●特集「俺たちはJリーグで6番目に強いチームじゃない」(2)
(文:オヤジ 2007/12/27)
サイドを巡るチームの葛藤
筆者はこの稿を書く以前にとある友人に議論の中で
「お前は坂本隊長が田中隼磨より劣っているというのか!」と怒鳴られたことがある。筆者はそのときに咄嗟ではあるが、しかし確信を持って
「隼磨のほうが優れている」と答えた。それは坂本個人の問題だけではない。チーム事情を考慮した上での解答だった。サイドを巡るチームの葛藤。我々は大きな問題を置き去りにしながら、ただ何も知らないフリを決め込むより外はないのか。
・2006年前半 チームに一つの葛藤が生まれる
2005年までのアルビレックスは左サイドに強力な攻撃陣が揃っていた。特に、2004年と2005年に3-4-3を敷いていた時期は鈴木慎吾とファビーニョの左サイドの両ドリブラーから多くのチャンスが生まれた。それに引き換え右サイドの攻撃力不足、左サイドとのバランスの悪さが常に指摘されるチームでもあった。特に2005年にはアンデルソン・リマを獲得するも、右サイドの攻撃を左サイドと同等に活性化するまでには至らなかった。(筆者は何もアンデルソン・リマ自体を否定するわけではない。彼のFKは当時のJリーグでNo.1であり、彼に救われた試合が多いことは周知の事実だ。)
2006年になり鈴木監督が就任すると決して崩すこと無い4-4-2の中でどのようにして両サイドアタックを構築するかということが非常に重要なテーマとなった。2006年のシーズン序盤、右サイドは寺川、左は慎吾という布陣でスタート。その後、本間の怪我により寺川をボランチにコンバートする必要に迫られ、田中亜土夢が右サイドを務めるようになる。しかし、2006年4月30日のガンバ戦で突然、右サイドに宮沢克行が先発で起用される。筆者はこの日が新潟の両サイドを巡る葛藤の始まりだったのではないかと推測している。
サイドを巡るチームの葛藤。カウンターサッカーで活きる選手とポゼッションサッカーへの強烈な志向を持つ監督。その選手と監督の狭間でチームは揺れ、その歯車を少しずつ狂わせて行ったのではないだろうか。
宮沢克行は2004年に山形にレンタル移籍し、そこで鈴木淳監督のサッカーと出会う。2006年に奇しくもこの二人は同じチームとなり、ファビーニョ、鈴木慎吾との能力差は別にしてもいち早くアルビの中で鈴木監督のサッカーに慣れた一人であろう事は想像に難くない。しかしながら、この4月30日のガンバ戦では宮沢は前半終了時に鈴木慎吾と交代。今度は左:ファビーニョ、右:慎吾という状態になる(ちなみにこの試合は中原の美しいミドルが決まり1-0で勝利)。
鈴木監督はこの後の京都戦でもう一度宮沢を先発起用しているが、この京都戦においても59分に鈴木慎吾と交代させている(結果は1-1)。京都戦以後、左:ファビーニョ、右:慎吾が定着する。この形は非常に機能したように見えた。筆者は鈴木慎吾が左利きの右サイドとして新たな才能を開花させたことを喜び、同時に反町監督時から抱える慎吾とファビの両立というテーマに新しい光が差したように感じていた。しかし、この蜜月の関係も松下の台頭で終焉を迎えることになる。
・2006年後半 戦術か選手か、ファビーニョ退団
松下は2006年6月にガンバから期限付き移籍し、9月30日のFC東京戦で2得点を挙げると、スタメンに定着した。ボランチを務めることも出来る松下はドリブルとシュートの威力はファビーニョには及ばないものの、鈴木監督のスタイルによくはまる選手であった事は間違いない。対照的にカウンターサッカーの申し子ともいうべきファビーニョは鈴木監督のポゼッションサッカーの中でベンチを暖めることが多くなっていった。リーグの終盤戦は松下をサイドバックにコンバートし、慎吾・ファビ・松下と同時に起用する布陣も見せたが、松下が鈴木監督の求めるサイドバック像に適合しないと見るや、再びファビはベンチを暖めることになった。そしてファビは契約の更新を打診されずにチームを去ることになった。それは鈴木監督の戦術が選手の存在を超えることをフロントが容認したことに他ならない。
