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小ネタTOPにもどる ■時のきざはし 明朝が期限の書類仕事をなんとか終えたのは、そろそろ日付も移ろうかという刻限だった。執務室の明かりを落とし施錠する。不寝番に労いの声を掛け、上階の自室に戻るため階段を昇っていると、踊り場を曲がったところで数歩前を歩いていた弟子が不意に立ち止まり、何か言いたげな様子でこちらを振り返る。 「どうかしたか?」 聞こえていないはずもないが、問いかけに答える訳でもなく、なおも黙っていたと思ったら、すぐ上の段に立ち視線を合わせ、おもむろに口を開いた。 「ぼくが一段上にいると、ちょうど身長の差が逆になりますね」 見ると、自分の額の高さに、相手の口元がある。 「……ああ、そのぐらいかな」 「あなたには、ぼくはこんな感じに見えているんですか?」 「どんな感じだ?」 「庇護欲をそそられる、というか……抱きしめたり頭を撫でたりしたくなりますね」 「まあ、そんなところかな」 疲れから気のきいた切り返しも浮かばず、適当に相づちをうっていたら、柔らかく抱き寄せられた。 「もしもあなたが一回り年下で、体格も一回り小さくて、弓の技量もぼくより劣っていたら……」 「こんな関係にはならなかったか?」 ふふ、と小さく笑って、背に回された手に力がこもる。 「大切にお守りしますよ。きっと今よりもずっと。そして、あなたが大人になるのを待ちます」 「例え年下だろうと、俺はこの性格だぞ。あまり可愛げはないと思うがな」 「今だって、あなたは可愛いですよ」 そう言うと、いたずらっぽく口の端を上げて見せる。 「──なるほど。見下ろされるというのは、こんな気持ちなんだな」 「どんな気持ちですか?」 「絶対に俺の虜にしてやろうと思う。遠慮も加減もなく、言葉と視線で惑わして酔わせてやろうと……」 どうだ、とばかりに片眉を上げて見せると、まあ、そんなところですね、と澄ました顔で答えを返してきた。 「いつもの挑発的な態度は、負けん気からきていたのか」 「もう可愛いとは思えなくなりましたか?」 「いいや、健気なものだと思うよ。それに、おかげで俺は楽しませてもらっているしな」 「……ひどい言いようですね」 笑いを零しながら額や瞼に軽く触れる唇がくすぐったい。じっと口元を見つめていたら、物欲しそうに見えたのか、軽くこちらのそれと重ねてきた。そして俺の手癖を真似てか、髪を束ねていた紐を解き、指で梳きはじめる。 「身長の差なんか、横になってしまえば関係ないじゃないか」 「それでも、一抹の劣等感は残りますよ」 「劣等感ねぇ……」 相手の背に手を回し、胸に顔を埋めて強く抱きしめた。穏やかな鼓動と温もりを感じると、それだけで身の内に溜まった疲労が解けていく。 「出会ったのが15の俺じゃなくて良かったな。お前は待つと言ったが、そんな悠長に構えていられる手合いではなかったぞ」 「ぼくは誘惑されていましたか?」 「いいや、お前の意思など関係なく、頭からぺろりだ」 「まだ15のあなたに、ぼくは食べられちゃうんですか?」 不満気に問う唇を、背伸びをしていちど塞いだ。 「いま以上に溺れて夢中だったろう──まだ我慢を知らない子どもだったからな」 服越しに体をなぞるように指を滑らせると、相手の呼気には甘い色が滲みはじめる。 「部屋に戻るまで我慢するだけの分別が、大人になったあなたに備わったことに感謝しますよ」 「今だってお望みとあれば、衆人環視の場でも屋外でもお応えするが?」 「……また副団長に窘められますよ」 ひとつ歩を進め同じ段に立つと、こちらを見上げる顔と向かい合うかたちになった。いつも見慣れたこいつの顔だ。 「あなたが15の子どもでも、60のおじいさんでも、ぼくはきっと好きになったと思います。 それでも、今ここでこうして一緒にいられる自分は、いちばん幸運だと思います」 どこか眩し気に俺を見上げ微笑む相手の唇を自分のそれで塞ぎ、強く抱きしめた。いつも真顔で照れ臭い言葉をぶつけてくるこいつを黙らせるには最良の策だ。 そうして互いの身と呼吸の熱をしばし確かめ合った後に、つい言い訳めいた言葉をこぼす。 「先に謝っておくが……今日は加減ができないかもしれないぞ」 「お好きにどうぞ。いつも言っているでしょう。ぼくはすべて、あなたのものです」 身を寄せ合ったまま階段を昇る。相手を求める気持ちは熱く高まっていたが、不思議と歩調を速める気にはなれなかった。 どうか、このまま──いつまでも共に。 幾度も立ち止まり、口づけを交わしながら、ゆっくりと歩を進めた。
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