エス佐藤について2014

34歳になりました。



【序文】

1年半前に前職を辞めた時には、生活環境が今みたいな感じになるとは
想像してなかったなぁ。

変わったこと、大して変わってないこと。
成長したこと、大して変わってないこと。

睡眠時間は1年半前、さらにそれより前と比べて格段に減っているが、
モノを考えること、知ること、学ぶこと、そして書くことの総量は増えている。


今、現時点で思うことを、徒然に書くものである。



【パート1】

人間は、いくつになっても発達を続ける生き物だ。

誰しもが、1年で1体のステージボスを倒して発達を続ける。
例え0歳児であろうと、100歳の大人であろうと。

発達とは成長することだけを言うのではない。
「できなくなること」「衰退すること」も含めて発達と呼ぶのである。
例えば、子どもの頃は奇想天外で柔軟な発想を皆が持っているが、
年と共にその純粋さは失われていくものだ。

だけど、その喪失こそが発達の過程なのだ。
正しく発達しているからこそ、大人の分別を身につけると共に純粋性が失われる。
この「失われる」面だけを切り取ってネガティブなことを言うのはフェアじゃない。


そして、年を召すと共にできることが減っていくのもまた、正しい発達の過程なのだ。
むしろ子どもの頃の純粋な姿に戻っていく。
シンプルに生きることができるようになる。それって素晴らしいことじゃないか?

ジジババたちよ、発達をやめるな。
未来は若者だけの持ち物ではなく、あなた方だって平等に所有しているはず。
それに気付いてくれ。俺は応援する。



【パート2】

健康って、熱量の総和で測るものか?

栄養価の「基準」に沿った食物を使って食事を出したところで、
それでどこまで人々の健康に寄与したと言えるのか?

食べ物は、食べて、吸収されて初めて栄養となる。

食べる前の段階で「基準」を作ってなんになるんだ?

我々の健康は、そんなに単純に数値で測れるものなのか?
もし測れるとしたら、それは科学者の思い上がりではないのか?

栄養学とは、そんなにも傲慢な学問なのか?

だから、医学界からバカにされてんじゃないのか?
数字だらけの表ばっか見てっから。

ちなみに「管理栄養士を養成する」学校のカリキュラムに含まれるもの。

・調理の技術、方法論
・献立の作り方
・給食経営
・栄養教育・指導
・病気の知識、栄養との関わり
・人体の知識
・微生物の知識、伝染病、腸内細菌、発酵食品について
・etc.

学ぶべきとされているものは非常に多岐に渡る。
これらを4年でやることになっている。
で、結局、すべて途中で終わる。

だからバカにされるんだよ。
悔しくないのか?



【パート3】

それにしても、「栄養」にまつわる話っておかしなことだらけだ。
そんで、よくわかってもいないのに言い張っている人だらけだ。

イメージと宣伝によって形作られた「栄養」っていう高尚な何か。

詳しくはここでは書かないけど、眉唾ものの「常識」は無数にある。

コラーゲン?
炭水化物は糖だ。
肉=たんぱく質?
腸内細菌、イモ食う一族。
「カロリー」の計測方法。
タンパク質のエネルギー?

常識と非常識の逆転する構造。

そういう構造があること自体は、1年で知ることができた。


そう。知ることは簡単だ。

でも、知っててもダメだ。知ってるだけでは。

知識だけならWikipediaに載ってる。
人間がやるべきことは、局面に応じてどの知識を使えばよいか選択し、
正しくその知識を使うことだ。
その能力のことを知恵と呼ぶ。


そして、「自分が」知ってるだけでもダメだ。

伝えてこそ。
教えてこそ。
与えてこそ。

初めて、価値となる。

バカでも構わない。
大した知識じゃなくても、
伝えることで、教えることで、それが価値になり得るのだ。

価値を生む人間になれ。



【パート4】

期待なんかしなければ、この世はけっこう面白い。

今の生活はたぶん、夢なんだと思う。
もうすぐ醒めてしまう、美しくて楽しい夢。

夢の中で、全力で生きようともがいている。

日々を全力で生きる為には、「日々を全力で生きよう」と思うだけでは足りず、
日々を全力で生きないとやっていけないような環境に自分を追い込むことも
必要なんだなぁ、と感じる。

これもまた、ドM気質の為せる業であろうか。

俺の邪なところは、誰かが喜んでくれなければ頑張らないってとこだな。
他人か自分のどっちかが喜ばなければ、やる気出ないよ。
そういうところはエンターテイナーなんだと思う。ストイックではないのである。

それでもいいと思う。中身の精神性はともかく、
結果を出すべく挑戦しなければならないことは変わらない。

いくつになっても、限界に挑戦していたいものだ。

 



【Final】

学生をやっている。
37歳までやる。

大学を出ること自体が目的化した雑魚には負けたくないと思う。

本格派に触れてみると、普段接しているモノがいかに雑魚かを改めて思い知らされる。
そりゃ、感情も昂らないわな。

だからといって、ぬるま湯に流されて自分を失ってしまうのは、いかにもつまらない。

冷徹に、冷酷に、自らが欲する獲物を仕留める。
動く。
貪欲に。

得たいものを、得よう。その為に生きている。






2014年4月(からおよそ半年後の10月某日)
エス佐藤(34)






おきば