2006年のアルビレックスはそれまでのカウンターサッカーから一転、ポゼッションサッカーを目指すチームとなったが、その中でサイドの人選は多くの試行錯誤が為され、監督の戦術が選手の存在より優先するアルビにおいて、監督のサッカーに適合することが難しいファビーニョは外国人枠の制限があるとはいえ、犠牲となってしまった。
・2007年前半 坂本の加入、慎吾の苦悩
シーズンオフにジェフから坂本を獲得したと聞いたとき、筆者は驚きを隠せなかった。しかもアルビはサイドバックでの起用を考えているというではないか。筆者の当時の心境としては、「ついに新潟もグッドプレイヤーを他チームから引き抜けるまでになったか!」と胸が高鳴ったと同時に「コンバート」という不安も僅かながら存在した。しかしその不安も「坂本はベテランで(だから戦術理解能力があり)、オシムに鍛えられていたから問題なし」と勝手に解釈していたのだった。
2007年のアルビレックスは大分、浦和と引き分け(終了間際、奇跡の同点弾2発!!)、名古屋には敗れたものの、第4節の川崎戦から3連勝(川崎、FC東京、ガンバを下す!)を成し遂げるなど、しぶとく勝ち点を稼いだ。その中で坂本はサイドバックとして早くもチームの顔となり、若い選手を鼓舞する姿は我々サポーターの胸に響くものがあった。しかし、サイドバックというポジションは、攻撃力を発揮できるかどうかはゲームの流れと密接に関連するものであり(当然ながら押し込まれる展開の中では守備に奔走せざるを得ない)、決して強豪とは呼べないアルビレックスの中で坂本本来の攻撃力は発揮できないままでいた。
その一方で同じく2007年に加入したMFマルシオ・リシャルデスにより、右サイドの攻撃はそれまでのアルビとは全く異なり強力な武器へと進化していった。そのなかで右サイドバックである内田の活躍は目を見張るものがあった。
内田は日本人が単純にイメージするサイドバック像とは異なる。日本人が持っている(これはサポーターだけではなく、ある程度の識者も含めて)理想のサイドバック像はロベルト・カルロスだろう。フィジカルに優れ、ドリブルに抜群のスピードがあり、攻撃時には果敢なオーバーラップからクロスを上げ、または強烈なミドルを見舞う、そのような選手が日本人の理想のサイドバック像であるはずだ。内田は確かにクロスを含めたロングパスには魅力はあるが、決して足の速い(ドリブルも含めて)選手ではないし、フィジカルに優れているかと問われれば、そうではない。しかし、内田はサイドバックというポジションをよく知っている。的確なタイミングのオーバーラップは秀逸であり、ドリブラーではないが攻め上がることは巧い。そして内田が何より素晴らしいのは自分の前にいる選手(つまり右MFのマルシオ)を活かすプレーだ。前にいる選手に気持ちよくプレーしてもらうために、攻守において自分はどのように動くべきかを考えてプレーしているように見える。例えて言えば(誇張しすぎているかもしれないが)、ベッカムとG・ネヴィルのようなコンビネーションがそこにはある。
さて、内田がサイドバックをよく知っている選手である一方、坂本はやはり「コンバートされたサイドバック」感が今ひとつ拭えなかった。その理由は坂本もそして前にポジションを取る鈴木慎吾も基本的には「攻撃の人」だからだと筆者は考えている。お互いサイドハーフ(またはウィングバック)を担当することが多かった坂本と慎吾は動き方の習性で似てくる部分があり、プレーとコンビネーションに関する齟齬(そご)があったように見受けられる。
