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小ネタTOPにもどる ■雪景色 二階の、奥から二番目の部屋。 休みの日の早朝から訪ねることで叱責を受けるかもしれないとは思ったけど、入隊して日の浅い自分の判断で問題が起きるよりはマシだろうと、少なからず緊張してその扉を叩いた。 「いました! 池の向こう!」 「二手に別れて回り込もう。きみはそっちから行って」 あれからどのくらい経ったのか。日は早くも中天にかかり、自分たち以外に人気のない静かな農場は、空の青と雪の白にゆったりとまどろむ。 当直の詰所に厨房の遣いの少年が駆け込んできたのは、夜番からの引き継ぎが終わった後のことだった。 逃げたガチョウを捕まえるのを手伝ってほしいとのことだったけど、宿舎に手の空いた人がいるか、新入りである自分がどう指図したものか、それ以前に自身が詰所を離れて良いか、全く判断がつかなかった。 助力までは望まないから、せめて指示だけでも出してもらえれば……おそるおそる先輩騎士に伺いをたてたが、その期待は良い方向に裏切られ、先輩は気安く同行を買って出てくれたのだ。 捕まえた一羽を柵の内側に放り込み、勘定の目安にと開閉口の傍に置いた小枝の列に新たにもう一本を追加する。 柵の中では、今宵尽きる命運とも知らず、ガチョウたちが暢気に鳴いている。 「あと何羽?」 「とりあえず今夜の分だけとしても……三羽」 「ばらばらに逃げている三羽かあ……この雪景色じゃあ難しいね」 いちど休憩を入れようか。 そう促されて、館の裏の勝手口に回った。 「ああ、すまないな。どんな感じだ?」 料理人と思しき恰幅の良い赤ら顔の男が笑顔でこちらに歩み寄ってきたが、背後の人物に気づき息を飲んだ。 苦笑、といった雰囲気の表情を浮かべて、件の先輩は前に進み出た。 「とりあえず今夜の分だけでいいんですよね? だったら、あと三羽ってところです。 ……すみませんが、何か温かい物を頂けますか?」 「もちろんです。こんな所ですが、どうぞ」 畏まった料理人がかまどの近くに木の椅子をふたつ並べる。賄い用だろうか、火にかけられている大鍋から椀にスープが注がれ、木匙と薄切りの黒パンを添えて手渡された。 男は恐縮したように、先輩を窺っている。なぜか先輩は椅子に座らず、立ったままスープとパンを平らげ、ごちそうさま、と笑顔で椀を返した。 「そうだ、あの人の部屋に食事を運んでもらえますか? 温かいスープと、卵は半熟の落とし卵で。 まだ寝室にいるようなら、声を掛けなくても構いません。居室のテーブルに置いてください」 「かしこまりました。すぐに持って行かせます」 「それと、軽めの果実酒を添えてください。喉が渇いているだろうから、あまり甘くない発泡酒がいいかもしれない」 「はい、すぐに用意します」 用を言いつかってホッとしたように、男はいそいそと調理場の方に引き上げて行った。 「本館の二階に私室を持っているのは、大隊長以上の方だと伺いましたが……みなさん、こちらにお住まいなんですか?」 「他の人は、深夜や早朝の勤務時に仮眠をとる程度にしか使っていないと思うよ。すっかり住み着いちゃってるのは、団長とぼくぐらいだね」 「団長は冬至の休暇を、こちらでお過ごしになっているんですか?」 確か団長は広大な所領をもつ貴族の家柄で、方々に城と呼んでもいいぐらいの館を所有しているはず。 なにも騎士団の本部の自室で過ごさなくても良いだろうに。 「この館は元々あの人の家が所有していたものだから、馴染みがあって落ち着くんじゃないかな。 それに、ここの料理人たちが一番腕がいいんだって」 「団長は、寝ぼすけの食いしん坊ですか」 「ついでに怒りんぼなんだ」 弓の名手として国内外で音に聞こえた騎士団長をこんなふうに言うなんて、と内心とても驚いたが、その口調は柔らかで、親しみと愛情がこもっていた。 「団長を、慕っておいでなんですね」 「とても尊敬しているよ。あの人がいなければ、今のぼくはないからね」 調理場の方で、そろそろガチョウの下ごしらえに取りかかるようにとの号令が掛かり、料理人たちの沸き立つ声が聞こえてきた。 当直の任を押しつけて街へくり出した先輩たちも、夕餉には戻ると言っていた。祝祭の料理がどれほどのものか、自ずと知れる。 常から騎士団の大食堂で振る舞われる料理は、街の宿屋や酒場で供されるそれより旨いと思っていたが、団長どのの食い意地にこっそり感謝した。 そろそろ行こうか、と言われ、ふたりで農場に戻る。 道々たわいない雑談を交わしていたが、先輩の穏やかな笑顔と声とが心地よく胸に染みてきて、自然と自分も笑顔になっていた。 「あ……今、あのあたりで、何か動いたような……」 「どこ?」 「樺の林の手前です」 「そのまま指差してて」 そう言うと先輩は腕の下をくぐり、こちらの胸元に背を預け、ぴたりと寄り添う。突然の行動にびっくりしたが、言われた通りじっと一点を指差していた。指差す方向を見つめながら、ああ……あれか、と呟く。雪景色に馴染んだ一羽のガチョウは、この距離だと雪原の起伏のようにしか見えないが、その周りに微かに見えるのはガチョウの足跡に違いない。 「ありがとう。そのまま下がって」 そう言った先輩の手には、さっき農場の番小屋で借りてきた、子どもが練習に使うような木製の弓があった。 そんな弓では無理ではないかと思ったが、痛いほどに張りつめた空気がその場には満ち、口を開くこともできない。 矢をつがえ、弓と弦の強さを確かめるように少しずつゆっくりと引かれたと思ったら、見事な一閃が放たれ、遠くで悲しげな鳴き声がした。 「捕まえて、って言われたからそうしてたけど……すぐに食べるんだから、生け捕りにする必要はなかったんだよね。寝不足で頭が回ってなかったんだなぁ……」 ぞくぞくと背筋に興奮が走る。 すごい。 気さくで少しも偉ぶったところがないし、小柄で童顔だけど、この人も本部に部屋を持つ歴とした大隊長なんだ。 「きみはとても目が良いんだね。注意力もある」 こちらを振り返った顔は、新しい遊びを見つけた子どものように輝いていて、さきほどまでの緊張した雰囲気との差に戸惑う。 「とりあえず獲物を拾いに行こう。がんばって、あと二羽、見つけてね」 にこにこしながら先輩が言った。 さっきみたいに獲物が見えにくい状況だと、同じようにするってことだろうか? 先ほどの急接近がにわかに思い出され、頬が熱くなった。あれだけの離れ業をやってのける人が、無防備に自分に背を預けた瞬間が蘇る。日向みたいな髪の匂いと、腕の中に収まってしまいそうな華奢な体。 ここは戦場ではないけれど、あのときの自分は、確かにこの人の目の代わりを果たしたのだ。そしてこの体が静かに動き、獲物を仕留めたときの高揚感──。 どうか、自分が先にガチョウを見つけられますように。この人には分かりにくい場所にうずくまっていますように。 胸中で複雑な祈りを呟きながら、雪を踏みしめ、先輩の後を追った。
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