」
 そう言い終わると、僕は無意識に歩道橋から飛び降りていた。
 「これで永久の眠りが約束される。」
 安息の笑みを浮かべた。
 …ドスン!
 アスファルトに落ちた僕は、きっと沢山の車に踏みつぶされたことだろう。

 「・・・。」
 「…痛て〜な!」
 あまりの頭の痛みに、僕は飛び起きた。
 すると、辺りには木々が茂り、僕の体は鳥に戻っていた。
 「…夢に戻って来たんだ。」
 僕は微笑んだ。
 「待っててな、お爺さん。必ず手紙は届けるから。」
 来た道を振り返って叫んだ。
 「よし、行くぞ!もう一頑張りだ。」
 遠い空を目指して羽ばたいた。
 僕にとっての生きる意味は、現実よりも夢の中にあった。

 8.街

 太陽の位置が自分よりも低くなるに連れ、眼下に見える景色が騒がしくなってきた。
 この場所こそ、お爺さんが示した『街』だった。
 この街のどこかに、お爺さんの孫の女の子がいる。
 「よし!」
 と、一声上げ、静かに高度を下げ始めた。
  「暗くなるまでに見つけないと…。」
 夕日が砂時計のように思えた。
 帰宅ラッシュだろうか、人々は急ぎ足で街を行き交う。
 混雑する地上をよそ目に、僕はその上空を悠々と飛んでいた。
 「確か住所は…『灯台岬の1番地』だったよな。」
 分かり易い住所で良かった。灯台、岬といえば海沿いだと想像できる。
 とりあえずは、潮の匂いを頼りに飛べばいい。
 「潮の匂い、潮の匂い…と。」
 排気ガスに混ざって、微かにする潮の匂い。それが少し淋しかった。
 「まるで現実に戻ってきたみたいだ。」
 また、都会にいた頃の嫌な思いが込み上げてくる。
 「ダメだ、ダメだ、こんなんでは。気持ちに押されるな。僕は今、自由なんだ。自由に空を飛ぶ事が出来るんだ。今はただ、突っ走ればいい。」
 そう自分に言い聞かせた。
 やがて夕日が半分程沈む頃には、都心と思われる上空を飛んでいた。
 「都心と言えば…カラスだな。」
 僕は少し嫌な予感がした。
 地上の人混みの中に紛れて、異様な気配がしていた。
 「何かが起ころうとしている?」
 この時ばかりは、予感が的中しないことを願った。
 「これ以上のやっかい事はごめんだ。」
 そう言わんとしている時の出来事だった。
 バン!
 バン!
 バン!
 「うっ。」
 最初、何が起こったか分からなかった。
 急に羽が重くなり、体も重くなり、空に居られなくなった僕は、真っ逆さまに地面を目指した。
 それは落ちているとも言う。
 地面に到達する前に、意識が薄れていくのが分かった。
 そんな中、僕の耳には人間の言葉が入り込んできた。
 「あ、カラス以外の鳥にも当たったみたいです。」
 「何やってるんだお前。バードハンティングしてるわけじゃないんだぞ!カラスを何羽駆除出来るかで報酬が変わってくるんだからな。無駄弾は使うなよ。」
 どうやら僕は、カラスの代わりに駆除されたようだ。