また、巧みにボールをキープし、ドリブル・パス・シュートに移行できるリシャルデスに対し、単独でのドリブル突破、速攻などの局面では活きるがポゼッションではフィットしない慎吾とでは確かに慎吾に見劣りする部分があった。(「見劣りする」のは鈴木監督のサッカーに合わせての見方であり、筆者自身は鈴木慎吾を起用する以上は彼の良い所を上手く引き出すようにチーム戦術を構築すべきと考えており、ポゼッションサッカーだからとはいえ、中盤の選手全員がボールキープとパス回しを積極的に行う必要は無いと考えている。)そして、繰り返しになるが慎吾も坂本も「攻撃の人」だったことでサイドバックとサイドハーフが保たねばならないバランスが崩れているように鈴木監督には感じられたのだろう。4月に加入した松尾がチームにフィットすると慎吾はベンチスタートとなってしまった。
ここで松尾に簡単に触れておかねばならないが、松尾は左サイドバックを得意とする選手で、内田と同様にとりわけ身体的に優れているわけではないが、サイドバックが如何に動くべきかをよく知っている選手である。鈴木監督が内田と松尾を起用するということは、経緯はどうであれ、日本人の持つサイドバック像に一石を投じるものだと筆者は考える。単純に駒野のような選手を集めれば良いというわけではない。
結果的に松尾にスタメンを奪われる形となった慎吾は苦悩したに違いない。特に自らが悪いプレーをしているわけではないのにチームの戦術(監督の言う戦術が絶対に正しいとは限らないが、チームによっては選手の存在を超えて優先することがある)という都合で自分がプレーできなくなってしまう事は彼にとって大変辛いことであったに違いない。
確かに彼の辿りつつあるこの状況は2006年にファビーニョが退団せざるを得なかったそれに酷似する。また彼自身もそのことを感じていたのではないか。
この状況は彼をして自分と同ポジションの選手が手薄な大分でプレーすることを選択せしめる。その決断の過程で彼がかつて所属した
京都サンガの試合を見たとのことだが、過去に彼とJ1で共に戦った選手がJ2であっても溌剌とプレーしていることを目の当たりにした慎吾は「自分を真に必要としてくれるチームでプレーする」ことの重要さを痛感したのではないだろうか。
筆者は慎吾の移籍に関して、上記のように表面的な理解は可能だが、それと同時に強烈な憤りをも感じている。慎吾が移籍を考えた6月30日時点でアルビレックスはリーグ3位に位置し(勝ち点32)、当時の首位であるガンバ大阪とは勝ち点は離れているものの(勝ち点41)、中断開けの8月11日ガンバ戦で勝利することが出来れば、実力的にどうあれ、一気に優勝争いに食い込むことが出来る立場だった。プロフェッショナルなチームとしてはそのような立場であれば優勝を目標にチームが結束しなければならない。しかし鈴木慎吾は、優勝は狙うことが出来るかもしれないが、選手層は極めて薄いというチーム状況を無視し、移籍を志願した。慎吾にはもう一度、レギュラーを獲るために努力してほしいという願いが当時の筆者の偽らざる気持ちだった。チーム戦術を超え、自らの持つスタイルを顕示し、監督をねじ伏せて欲しかった…。
移籍決定の報道を知り、筆者は鈴木慎吾という男に失望した。最終節、鈴木慎吾の登場にスタジアムが拍手に包まれる中、筆者はひとりブーイングを繰り返していた。そして慎吾に対し、バナーを作ることが出来たならば
「SHINGO IS JUDE」(筆者注1)と書いただろう。筆者にとってはどれだけ鈴木慎吾が
奇麗事を並べようとも、もはや彼は「裏切り者」でしかない。
・2007年後半 チームは成長していると言えるか?
