●アルビレックス・ゲームレポート2008
第7節 vs京都サンガF.C.(HOME) 2008/4/19
(文:オヤジ 2008/5/8)
ようやく待ちに待ったはずの初勝利であるが、スタジアムのサポーターは何処かすっきりしない表情の方が多かった。
私の知人は両チームにとって後味が悪いと評したが、私は暴力サッカーに鉄槌を下すことが出来てよかったと思っている。このような試合で負けたとあっては、それこそ後味が悪いどころでは済まされないのだから。
京都の3人退場は決して不運な出来事ではなく必然的な帰結である
メディアのこの試合に対する論調はどれもこの試合の判定は京都にとって不運であると扱っている。私はこれに真っ向から反対の意を示したい。
3人の退場は必然であり、プロとしての冷静な判断力を欠いていたものであるからだ。
シジクレイ、アタリバ、増嶋の3人の退場にはある共通点がある。彼らは同じラフプレイを繰り返し、その結果カードを累積させて(アタリバは一発退場だが)退場している点だ。
まずはこの試合の最大のターニングポイントなったシジクレイ退場から分析したい。
シジクレイはこの試合の序盤からアレッサンドロと矢野に対し、激しい鍔迫り合いを繰り返すが、試合開始4分過ぎのアレッサンドロのゴールがシジクレイの冷静さを失わせた。
というのも、このゴールはアレッサンドロ自身が起点となり、松下へ回し、その松下から素晴らしいクロスボールが入るが、アレッサンドロが起点になった時点でシジクレイはアレッサンドロへのチェックが中途半端(なんとなく近づくがチャージを仕掛けることなくパスを出されている)になっている。ここでガツガツ行っていれば、このゴールは生まれなかったかもしれない。また松下からクロスが上がった際も後方のアレッサンドロに注意を払っていないかのようにあっさり決められている。
つまりこのゴールでシジクレイはミスを2つ犯したのだ。
責任感の強いシジクレイは自らを責めたのか、ここで冷静さを失った。そして34分の最初のカードである。シジクレイは審判の見える位置で肘を使ってアレッサンドロを倒してしまう。シジクレイはこの時点で自分が何故イエローをもらったのか冷静に記憶できていれば、2枚目をもらうことは無かっただろう。
2枚目のシーンはそこだけを切り取れば確かに不運に映るかもしれない。しかし、ここで想起せねばならないのは、シジクレイはその7分前に審判の目の前で悪質な肘打ちを見舞っているということだ。審判としては再び腕を振り回し、選手を倒した以上、カードを出さざるを得ないだろう。
シジクレイのプレイをディフェンダーとして当然の行為と評する者もいる様だが、私はそうは思わない。なぜならシジクレイはブロックのために貴章の喉(顔?)に腕をヒットさせているからだ。貴章とシジクレイの身長を考慮すると単純にブロックするだけならば、腕は貴章の胸辺りに来ることが最も自然だ。しかし、それが喉または顔辺りに来ているということは悪質な行為を故意に行っていると判断されても仕方が無い。
「李下に冠を正さず」という諺があるが、この日のシジクレイ(アタリバと増嶋も)にはこの言葉がぴったりと当てはまる。審判に目を付けられた状態で、悪質に見えるラフプレイを繰り返せば、カードが乱発されることは目に見えている。そのような意味で彼らの退場に同情の余地は一片も無い。
増嶋も同様だ。退場となったシーンだけを取り上げれば、審判に文句の一つも言いたくなるだろう。しかし、増嶋はシジクレイ同様、カードに相当する(と審判が判断する)ラフプレイを3分間で2度行っている。それでは、審判としては自分の基準に照らしてカードを出さざるを得ないだろう。
増嶋は1枚もらった時点で相手にのしかかる競り合い方はカードに相当する(と判断される)ことを頭に入れ、他の方法を考えねばならない。貴章は確かに競り合いには強いが、受けた後のアイディアとプレイ精度に欠ける。そこで警戒すべきはスピードのあるドリブルであり、ボールを保持されても抜かれないように守り、近くの選手と挟み込めば容易にボールが奪取できるであろう。増嶋もプロならばこの程度のアイディアは瞬時に思いつかねばならない。
アタリバの退場は一発退場が当然な程、悪質かつ悪辣であり、世界中のどのようなレベルの審判であってもあのラフプレイは一発退場である。シジクレイが退場になった原因である肘打ちを繰り返していれば、一発退場は当然の帰結だ。アタリバはサッカーのルールを知らないのだろう。彼に至っては最早サッカー選手ではない。サッカー選手であれば、審判を認知できるはずだ。
京都・加藤監督は試合後のコメントで(コーチの代読ではあるが)「選手はフェアに戦った」と
