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小ネタTOPにもどる ■道行き 強い日差しの照りつける屋外から一歩足を踏み入れると、厚い石壁に囲まれた宿屋の中は夜のような涼しさだった。憎たらしい太陽からようやく解放されて深く安堵の息を吐く。肩に担いでいた鞍袋を足元に置き汗をぬぐっていると、帳場にいた主人と思しい初老の男が顔を上げ、こちらを伺う。 「……一人かい?」 「二人だ。連れ合いがいる。あとは馬が二頭」 「お代は先払い。食事代と馬の世話込みで銀二枚。湯殿を使うなら一人につき銅一枚ずつ追加」 「酒は?」 「一杯までは料金のうち。あとは注文の度に銅一枚で」 「了解した。世話になる。明日の出発は早いんだが、朝食は包んでもらえるか?」 「ええ、厨房に伝えておきますよ」 勘定をしていると、馬を預けていた弟子が自分の鞍袋を肩に担いでやってきた。目を合わせると、口許を笑みの形に結んで頷く。外観や匂いから判断したように、手入れの行き届いたなかなかの厩舎だったようだ。実直な馬丁がいるという噂は本当だったらしい。この様子なら料理の評判の方も信頼できそうだ。 「旦那、お連れさんって……こちらが?」 「そうだが……何か?」 意外そうな様子を訝って問い返すと、主人は急に大声で笑い出した。 「ああ……失礼。あたしゃまたてっきり、お連れは旦那の好い人かと思い込んじまって……こんな麗しい騎士の奥方はどんな姫君かと考えていたものだから……」 こちらのなりは目に立つことがないようにと選んだ、ごく普通の旅装束だ。冗談半分、あとは客に対しての世辞だろう。 しかし、隣に立つ弟子に目を遣ると、苦笑していた。複雑な表情の内に何を考えているのかは、それこそ手に取るように分かる。気づかぬ振りをして、主人に言葉を返した。 「確かにこいつは俺の連れ合いだ」 「連れ合いって……旅の? ……生涯の?」 以前から物言いたげな好奇の目に晒されることは多かった。しかし、こうまで面と向かって堂々と問われては、不思議と嫌な感じはしない。 「両方だ」 笑みを浮かべ冗談とも本気ともつかない調子で返すと、主人はまじまじとこちらの顔を覗き込む。 「旦那、提案があるんだが。ここの領主の館が普請の真っ最中でな……日没になると大部屋に長逗留の職人たちが一斉に宿に引き上げてくる。 銀一枚で、それまでの間、湯殿を好きに使っていいが、どうだ? 戸口には息子を見張りに立たせよう。日没までたっぷり二燭時はある」 銀貨をもう一枚出すが、すぐには手渡さず、主人にそれを見せながら呟く。 「二燭時ではぜんぜん足りないんだが……」 「分かった。酒をもう一杯ずつ。部屋は二階の奥だ。寝具をあまり汚さないでくれよ」 頷きながら主人に銀貨を渡し、代わりに鍵を受け取る。部屋で待っていてくれ、湯殿の準備ができたら人を遣る、と言われた。 部屋に入り寝台に腰掛けて荷を整理していると、背後から聞こえよがしの大きな溜息が聞こえた。 「なんだ? 文句があるか?」 「いいえ……明日はずっと馬の上で揺られることになるんですから、少しは加減して下さいね」 「覚えておこう」 そんなこと言ったって酔うと忘れちゃうじゃないですか、とぼやくのを、酔うと積極的になる誰かさんのせいでな、と返すと、後ろから抱きしめられる。 「──いつだって、我慢してるんです。酔ったときぐらい素直になってもいいでしょう?」 「その台詞、そっくりそのままお返しするよ」 「あなたは我慢なんてしていませんよ」 「これでも最大限の努力はしているんだ」 そう、今だって、汗の匂いと手の熱に体の奥が疼いている。理性を振り絞りつつ、肩に回された手をとり指に軽く口づけた。他人に関係を明かしたことには特に腹を立てていないようだな、とからかい半分に言うと、小さく笑った気配の後に、応えがあった。 「自分でも意外なんですが、むしろ嬉しく思いましたね……生涯の連れ合いだと言っていただけて」 その言葉にどきりとする。例え分かりきっていることだとしても、使い古された言い回しだとしても、言葉にして伝えられることがどれだけ嬉しいか。俺はその心地よさを知っている。なのに俺は、こいつにそれを与えていなかったということか。照れくさいとか、察しているだろうとか、相手に甘えて油断しているのは、いつも俺の方だ。 考え事をしているうちにも、後ろから幾度もうなじに口づけが落とされる。気まずさを隠して口を開く。 「……お前を手離すつもりはないからな」 「ぼくもですよ。絶対にお傍を離れません。覚悟して下さいね」 またそうして簡単に俺の心を揺らす。こちらの気持ちも知らないで。 振り返りその身を抱いて寝台に倒れこんだ正にそのとき、部屋の扉が叩かれ、湯殿に案内します旦那がた、と外から使いの少年の声が聞こえる。 「ほら、行きましょう」 笑いながら身を起こす弟子に続いて、着替えを手に部屋を出る。 湯殿までの距離が地の果てのように感じられ溜息をつくと、きっとぼくも同じことを考えていますよ、と小声で囁かれた。
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