録りだめして観てなかったゲキレンジャーを観て、
さらには今日公開のゲキレンジャー電影版もまとめて観たので
思ったことをさらっと。
・妬みとか羨む心とか、それって愛の一部なんじゃないかと思うんだ。
ちょっと長いけど引用→
「あなたにその力を与えたのは、メレちゃんを助けたいとか、
そんな甘っちょろい気持ちじゃない。
むしろ逆よ。
メレちゃんに負けたくないという気持ち、
シャーフーをも圧倒したメレちゃんへの強さへの妬みが、
あなたを強くした」
いや、逆ではないと思うんだ。
愛があるからこそ、助けたいと思ったんだし、
うらやましいと思ったんだし、
妬ましいと思ったんだよ。
それらの気持ちって一体のものだと思うんだ。
ひっくるめて愛だと思うんだ。
清くも正しくもましてや美しくもない僕らは、
白い心も黒い心も両方持ってる。
そのことが悪いんじゃなくて、そういう風にできてる。
白と黒のバランスを保つ日々を
楽しんでいけるとよいのだけど。
・ほへー。幸田直子さん、か。ほへー。
・ほへー。田中敦子さん、か。ほへー。
・「ここから先は、踏みしめられた道を行くのではない。
自ら道を創るしかないのだ」
うーんシンプルで力強い言葉だ。
・明確に「わるいひと」がいるわけじゃない。
むしろ、リオはストイックにがんばってる、とも取れる。
それでも、争いの構図は常に戦隊モノにつきまとう。
わるいひとがいるんじゃなくて、
人と人が争うことそのものが悪である、
っつー発想に今回の物語は傾いているんじゃないかなぁ。
・そして、電影版。
30分ほどのショートムービー。
残念ながら、ストーリーが途中でつながってなかったな(^^;
なんだかな。
映画では、テレビの本編ではできないことを
一通りやってみようって企画だったと思うな。
晩餐会会場で闘って、食い物をひっくり返してみたり。
インリンがなんとなくM字を披露したり。
それにしても、小野真弓っていいよね…
そして、一番の「テレビの本編ではできないこと」は
3+2人がひとつになって闘った場面だろう。
それは映画の企画として実現させたという意味ではないと思う。
マスターシャーフーは願っているはず。
袂を分けてしまった2つの流派が争うのではなく、
再びひとつになって、お互いに自らを高めていけないものだろうか、と…
まさに、スクリーンで3+2人が見せたように。
本当はテレビの本編で実現するべき姿なのに、
本編ではもはや後戻りできないところまでリオがイッてしまっている。
もはや3+2人が共に闘う姿は「番外編」としか呼べなくなってしまった。
このお話は、
マスターシャーフーが描く小さな希望だったんだろう。
もうきっと叶わないであろう、儚いひと夏の夢だったんだろう。
そんなことを考えたら、少し哀しくなってきた。 |
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