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小ネタTOPにもどる ■蜜月 頬を撫でる風を感じて目を醒ますと、軽く部屋着を羽織った彼が窓を開け放していた。朝の光を受けた髪が煌めき、振り向きざまに浮かべられた笑顔とあいまって、眩しさに思わず目を細める。 欲目から一際きれいに見えているのか、それとも自分は単なる面食いなのか、どちらにせよ眼福だと思う。 「朝食はとうに居室に運ばれているぞ。珍しいな。お前が寝坊なんて」 「……誰のせいですか」 「翌日に響かない程度に加減したはずだが?」 そう言いながら新しい部屋着を放って寄越す。彼の言葉通り、体には軽い痺れが残るだけで不具合はないが、こうして朝の光の中で冷静に考えると、我ながら呆れるばかりの状況になっている訳で。 袖を通し帯を軽く締めながら、ぼくは無駄と知りつつ抗議してみる。 「もう丸三日まともに服を着ていないんですけど……」 「着たままするのが好きなのか?」 「そんなことは言ってません」 「まあそういうのも脱がすのも楽しいが、今は時間が惜しいからな」 「傷が開いても知りませんよ」 先だって作戦行動中に師匠は大きな怪我を負った。同行していた司祭との合流が遅れ、回復にも時間がかかった。それなのに休養が必要だと言われても聞く耳を持たない彼に対して、周囲が実力行使に出たのだ。 騎士団設立の準備段階からずっと、休みらしい休みを取っていないことを指摘され、半ば強制的にこの人里離れた保養地の館に送り出された。 ぼくは名目上はお目付け役ということだけど、どう考えても犠牲の子羊だ。こういう時のアカネイアの方々の周到ぶりは清々しいまでに徹底している。 上げ膳据え膳で居室と寝室と浴室を行き来するだけの生活も四日目になるが、師匠は大人しく一つのことに勤しんでいる。行為自体はお世辞にも大人しいとは言えないので、むしろ普段の職務よりも体に負担がかかっているんじゃないだろうかと思うけど。 居室の卓につき、喉の渇きから汁気の多い果物を口にしたが、喉の奥が沁みた。そういえば声も少し嗄れているかもしれない。気恥ずかしさから、つい憎まれ口を叩く。 「……あなたはお若いですね」 「なんだ、俺より一回り近く年下のくせに、もう限界か?」 「いいえ、たった一つのことによくぞここまで工夫を凝らせるものだと、発想の柔軟さに感心しているだけです」 歩み寄ってきた彼の返事は、言葉ではなく口づけだった。 「……今度は何ですか?」 「いや……果実の味のお前はどんなものかと思って」 「ご感想は?」 「悪くない」 口許から零れてしまった果汁を舐めとりながら、唇は顎から喉、胸へと移動する。されるがままに受けながらも、いちおう釘を刺しておく。 「まさかとは思いますが、蜂蜜とか使うのは止めてくださいね」 「そんな物は必要ないさ」 胸の突起を舌先で舐め上げられて、思わず身を震わせ声を漏らしてしまう。ほらな、と彼は意地悪く笑いながら言う。 「体も声も充分に甘いからな」 一瞬で頬が熱くなり鼓動が逸る。どうしてこの人は平然とこういうことを言えるのだろう。その言動には多少なりと馴れてきてはいるものの、未だに不意打ちには弱い。むしろこちらが馴れてしまった分、悪ふざけの度がさらに増しているように思う。 怒った表情を作り体を押しやると、彼は笑いながら隣の席についた。 と、寝室から微かに物音がする。館を管理している老婦人が、ぼくたちが外している間に掃除と片付けをしているらしい。さんざん愛し合った痕跡も、いま自分たちがしていることも、筒抜けということだ。 始めのうちは戸惑ったが、当たり前のように振る舞う師匠のせいもあり、今はさほど気にならなくなった。羞恥心は斯くも簡単に擦り切れるものなのかと、自分の順応ぶりにも呆れてしまう。 それでもさすがに隣室に人の気配を感じている間は自制が働き、なるべく気を逸らせようと話題を変える。 「あのお二人には蜜月旅行を楽しんで来い、と言われましたよ」 「楽しんでいるか?」 「ええ、存分に。他のことは他の機会にもできますけど、こんな生活が許されるのは今だけですから」 ぼくの答えに満足そうに微笑んだ師匠は、卓に片肘をついた。頬杖をつくのは考え事をする時の彼の癖だ。 ややあって、不穏な呟きを漏らす。 「そうか、もう三日も過ぎたか……明後日には迎えが来るから、明日は休養と回復に充てるとして……」 「回復……」 不安感を現に言葉尻を繰り返すぼくに、晴れやかな笑顔を湛え、師匠は言う。 「今日は存分に付き合ってもらうからな」 「……どうぞご遠慮なく。お気の済むまでお相手しましょう」 陶瓶の甘い酒を意匠が凝らされた二つの銀杯に注ぎ、片方を師匠に手渡す。杯を受け取りながら意外そうに彼が言う。 「お手柔らかに、とは言わないのか?」 「覚悟の上ですよ。これでもあなたの弟子ですから」 「頼もしい限りだ」 お互いの杯を軽く合わせてから、酒を口にする。甘い酒を好まない彼が、律儀に付き合ってくれているのが嬉しくて、口許が緩んでしまう。軽く眉をしかめたその表情を見つめていると、目が合った。 「なにしろ蜜月だからな。蜂蜜酒は欠かせないものだろう?」 縁起物だから仕方がないといった風にため息を吐く様子が可笑しくて堪らず、彼の膝に座りその唇に指先で触れる。こちらの心中を察して与えられた口づけは想像以上に甘く柔らかだったが、却ってもっと激しい熱を求めたくなる。 その首に手を回し、餌をねだる雛みたいに、焦れて耳元やうなじに口づけを繰り返すぼくに、笑いながら彼は言う。 「寝室が整うまでもう少し待て」 「……浴室なら今すぐ使えますよ」 「我慢できないのか?」 素直に頷くと、彼は耳元で低く囁く。 「俺もだ」 肩を抱き寄せられ、その胸に身を預けたまま浴室に向かう。何度も口づけを交わし、その度ふわふわとした幸福感に包まれる。帯を解き部屋着を脱ぎ捨て直に肌を合わせると、互いの鼓動が伝わった。 ぼくはこの人さえいれば、他に何もいらない。この身はすべて、鼓動の最期の一打ちまでこの人に捧げよう。 高まる熱を感じながら、そう思った。
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