Terrible Booing Soccer

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●提言●

マネーサッカーへの警鐘 浦和レッズよ、恥を知れ


(文:オヤジ 2008/01/19)


 現在、巷では浦和に対する賞賛で溢れている。アジアチャンピオンズリーグ(以下:ACL)を苦難の末に制し、クラブワールドカップ(以下:CWC)で3位という結果を残した浦和は「2007年の主役」と大衆メディアのみならず専門誌でも絶賛されている。

 周知の通り、浦和レッズはその日本一(いや、アジアNo.1と評しても差し支えないだろう)の戦力を保持しながら、リーグタイトル、ナビスコカップ、天皇杯を逃している。結局2007年が終わってみれば、リーグタイトルと天皇杯のダブルを達成したのは鹿島だった。浦和は2007年の目標としてリーグタイトルとACL制覇を明確に掲げていたにもかかわらず、これを達成できなかったことについて何らかの評価を下しているメディアは少なく、ただ賞賛を繰り返すのみである。

 浦和への過度の賞賛は日本サッカーを停滞、もしくは後退させてしまうのではないかと筆者は危惧する。本稿にて2007年の浦和のサッカーの本質を焙り出し、浦和というチームが豊富な資金力以外に特に優れたものを持ち合わせていないことを示したい。その上で、さらにマネーサッカーを加速させようとしている浦和に警鐘を鳴らすことが本稿の目的である。





 就任時にポゼッションサッカーと4バックを掲げたオジェック監督であったが、リーグ戦においてスタートダッシュに失敗すると、泣く泣く(だと思われるが)自らの理念を捨て、従来のカウンターサッカーと3バックにチームを戻すことで成績を安定させることに成功した。しかし、このサッカーはオジェック流ではなく、どちらかといえばエンゲルスコーチのサッカーであると思われるが、その本質は個人の能力そのものに大変依存したカウンターサッカーだった。浦和のカウンターはポンテのキープ力とワシントンの体躯を活かしたポスト・キープが中心となるが、その二人のどちらかが欠ける、または不調に陥る状況になると浦和のカウンターは途端に威力が減じてしまう。

 余談ではあるが、一年間(ポンテ・ワシントンが中心となった昨年からと考えて二年間というべきか)そのようなサッカーに終始した結果が、ポンテが欠場したCWCのACミラン戦後、国内の評価とは異なり、イタリアのガゼッタ紙に「教科書通りの恐る恐るのカウンター」と酷評された事は非常に的確であり、最高に皮肉な結果である。

 また守備においても一見、非常に組織されたように見えるが、実は個に依存する部分が多く、坪井、阿部、闘莉王の3バックであればどのような攻撃でも跳ね返してしまう迫力を見せる一方、代役の堀之内、ネネなどが入ると(特に3バックのうち、二人が代わると差は歴然となる)見劣りする印象がある。これは浦和のディフェンスはシステムが優れているわけではなく、単に「代表クラスの」選手が水際で食い止めているに過ぎない。

 このように攻守において、非常に選手個々に依存した結果、監督の思考は停滞し(オジェックは当初掲げていたサッカーを実行に移すことをやめてしまった)、長期的な展望を忘れ、「いつもの選手で試合に臨めば、いつも通りに勝てる」という短期的にだけ満足の行くサッカーになってしまう。この「いつもの選手で試合に臨めば、いつも通りに勝てる」というのは他チームからしてみれば大変にうらやましいことではあるが、裏を返せば代表戦などで選手が不在となる場合、浦和サッカーは脆さを露呈する。それがナビスコカップ準々決勝のG大阪戦である。

 第1戦(浦和ホーム)では代表3バック、鈴木啓太、ワシントンが欠場する中、ドローに持ち込むが(ここまでは上出来)、1週間後の第2戦では前半9分にCKから失点すると守備が崩壊し、立て続けに失点。2-5での大敗を喫してしまう。第2戦は代表選手が不在という以上に浦和サッカーにアイディアがないことを感じさせる試合となった。(ちなみにガンバは、バレー、マグノ・アウベス、遠藤、橋本、加地が欠場)

 この一戦は、控え選手も含めチーム全体で攻撃サッカーを実現できる西野監督に対し、お仕着せのサッカーでしか戦うことのできないオジェック監督の確固たるサッカーの無さを浮き上がらせる試合となった。





 2007年の浦和にとって最大の誤算(当人たちはそう思っているだろう)はレギュラー選手たちが終盤に疲労を蓄積し、本来のプレーができなくなったことだろう。しかし浦和は控え選手をうまく使っていれば、疲労によるリスクを軽減できたのではないだろうか。

 強調したいのは、浦和は「結果的に」リーグの優勝争いをし、ACLを優勝することを目標に掲げていたチームではないということである。2007年の「至上命題」としてリーグ優勝とACL優勝を掲げていたチームなのである。
 にもかかわらず、十分予想できる疲労リスクを軽減する工夫が無さ過ぎたのではないか。堀之内の19試合出場は合格点としても、相馬(13試合)、ネネ(12試合)、細貝(8試合)は実力に比べると出場試合数が少ない印象を受ける。終盤戦に山田・闘莉王など故障者が続出するに従い、上記の選手は出番を得るが、チームにフィットしない状態で最終盤の重要な局面を迎えてしまったことは否めない。

