たまに、昔聞いたテープやらCDを引っ張り出して聞いてみることがある。
昔と言っても10年くらい前のものだけど。
偉大なる過去の記憶の中で、その曲はものすごく美しかったんだけど、
今聞いてみると案外ショボくて、こんなもんだったかなぁ、と笑う。
よくある話ではないかと思う。
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過去の大きさに引きずられて、ショボい現在を厭わしく思ってしまうのは
なんだか悔しい。
大きな過去があったから現在があるわけで。
たぶん未来に、現在が「過去」となるくらいに未来になったら、
きっとショボかった現在が輝きを纏ってしまうんだろう。
今住んでるこの部屋、
この部屋から見える空と坂道。
毎日乗ってる電車、
電車から見える多摩川の風景。
三軒茶屋の田舎な街並みだって、
溝の口駅前のやかましい夜だって、
全てが、やがて過去となって、大きな存在となる。
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未来になって、「現在」だった過去を取り出す時には
どんな音が鳴っているだろう。
自分が創った音が鳴っていたらいい、と思う。
他人が創った音よりも、
きっと鮮明に記憶を巻き戻してくれることだろう。
だからこそ今、何かしらモノを創ってる。
タマシイこめて創ってる。
現在の記憶を深く、深く刻みこませるため、
無責任に、思いつきだけで、精一杯、魂こめて、ショボいモノを創ってる。
時の流れって奴が
そのショボさをも美しさに変えてしまうことを願いながら、創っている。
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いつか、惰性でモノを創るようになったら、
スッパリ創るのなんかやめようと思う。
記憶にも記録にも残らないようなモノしか出来上がらないのなら、
やらない方がいい。
きっと、他人の創った素晴らしい音の方が
記憶を巻き戻す良い引き金になってくれるだろう。
それがいつなのかは、到底わからない。
だって今は、くだらないものに魂をこめることしかできないんだから。
2005/4/22 エス佐藤(25)