2007年の後半は両サイドバックが各々のサイドのハーフの選手に対するバランサーとなることでチームのサイド事情は一先ず解決したかのように思えた。しかし、2007年のアルビは夏場以降に主力選手の怪我とコンディション不良とカード累積による出場停止(選手層の薄いチームはこれが負のサイクルとなり襲いかかる)により、4連敗を喫するなど、チームの勢いは誰の目にも明らかな形で失速する。
たしかに今シーズンのアルビは大量失点を喫しての敗戦が激減し、チームとしてのパフォーマンスが向上していた事は間違いない。しかし、その中で内田と松尾に怪我やコンディション不良があり、その代役として三田(内田の代役)と中野(松尾の代役)が起用されたが、三田は守備の部分で決定的な判断ミスが続き、また中野は守備では光る働きを見せるものの攻撃では実力不足の感が否めなかった(筆者はサイド「バック」なのだから守備を重視する考えがあってもよいと思う)。
リーグ終盤11月10日のFC東京戦にて再び坂本がサイドバックにコンバートされる。左サイドハーフは寺川がこの試合より最終戦まで務めるが、寺川はこのポジションに不慣れなためか、攻撃のリズムを作り出すことが出来ず、逆に停滞をもたらしてしまった(前稿参照)。そして坂本のサイドバックとしての動きも慎吾とプレーしていた時と変わっていたようには残念ながら見えなかった。結局、慎吾の移籍は何も生まなかった。鈴木監督は試合中の選手起用に関しては良く言えば「我慢の采配」が多いが、長期的なチーム作りの上で慎吾を「我慢」出来なかったことが、後半戦にチームの成長を促すことができなかった大きな要因なのではないだろうか。
また、この時点でなぜ坂本を再びサイドバックで使ったのか疑問があるがそれにはいくつかの理由が考えられる。
(1)松尾と中野の攻撃力に不満があった。
(2)来シーズンの新加入選手として左サイドハーフの選手の獲得に動いている
(3)坂本もやはり鈴木監督の求めるサイドハーフ像に適合しなかった
(1)に関して、確かにそのように鈴木監督が感じてしまう事は納得できるが、それではサイドハーフの攻撃力を犠牲にしてまでサイドバックの攻撃力を上げる必要があるかという新たな疑問が生まれる。
(2)についてであるが現在、セレッソの古橋にオファーを出している、または大分の松橋章太にオファーを出していると聞く(あくまでスポーツ新聞やネット上に書かれている範囲でだが)。松橋を左サイドハーフで使う事はあまり考えられないが、慎吾、松下、深井を次々にテストし、ただ監督の戦術にあてはめようとして「帯に短し、たすきに長し」としている現状では来年古橋が来たとしてもあまり期待は出来ないのではないかと考えてしまう。踏み込んで言えば、古橋がファビーニョ、慎吾に続く第3の犠牲になってしまうのでないかと憂慮する(まだ移籍が決まったわけではないが)。
さて(3)であるが、ファビーニョ、慎吾に続く第3の犠牲は坂本となる可能性もあり得るということも忘れてはならない。なぜならば坂本の今シーズンのプレーは必ずしも鈴木監督の求めるサイドハーフ像に合致するとは言えなかったからである。確かに坂本は運動量が豊富で、ドリブルにも粘り強さがあり、クロスも高精度であるが、ゲームを組み立てる選手ではない。鈴木監督の求めるサイドハーフ像で大きく占めるものはまさにそこで、「ゲームメイカー」でなければならない。人によって「ゲームメイカー」の定義は違うが、鈴木監督が求めるサイドハーフとしてのゲームメイカーはおそらく、中村俊輔や松井大輔のように、局面に応じて、パス・ドリブル・ボールキープ・シュートが等しく可能で、周りの選手の動きに対し最適にそれらが実行できる(または周りの選手の動きを巧みに引き出す)選手であろう。端的に言えば(攻撃的な中盤として)オールラウンダーということになる。坂本は確かにグッドプレイヤーではあるが、そのような選手ではない。