 9.自由の存在と存在の自由

 「空を飛んでいても、引きずり降ろされてしまう。空、そこにも自由はなかった。」
 自分で言った寝言に驚いて目が覚めた。
 「ハッ。…どこだここ。」
 足下には、フカフカに積まれた干し草のベッド。目の前には、自由を奪う鉄格子が張り巡らされていた。
 「捕まったのか。」
 どうやら鳥カゴの中のようだ。
 「確か…あの時撃たれたんだよな?」
 羽を動かしてみると、痛みが走る。撃たれたのは間違いないようだ。
 「あ、手紙は!」
 自分の周りを見渡しても、それは無い。
 「くそ!せっかくここまで来たのに…。」
 そう呟くと、一気に力が抜けてしまった。
 「どうしよう。なんて間抜けなんだ。これって自分の夢の中なんだろう?もう少しなんとかならないのかよ…。」
 そう言いながら部屋を見渡した。
 「あ、目が覚めたんだ!」
 突然の背後からの言葉で、一気に緊張感が高まった。
 「誰かいる!」と振り返ると、鳥カゴを覗き込む巨大な顔があった。
 「うわ!」
 その迫力に、尻もちをついてしまった。
 「もう大丈夫だからね。チーコちゃん!」
 その言葉に僕は、もう一度振り返った。
 「他に誰もいないよなぁ…。ってチーコって僕?」
 すると間髪入れずに言葉が入ってくる。
 「どうしたのチーコ?キョロキョロしちゃって。」
 「やっぱり僕か…。って僕は男だ!」
 っとまぁ、ツッコミを入れたところで理解されることもなく、
 「あ、喜んでるのね!チーコって名前、気に入ってくれて良かった!」
 と誤解を招く結果となる。
 しかし、
 「チーコが空から落ちて来た時ビックリしたんだよ。血が出てたんだよ〜。」
 と、この子が助けてくれたんだと思うと、
 「これからチーコは私のお友達だね。」
 チーコでもいいかなって思う。
 なんだかすごく、ピュアな空間に居るような気がした。
 鳥カゴの中はキレイに整理されていた。この女の子の性格が出ているようだ。
 居心地はさほど悪くない。
 しかし、今まで大空を飛んでいたことを思うと、多少窮屈に思えてしまう。
 世の鳥たちやペットたちは、一体どんな気持ちで人に飼われているのだろうか。
 そんなことまで心をよぎる。
 「あ、ゴメンねチーコ。これあげるの忘れてた。はい、ご飯!」
 僕の目の前に出されたのは、玉子のかかったご飯。一口食べると、なぜか懐かしい気持ちになった。
 「おいし〜でしょ?これはねぇ、お爺ちゃん特製のご飯なんだよ!チーコちゃんは私のお爺ちゃんのこと知ってるんだよね?」
 「知って…る?」
 僕の表情を見て、少女は言葉を続ける。
 「手紙…ありがとね。私もお爺ちゃんに手紙を書く。だから、チーコちゃん元気になったら手紙を届けて欲しいの。お願いします。」
 言い終えると、ペコリと頭を下げた。
 「この子がお爺さんの孫だったんだ…。」
 そう気付くと、言いたい事が次々出てくる。
 「なんでお爺さんに会いに行ってやらないんだよ!手紙?返事?そんなものどうでもいいんだ。お爺さんは、何よりも君に会いたがってるんだ。あんなだだっ広い家で、たった一人で…。」
 と、僕の言葉が出終わる前に、少女が言葉を入れた。
 「ホントはね…会いたいの。でも会えないの。自由に歩くことさえ出来ないの。家の外に出るのは、病院へ行く時だけ。私はね、いっぱい動くと死んじゃうんだって。」
 「…この子、心臓でも悪いのか?」
 「チーコちゃんはいいな〜。お空が飛べて。自由に歩けて。」
 「僕が自由…。」
 カゴの中に居るのに…羽をケガしてるのに…好きなこと何も出来ないのに…それでも僕のことを自由だと言う。
 「・・・・。」
 僕は自由の意味が分からなくなった。