発表した。しかし、本当に胸を張ってそう言えるだろうか。この日の京都はラフプレイが充満しており、松下と木暮が負傷退場を余儀なくされたことは見逃せない事実である。
この日の京都は放送で映りにくいポジション取りなどの場面で特にラフプレイが酷かった。ほんの一例ではあるが、スカパーの放送ではアタリバの一発レッドはスイッチングが捉えられていない。放送でこの試合を見た方々は京都にカードを乱発されたことは理解できないだろう(見えていないのだから仕方が無い)。スタジアムにいた私はこの暴力サッカーの下では3人退場も至極当然のように見えた。
それでは何故、京都はこの試合で最下位のアルビ相手にラフプレイを連発しなければならなかったのだろう。この試合が壊れた根本的な原因は加藤監督の采配に問題があることだ。
「策士、策に溺れる」典型例をこの試合に見た
加藤監督はこの試合を前節とは異なり4-3-3の布陣でスタートするが、そもそもこの布陣が敗戦の根源的な原因である。
ちなみに京都は布陣を固定せず、相手によって3バック、4バックを使い分けるだけでなく、前線の枚数も自在に変えてくる。奏功すれば確かにグランパスやレッズとも互角の勝負ができる。
しかし、この試合の加藤監督はそれらの試合の時と同一人物とは思えないほど、その読みは的外れであった。
まず、現在のアルビ相手に3トップをぶつけたことが大きなミスの一つだ。
レイソル戦とガンバ戦を見たのであれば、アルビのディフェンスラインの奮闘振りに目が行くはずである。中盤でプレスを上手くかけられないものの、バックラインが奮迅し、水際で得点を回避していく…それがアルビのディフェンスの現状である。そのような4バックに3トップをぶつけたところで、凄まじい実力差があるわけではないので、結局は水際で食い止められるだけである。
エースFWの田原は千代反田に特に前半は押さえられていた。空中戦で千代反田に勝てない田原は林とポジションを代え、内田のポジションに基点を作ろうとしたが(これも加藤監督からの指示だろう)、急場しのぎのポジションチェンジでは田原も林も自らの良さを活かすことができなかった。そしてパウリーニョを含めた3トップは前線に張り付くばかりで、中盤との連携も希薄だった。
現状のアルビを敵にするのであれば、中盤を厚くして試合を支配し(中盤の構成力は攻守ともにアルビは低レベルだ)、DFを釣り出してギャップをつくり、ラストパスを出す形が最も有効だろう。つまりアルビ相手であればMFで勝負を決するべきである。加藤監督はよほど田原が気に入っているのか、FWで勝負した。そこに大きな間違いがあった。
また、4-3-3の布陣ではチーム全体の運動量が重要な場合が多いが、前半であるにもかかわらず、ボランチのアタリバと左SBの中谷のポジショニングが極めて悪く、しかも運動量がほとんど無かった。特にアタリバは自分の運動量の無さを隠すためにラフプレイに傾倒していった。
また、渡邊が右サイドで散々フリーになっていたが、一向に良いパスが供給されなかったなど、京都の選手はこのフォーメーションに未習熟であることを随所に窺うことができた。熟練度の低い布陣で闘わねばならない結果、京都はラフプレイでしかアルビを止められなかったのである。その結果がシジクレイ退場という形で現れる。
京都はこの布陣で広島をJ2へ葬ったが、選手が代わった今となってはその実績と経験をそのまま引き継ぐことはできない。
シジクレイの退場後はパウリーニョ、林と機能しないFWを次々と下げたが、これは残念ながら次善の策である。最善の策はもちろんアタリバを下げることであった。アタリバはポジショニングが悪く運動量も無く、しかも前半からラフプレイを繰り返していた。審判が興奮していると判断するならば、次に退場する可能性はアタリバが最も高い。私が監督であれば、下げる選手はアタリバで決まりだ。ここでも加藤監督はミスを犯していたのだ。
この試合後に佐藤勇人は「11対8という人数の中、新潟が1対0のまま守りに入ったところで、京都の勝ちだと思っている」と全く意味不明な
コメントをしたが、私は「京都が4-3-3でスタートした時点でアルビの勝ちだと思っていた」と述べたい。加藤監督が策(フォーメーションを頻繁に変えること)に溺れたことで、京都は自滅した。この試合はアルビが決して良かったわけではない。京都が勝手に自滅しただけの試合なのである。
ただ、後半3-5-1に布陣変更し、アルビの弱点を突いた点は見事である。それは評価に値する。しかし、後半の45分だけでは京都には短かった。
各クラブには審判を分析するという発想があるか?