それでは今シーズンの坂本はサイドバックとしてどのように評価すべきだろうか。冒頭に名を挙げた田中隼磨と比較する。
田中隼磨は坂本と同様に長く3-5-2のウィングバックとしてプレーしたが、2002年の東京Vと今シーズンのマリノスで4バックの右を担当している。そのような点では3-5-2の両ウィングバックをジェフで長く務めてきた坂本とは格好の比較対象となる。坂本と隼磨を比較するとサイドバックとして基本的なファクターは互角である。ドリブル、クロスの精度、スタミナはどちらに分があるか、容易に判定できる目を持つ人間は少ないだろう(坂本は左右どちらでも高精度のクロスが上がる分、坂本のほうが若干上か?)。
しかしながら動きの質となると、現時点では隼磨に分がある。マリノスのサッカーの特徴として攻守の切り替えが速いことが挙げられるが、これはサイドバックとして実行に移すことが最も難しい。しかし隼磨はハイレベルにこれを遂行する。第33節のマリノスvsアルビレックス(一応、ホームチームを前に書く)は攻守の切り替えの速い好ゲームであったが、中でも隼磨の切り替えが抜群に速く、アルビは隼磨に何度も脅かされた。また隼磨はカウンターを仕掛けられた場面でも、冷静にマークとカバーリングを行い、アルビのチャンスを潰した。一方坂本も隼磨を制し、クロスで好機を演出するシーンも見られたが、隼磨が清水や山瀬を「活かし、活かされ」ながら好機を次々と作ることに比べると、ときにアイディアを失いバックパスを見せる坂本はやはり現時点ではサイドバックとしては隼磨の方に分があるように見えてしまう(しかし、この試合の56分で見せた坂本のクロスが最も決定的なチャンスであった事は言うまでもない。ちなみにこれは貴章が抜群のタイミングを以って頭で合わせるも榎本の神がかり的なセーブで防がれてしまう。このプレーが試合の勝敗を分けた)。
隼磨は坂本と同じくコンバートされたサイドバックであるが、サイドバックをこなした試合数の差なのか、はたまた我慢して使う監督の差か、隼磨はサイドバックの何たるかをモノにし、そして坂本は未だ「コンバートされたサイドバック」特有のぎこちなさから抜け出すには至っていない。また、「我慢して使う監督の差」と書いたが、見方を変えれば隼磨はその起用法について監督を迷わせる事はなかったが、坂本は図らずも迷わせてしまった。そのような点においても残念ながら坂本は隼磨に劣ると評さねばならない。
しかし、坂本は既にベテランではあるが、サイドバックとして日本屈指の選手になる可能性を秘めている。その可能性を開花させるためには坂本が今までの自らのプレーにこだわることなく、(つまり単純に3-5-2のウィングバックとしてプレーしていた際の攻守における個人戦術や勘所をそのまま持ち込むに留まるのではなく)、サイドバックというポジションを一から研究し尽くし、そこに今まで培った経験を織り交ぜることが必要となる。しかし、それには坂本自身も、そして監督をはじめとしたチームスタッフも一丸となり、今度こそ腹を据え、一貫性を以って「坂本のサイドバックへのコンバート」に取り組む必要がある。坂本が素晴らしい左サイドバックとなった日に初めてアルビレックスが長く抱える「サイドを巡る葛藤」は解決へ向けて大きく前進するのではないだろうか。
※筆者注1
JUDE = Judas Iscariot イスカリオテのユダ
新約聖書に登場する12人の使徒のひとり。イエスを裏切ったことから「裏切り者」の意で用いられることが多い。レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」にて黄色の衣をまとい、金貨が入っていると思われる袋を所持する(つまりイエスを金で売ったということ)。