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小ネタTOPにもどる ■名無しの指 歯を食いしばり痛みを堪えながら、ゆっくりと浴槽に身を沈めた。一度つかってしまえば最初ほどの痛みはないが、ズキズキとした疼きが消えることはない。 ここ数日の乗馬の練習で尻の皮が剥けた。 練習中から痛みを感じてはいたが、服を脱ぐときまでは気付かなかった。下穿きにはカサブタが貼りついており、開いた傷口からは血が滲んでいるようだ。練習熱心もほどほどに、と苦笑混じりの師匠の口癖が頭に浮かぶが、こうなってしまってはどうしようもない。 浴槽に張った湯につかることは、こちらに来てから日常の習慣となった事のうちのひとつ。アカネイアでも個人で所有することは稀な風変わりで贅沢な設備が、ここ騎士団の本部にあるのは、ひとえに我らが騎士団長の意向によるものだ。異国を旅した折に大層気に入り、自分が滞在する館にはことごとく設えることにしているらしい。そして、その恵みを周囲に分け与えることにも積極的だったので、一部の横着者を除いては、概ね快い習慣として享受していた。 大半の団員は宿舎にある共同の大浴場を使用することになっていたが、本部の上階にある上官用の私室には、二部屋につき一つの浴室があった。二つの部屋の間にあり、廊下側には出入り口は無い。浴室の内側にだけ鍵があり、使用中は鍵をかければ、もう一部屋の持ち主と鉢合わせすることもないという仕組みだ。 常に火を落とすことのない台所の大竈やその他の火を使う設備を利用して温められた水が管を通り供給されるようになっているのだが、どうやって水が管の中を階下から昇ってくるのか、その仕組みは何度聞いても技師ではないぼくにはよく分からない。あるいは多少なりと魔法が関わっているのかもしれない。 強張りの残る肩や足を湯の中で揉みほぐしながら、翌日の痛みが軽く済むのは間違いなくこの習慣のおかげなんだと感謝しつつ、深く息を吐いた。 浴槽の栓を抜き湯を落としていると、不意に隣室側の扉が開き、その部屋の主と目が合った。 「悪い、まだいたのか」 「すみません。もう出るところでした」 「いや……ちゃんとノックをしてから、そちらの部屋へ入るつもりだったんだが……」 「構いませんよ。何かご用でしたか?」 「俺が構うんだ。目のやり場に困るから、早く服を着てくれないか?」 同性に肌を見られることに照れる道理もないはずなのに、師匠の反応に俄かに恥ずかしさがこみ上げてきた。すみません、鍵をかけ忘れていて……と、もごもご口の中で言い訳をしつつ、部屋着を羽織り帯を締める。 二人でぼくの部屋に入ると、寝台にうつ伏せになるよう言われた。言われるままに横たわると、師匠は傍らに腰掛け、服の上からぼくの尻を撫ぜた。 「傷の手当をしてやろう」 「ご存知だったんですか?」 「慣れない者があれだけ急に練習したら、こうなるものだからな」 「だ……大丈夫ですよ、このぐらい。唾でもつけておけば治りますから」 「ほう? 自分の舌が届く場所ではないだろうに」 そう言いながらぼくの部屋着の裾を捲り、師匠の指が傷の周囲をなぞっていく。 「ジョ……ジョルジュさん!?」 「大人しくしていろ」 「そんなこと言われても……あの……本当に大丈夫ですから!」 慌てて体を起こそうとするけれど、腰を押さえ付けられて身動きがとれない。頭の中が驚きと恥ずかしさでいっぱいになる。そんな、まさか、彼がぼくに、そんなことを……。きつく目を閉じ、敷布を握りしめ、ただ震えているしかなかった。 つい、と、冷たい感触が傷口に触れる。 上半身を起こし振り返ると、片手に小さな壷を持った師匠が、にやりと笑う。 「化膿止めの軟膏だ。痺れ草の汁も入っているから、痛みはかなりマシになると思うが……」 くつくつと含み笑いをしながら薬を塗り込んでくれる。その指の動きは優しく丁寧で、痺れ草のおかげか痛みは無かったが、急に気が緩み涙が滲んだ。 薬を塗り終わると、当て布をしてから下穿きをつけるよう言われた。 「もう少し信頼してくれても良いんじゃないか? いつか言ったろう? お前の嫌がることはしないと」 「でも、ずいぶんと意地の悪いことをしますよね?」 「それは、お前が嫌がっていないからな……」 「勝手な理屈ですね」 「こんな俺は嫌いか?」 間近に顔を寄せられて覗き込まれると、彼の瞳に映る自分は、拗ねて涙ぐみながらも隠しようのない感情を上目遣いの視線に露わにしていた。現実を甘受するしかないと、目を瞑り上を向く。頬に添えられた彼の指には、拭き取ったにも関わらず薬の匂いが残っていた。 「嫌いになれたら、こんな苦労はしないで済んだんですけど……」 呟いた唇に、彼の唇が重ねられた。傷はもう痛まなかったけど、胸の奥が熱く疼いていた。
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