この試合の佐藤隆治主審に対し、京都は恨み節であるが、そもそもこの敗戦を招く前に行うべきことがあったのではないだろうか。それは「審判を分析する」ことである。
当サイトでもさとさん氏が審判についてまとめた
レポートがあるが、そこから佐藤隆治の特徴を抜き出すと、
・昨年はJ1で3試合しか吹いていない(→経験が不足した審判であると予想がつく)
・外国人選手に比較的多くカードを出す(→外国人選手はラフプレイを控えたほうがよい)
・FWにカードを多く出す(外国人選手にFWが多いことに関連する)
以上の3点が挙げられる。
経験の不足した審判は「キレると止まらなくなる」ことがあり、また自分が経験の不足した審判であると舐められないように選手を押さえつけるようなレフェリングをする可能性が高い。つまりこの試合はラフプレイを連発すればカードが乱発されることは十分に予想できたはずである。京都の選手は佐藤主審の特徴を頭に入れた上で試合に臨んでいなかっただろう。その結果が3人退場であり、その代償はとてつもなく大きい。
サッカーを経験する(プレイする、観戦する)人間は審判が重要なファクターであることは必ず認識する。プロであれば、その重要なファクターを分析せず、つまりは審判に対するデータベースを持たず、試合に臨むことは怠慢であると私は断じたい。我々は素人であるが、この程度のデータは持っており、そこから審判の特徴を予想できている。素人でも可能な分析すら行わずに試合に臨み、主審に翻弄されたと嘆くことはプロとして怠慢であるとしか表現のしようが無い。
京都だけでなく各クラブは審判に限らず、OPTAデータに載らないあらゆる試合データを分析する担当者が必要である。その一例が審判の分析である。各クラブが審判のクセや特徴を分析し、それを逆手にとって利用する程でなければ、日本の審判技術も向上しないだろう。審判を敵に回さないためにも、まずは相手を知るところから始めたい。
その他の気になること
・アレッサンドロについて
「損切り」などと発言して申し訳ありません。これからも得点を量産して頂きたく存じます。ただ、貴章とのコンビネーションはいま一歩かと思われます。あとは消える時間帯が多くなることについてもご再考頂きたく存じます。一刻も早く日本のサッカーに慣れて下さいますよう、宜しくお願い申し上げます。
・京都が8人になって見えたアルビの課題について
アルビは相手が8人になってからの攻撃が実にちぐはぐだった。ボールをキープして時間を消費するのか、得点を奪って相手にトドメを刺すかについてチーム内での意思統一が無かった。その結果、京都にカウンターと許すことになった。
アルビの選手はおそらく得点を奪いたかったのではないかと推測しているが、それにしては、どのように相手を崩すかについて意思疎通が全く取れず、アイディアも欠如していた。これらは日頃の練習により培われるものであろうが、この試合でアルビは攻撃の練習が上手く出来ていないことが十分に見て取れた。守備は安定してきた。これからはどのようにして点を奪うのか、鈴木監督には攻撃パターンの構築をお願いしたい。
おわりに
この試合の入場者数は27115人。一時期の熱狂からすると何とも寂しい数字である。アルビのサポーターはもう冷めてしまったのだろうか。2003年J2最終戦のビッグスワンの熱気を取り戻すにはどうすればいいのか、私には見当がつかない。今の私に最低限出来ることは仕事の合間を縫って、チケットを買い、東京からビッグスワンに駆けつけることだけだ。
(都合により4月26日の札幌戦はお休みします)