 10.ねがい

 「一体、いつになったら返事を書いてくれるんだ?」
 この家に来て一週間くらい経ったのだろうか。いつしかカゴの中の生活にも慣れてきていた。
 「そろそろいつもの時間だな。」
 ガチャ。バタン。トコトコトコ…
 と小さな足音と、
 「チーコちゃん、おはよ〜!」
 と、元気な挨拶が朝の日課で、
 「今日も一日、都羽子(とわこ)と遊んでね。」
 と、少女の名前も分かった。
 「チーコちゃん、今日はね、お爺ちゃんにお返事を書こうと思うの。」
 都羽子の手には、便せんとペンが用意されていた。
 「お!ついに本題か?」
 僕は目を輝かせると、少し都羽子に近づいてみた。
 「手伝ってね!」
 「は?どうやって?」
 既に都羽子モードだった。
 机に便せんを置くと、都羽子はペンを走らせた。
 女の子らしさのあるキレイな文字で、便せんは少しずつ埋まっていった。
 「チーコちゃんも書く?」
 この子、本気で言ってるのか冗談なのか、分からない時が多々ある。
 鳥な僕は、それにツッコミを入れることも出来ず、それが結構歯痒かったりもする。
 「私はね、頑張って早く病気を治すの。そうしたら、お爺ちゃんとこにいっぱい行けるよね。」
 手紙を書きながら、都羽子は独り言を始めていた。
 それに対して、僕はいつものように相づちを打つ。
 「頑張れよ。」
 「でも…、治るのかな?」
 「きっと治るさ。」
 「・・・・。」
 僕の精一杯の相づち。でも、それは人と鳥の独り言でしかない。僕の応援は彼女には届かない。
 「手紙を持って行ってほしいの。…いっぱい、いっぱい書くから。」
 一方通行の会話でも、なんだか繋がってる気はしていた。
 不思議と、都羽子は僕の気持ちをわかってくれているように感じられた。
 「いつか…一緒に行こうな。」
 僕の素直な気持ちだった。
 すると都羽子は、チラリとこちらを見て微笑んだ。
 「チーコちゃん、もう少しで書けるから待っててね。」
 無邪気な笑顔を見てしまうと、「いくらでも待ってやるよ」という気分になってしまうから不思議だ。
 僕は、窓の外へと視線を移した。
 大空を舞う鳥達が見えた。が、それを自由だと思う自分は、もうそこにはなかった。
 バタン!
 突然背後で大きな音が聞こえた。
 驚いて振り返ると、そこには何もなかった。あるはずのものもなかった。
 「都羽子!どこ行った?」
 さっきまで手紙を書いていた少女の姿がない。
 目を凝らして探すと、机の隙間から都羽子の倒れた姿が見えた。
 「おい!大丈夫かよ!」
 詰め寄りたいが、ここはカゴの中。鉄格子が行く手を塞いだ。
 「誰か!誰か来てやってくれ!」
 大声で叫ぶが、きっと周りから見れば、それはただの囀りのように聞こえるのかも知れない。
 「くそ!誰も来そうにないじゃないか。」
 ガシャッガシャッ!
 力ずくで扉を開けようとしたが、全く歯が立たない。
 「ダメだ、こんなんじゃ。」
 僕は、何か覚悟を決めると、深呼吸を一つした。
 「行くぞ。」
 鳥カゴの側面を蹴り、対面に向かって思いっきり体当たりした。
 ガシャン!
 「う。」
 体にかかる負担は予想以上に高い。その割には効果が現れるのか分からない。しかし今はそうするしかなかった。
 ガシャン!
 身を貫く痛み。
 ガシャン!
 やっと治った体での体当たり。
 ガシャン!
 小さな体での小さな抵抗。
 ガシャン!
 やがて体の骨は砕け始め、流血が止まらない。
 「くそぉ!なんとかなれよ!」
 ガシャン!
 諦めず続けた。
 ガシャン!
 ガシャン!
 ガシャン!
 やがて意識は朦朧とし、僕は何かに引き戻される感覚に襲われた。
 「待て、戻さないでくれ…。僕を現実に戻さないでくれ!」
 思いとは別に、僕は気を失っていった。
 「頼む。あいつを助けてくれ…。」
 たった一つの願いだった。