 対照的にリーグ優勝した鹿島とACLを戦った川崎Fは控え選手のシーズンを通しての育成に見事に成功し、終盤戦に近づくに従って、尻上がりにチーム状態が良くなって行った。特に鹿島と川崎Fが浦和と決定的に異なるのは控えFWの育成である。川崎Fは鄭大世・黒津・久木野が成長し、鹿島は興梠が決定的な仕事ができるまでになった。しかし、浦和は5試合以上出場した控えクラスのFWは岡野しかおらず、その出場時間はきわめて短い。浦和は膠着した終盤戦で前線を活性化させる若手がいなかったのである。

 レギュラークラスの選手の疲労リスクを管理できず、若手や控え選手を育成できなかったことが(さらに言えば、育成する気が無かったことが)浦和が2007年にリーグタイトルと天皇杯を逃した要因のひとつであることは間違いない。





 以上をまとめると2007年の浦和は

「監督はお仕着せのサッカーを演じさせられ、組織的なチーム作りは無く、個の力のみ」

「予想される疲労リスクに対策を講じない」

「決定的な仕事ができる準レギュラー・控えを育成できない」

 というチームであった。これではタイトルを奪取できないことも納得がいく。そして現在、浦和レッズはこれらの問題を全て「金」で解決しようとしている。





 エジミウソン獲得に全てが凝縮されているが、この移籍は浦和フロント陣の知性の欠如と日本をリードするクラブ(当人たちはそのように思っているだろう)としての器の小ささを物語っている。

 あまり語られないことだが、浦和が他国リーグから連れてきた外国人には「当たり」が少ない。ニキフォロフ、アドリアーノ、ドニゼッチ、アリソン、ゼリッチ、アルパイ、ネネなど「はずれ」だった外国人は枚挙に暇が無い。やや「当たり」はマリッチ。近年で「当たり」と言えるのはポンテくらいのものだろう。エメルソンやワシントンは他のJリーグチームで活躍している(つまり「当たり」であることは実証されている)選手を引き抜いて連れてきた選手である。

 もともと他のJリーグクラブから引き抜く方法で成功を収めたのはガンバ大阪であった。  
 2004年に神戸からシジクレイを引き抜いて(当時の事情は神戸の財政難が由来するが)旨味を得て以来、2005年には清水からアラウージョを、2006年には大分からマグノ・アウベスを、2007年には甲府からバレーを獲得し、いずれの補強も功を奏している。そして2008年に入りFC東京よりルーカスというJリーグでの実績が十分のFWを獲得している。ガンバもかつては外国人の「当たり」「はずれ」のあるクラブであったがこの方法を採るようになってからは、当たり前だが外国人の実力が安定して行った。

 この方法は一石二鳥で、外国人に「はずれ」が無くなる事と同時にライバルチームの弱体化も図ることができる。しかしながらガンバはそのような姑息な手段を採る一方で、育成にも大変力を入れ、毎年ユースから実力のある選手が昇格することも併記しておく。 

 財政、成績共に安定し、Jリーグに犬飼専務理事を送り込み、アジアの盟主として世界に挑むクラブが結局は育成もままならず、強化の方法は他クラブの二番煎じで、札束で他クラブをひっぱたくかのようにライバルチームの主力選手を引き抜いていく。また、おりしも時流も浦和に味方し、日本人選手の海外移籍ブームにも陰りが見え、W杯予選・本戦の出場への不安が海外在籍選手に渦巻く中、その不安を見事に煽り、高原を獲得した。浦和のこれらの補強はクラブの理念など見えず、金の臭いしかしない。誰もが読売巨人軍を想起する。にもかかわらず浦和の補強に異を唱える人間はほとんど存在しない。

 考えたくもないが、小野や長谷部が噂どおり移籍となれば、再び時流に乗り、不安を煽り、稲本や松井に触手を伸ばすかもしれない。どうせなら大黒も獲得してあげてほしい。久しぶりに彼のプレーも見てみたいところだ。

 話が逸れたが、アジアの盟主としての自負があるならば、中小クラブのエースを獲得し、他チームの弱体化を図りながら自チームも強化するなどという姑息極まりない手段を採らずに、日本の他のクラブが手を出すことができない欧州の一線級の選手を連れてくればよいではないか。そしてその選手を軸に、かつて田中達也や長谷部を育成したように、新戦力を発掘し、代表に送り込むのであれば、それは誰もがひれ伏す「アジアの盟主」であろう。浦和レッズの行動は果たしてアジアに冠たるクラブといえるのだろうか。