 11.死して

 目が覚めると、僕は病院のベッドの中にいた。どうやら、歩道橋の上から飛び降りた僕は助かったようだ。
 「つまらない夢だった。」
 と、目に浮かべた涙を拭い、負け惜しみを言った。
 コンコン。ガチャ。
 病室のドアが開いた。
 「あら、目が覚めたみたいね。」
 看護婦のようだ。
 「もうすぐ、ご両親が来られますからね。」
 僕を心配させぬように言ってくれたのだろう。
 「ご心配なく。大丈夫ですから。」
 正直に言った。
 すると看護婦は、
 「大丈夫じゃないのよ。当分の間は絶対安静よ。」
 と、少し口調も荒くした。
 「…そうですか。」
 少しトーンを下げた僕に、
 「何か欲しい物でもありますか?」
 と、今度は優しい言葉が返ってくる。
 少しの沈黙の後に、
 「…地図。色々な場所がわかる地図が見たいです。」
 と答えた。
 看護婦は不思議そうに、
 「どうして?」
 と問い、僕は、
 「…地図好きなもので…。」
 と苦し紛れな言葉を言った。
 「…そう、わかりました。今持って来てあげますね。」
 看護婦は、病室を後にした。
 僕は、一息ついて天井を眺めた。
 さんざん寝ていた為だろうか。眠気が来そうにもなかった。
 やがて、さっきの看護婦がやってきて、いくつかの地図帳を置いていった。
 僕は、なぜか都羽子が実在するような気がしていた。
 夢の見過ぎだろうか?それとも夢と現実の区別がつかなくなったのだろうか?
 どっちでもいい、彼女の居場所を探してみたかった。
 「あっ。」
 地図を見始めて数分後、僕の動きが止まった。
 「ある。」
 あの街が見つかった。
 偶然かもしれない。あの街じゃないのかもしれない。
 でもどっちでも良かった。
 今はただ、病室でじっとしていることが出来なかった。
 安静だと言われた体を無理矢理起こし、看護婦達の監視を切り抜け、僕はあの街を目指した。
 電車で数時間揺られていると、その街に辿り着いた。
 都羽子の家。大体の場所は分かっていた。
 タクシーに乗ると、
 「灯台岬の1番地までお願いします。」
 と告げた。
 無愛想なドライバーは何も言わず車を発車させた。
 僕はその反応に、怒る事どころか喜びを感じた。
 「灯台岬の1番地は存在するんだ!」心の中で感嘆の声を上げた。
 しばらく車に揺られていると、見覚えのある風景と出くわした。
 「ここは…僕が打ち落とされた場所だ。」
 銃を持った業者も居た。
 一つ一つ、夢と現実が重なっていくのに、恐怖さえ覚えた。
 「都羽子は居る。」
 その確信に手が届きそうになった時、運転手は車を止めた。
 「お客さん。これ以上は行けませんね。今日は葬式があるみたいで道が塞がれてます。」
 「そうですか…。1番地までは、あとどれくらいですか?」
 と、僕は仕方なく言うと、
 「すぐそこですよ。この葬式もその家なんじゃないですかね。」
 と、返ってきた。
 僕は、心にガラスが突き刺さる思いがした。
 「まさか!」
 っと、タクシーから飛び出ると、痛む体で走った。
 喪服姿の行列を抜けると、そこには都羽子の姿があった。
 「都羽子!」
 僕は無意識に叫ぶと、返事を待った。
 しかし、返事などするはずもない。
 都羽子は写真でしかなく、それは都羽子の母親が持っていた。
 まさしくこれは、都羽子の葬儀だった。
 「都羽子…。」
 呆然と立ち尽くす僕に、一人の男性が声をかけてきた。
 「失礼ですがどちら様でしょうか?」
 振り返ると、声の主はあのお爺さんだった。
 突然の出来事に言葉が出ないでいると、
 「都羽子とはどういう…?」
 と、お爺さんは更に質問を重ねてきた。
 「…友達なんです。」
 と、僕の精一杯の答えに、
 「そうでしたか。」
 と、お爺さんは嬉しそうに答え、話を続けた。
 「お友達にまで来ていただけて、都羽子もきっと喜んでおります。もしよろしければ、このあと火葬場で最後のお別れがありますので、是非いらしてください。」
 「…はい。是非。」
 その時、僕の頭の中は真っ白で、何をしていたかも覚えておらず、次に気が付いた時には火葬場で、都羽子の入った棺桶を遠くから見つめていた。

 僕は、今まで上しか見ていなかった気がする。ただ羨むばかりで、求めることしかしなかった。だが、上には上があるように、下には下があった。
 本来、人間に当然のように与えられているものすら、与えられずに死んで行く者達がいる。
 都羽子が僕を自由だと言った訳が、少しだけ分かった気がする。

 「都羽子。君はこれで自由を得る事が出来たのかい?ねぇ、もう一度でいい。その口をあけて、僕の問いに答えて欲しい。君の口からその答えが聞きたいんだ。お願い…。」

 都羽子の棺桶は、炉の中へ。
 そして、炎の中へと消えていった。

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