 浦和レッズは収入を増大させるノウハウについてはJリーグで一日の長があるのかもしれないが、所詮は「小金持ち」である。海外組の代表戦出場への不安が渦巻く昨今とはいえ、海外チームから魅力的なオファーがくれば選手は断ることができず、つまりは、より金満な欧州のクラブから金を積まれれば(外国籍選手は中東の石油王のクラブあたりから高額オファーが来ればイチコロだろう)、チームを離れる事は目に見えている。

 強化の上で、「金を稼ぐこと」意外では一切の頭脳を持たないクラブがJリーグを牽引するようでは、リーグの前途も暗澹としているように筆者には思えて仕方が無い。浦和レッズは金の使い方を覚える前に頭脳を整備するところから始めたほうが良い。というより、まずは頭脳を整備するために金を使えと言いたい。





 「東洋のレアル・マドリード」でも気取っているのかもしれないが彼らの行動はまさしく「成金」そのものである。中東の石油王が有するお遊びクラブと何ら変わりがない。昨今、誰もが浦和レッズを賞賛する。だが筆者は主張したい。   

 笑わせるな。浦和レッズよ、恥を知れ。

 彼らがあらゆる面で頭脳が整備され、アジアに冠たるクラブになるのであれば、歓迎する。しかし、今の浦和はただの「金」の集合体でしかない。日本がそのようなクラブに牛耳られる事はまさに「恥」以外の何物でもない。筆者の危惧は浦和がJリーグとACLを同時に制覇したとき、Jリーグの他のクラブが「結局は金か・・・」と諦めてしまうのではないかという点にある。

 近年のJリーグは「金」よりも「頭脳」が先行していた。だからこそ、海外に在籍する日本人選手は自国のリーグの成長を外から感じ、戻る決断を下すのではないだろうか。2008年の浦和がダブルを達成したとき、日本は「頭脳」を失う。それはJリーグの崩壊への鏑矢となるに違いない。





(余談1)
 エジを獲得した際に浦和・中村GMは「ポストプレーもできるし」と語っているが、本気で言っているとは思えない。というより、エジの弱点が、ポストプレーを中心としたボディ・コンタクトのプレーにあるからだ(エジはガツガツ守られることを極めて苦手とする)。

 中村GMが聞かれもしないのにポストプレーのことを口にするのはエジのボディ・コンタクトの弱さに対する不安の裏返しなのではないだろうか。そうでなければ高原を獲得するはずがない。エジの獲得は発表順序こそ先行するが、高原獲得とセットであったに違いない。高原獲得に目処がついた為、エジも獲得に踏み切ったのだ。

 エジは12月1日の最終戦直後にアルビとは契約更新しない旨を発表している。浦和との契約が年末の29日とかなりの日数が経って発表される理由はこの点に起因すると筆者は考える。


(余談2)
 さて、各ポジションで代表クラスの選手を複数抱えることに成功した浦和だが、リーグ戦、カップ戦、ACLでターンオーバーを行うつもりだろうか。
 2007年に川崎Fがターンオーバーを行おうとして、犬飼専務理事にこっぴどく叱責されたが、その犬飼専務理事のお膝元である浦和はこの戦力をどうするつもりなのだろう。また犬飼専務理事は仮にターンオーバーが行われた場合、どのように対処するのだろうか。注目したいところである。

 ターンオーバーが行われた場合、例えばFWには高原、エジ、達也、永井といるが、実力的には達也と永井が後塵を拝しカップ戦要員となる可能性が高いが、彼らに不満が生じた場合、どのように対処するつもりだろうか。人心掌握に問題のあるオジェック監督(ワシントンの不満を静めることができなかった)はカップ戦要員となった選手の不満を鎮圧、または穏便に処理できるとはとても思えない。この点でも2008年の浦和は注目である。

 また、ターンオーバーが行われなかった場合はどうだろう(2007年のオジェックを見るとこちらの可能性も十分にあり得る)。今度は起用され続ける選手(闘莉王あたりか)は代表とクラブで他クラブの選手の倍ほどの試合数をこなし、その疲労が2007年同様に問題になる事は確実であり、起用されなかった選手(小野、相馬あたりか)は不満が激増する事は想像に難くない。どちらの場合でも人心掌握に難のあるオジェックには収められそうにない。

 ターンオーバーに関して、どちらの場合でも筆者の予想が当たれば、2008年の浦和は不満渦巻くクラブになるであろう。


(余談3)
 さて、本稿ではオジェック監督はお仕着せのサッカーしかできない「無能」な監督であると評したが、その経歴上の能力は高いということになっている。

 ベッケンバウアーの片腕として1990年W杯制覇に貢献し、トルコでカップタイトルを獲り、カナダ代表監督としてGold Cupを制するなど輝かしいキャリアを持っている。その上、FIFAの技術スタッフを務め、ドイツW杯では戦術分析担当グループのトップだったというではないか。つまり戦術家・理論家として名高い監督なのだ。

 その監督も蓋を開けてみれば(というか化けの皮を剥いでみれば)、リスク管理ひとつできないというのは何とも間抜けな話であるように感じられるのは筆者だけであろうか。



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