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小ネタTOPにもどる ■天つ水 「兄さんは、泣き虫なんかじゃありませんよ」 少年の声は固く、表情も強ばっている。 しまったな、と思った。余計なことを言ったようだ。 訓練をつけた若い騎士に気まぐれに話しかけたのは、相手が弟子の実弟で、そっくりな見かけに興味を引かれたからだった。陰りのない明るい笑顔、一回り小さい体と一段高い声は、俺と出会う前の弟子の姿を想像させた。 おのずと話題は共通の知り合いである件の人物に関わるものとなり……その中で俺は禁忌に触れてしまったようだった。 「すまないな、言い方が悪かった。君の兄さんは優しいだろう? 感受性や同情心が強いことを言いたかったんだ。 ……そう、“涙もろい”って」 苦しい言い訳だと思うが、相手の表情は幾分和らいだ。 「……きっとぼくは、あなたが羨ましいんです。ぼくの知らない兄さん──兄の顔をたくさんご存じなようだから……」 怒りではない。淋しそうな、悔しそうな表情。これも嫉妬だろうか。 俺には共に育った兄弟はいないが、もしいたとしてもこのような感情を抱きはしなかっただろう。俺にとって血の繋がりは厭わしい鎖でしかない。 そっと少年の頭を撫でる。指先で髪を梳くと、その感触まで兄のそれと似ていた。見た目や声だけではない。その真っ直ぐな心根も源を同じくしているのだろう。 「ぼくの前では兄は泣いたりしません。弱音を吐くこともありません。あなたには、そんな顔を見せるんですね」 「いいや。あいつは辛抱強い。いつも背筋を伸ばして真っ直ぐに前を見ているよ。涙を見せたのは二人きりでいるときだけ……それも数えるほどだ」 あれは前の戦争の最中。一人で抱えることが限界を迎えていたらしい強い悔恨。たまたま俺がその感情の発露を促した。 そして戦争が終わり、それぞれの故国へと引き揚げるとき。俺との今生の別れと思い込んだ弟子は、涙を堪えきれなかった。 どちらも、弟には知られたくない話だろう。 「涙のことを“空知らぬ雨”──とも言うそうですね」 「ほう、歳の割に博学だな」 「兄の受け売りです。小さな頃から村の年寄りたちに好かれていて、色々な話を聞いてきてはぼくにも教えてくれました」 寝床を共にしていた仲の良い兄弟が、寝物語に神話や古典を嗜んでいたとは。微笑ましい情景が浮かび、口許が綻ぶ。 「今でも、よくそういう話をする」 「ふふ、兄さんらしい。もう泣いたりはしていませんか?」 「近頃は見ないな。まあ違う意味で鳴かせてみたくはあるが……」 「は?」 「いや、こちらの話だ。 神学者や司祭の話では、空の一番上は聖水で満たされていて、それが雨となって地上に降り注いでいるそうだな」 「信じ難いお話ですけど……すべてを神の恵みとするなら、間違ってはいないのかもしれませんね」 あいつの涙を見たとき、ただ綺麗だと思った。 俺ならば気に病むことのなさそうな次元で苦しんでいることが、単に未熟さや幼さの現れではなく、清らかさの証のように感じた。 まるで天からそのまま降りたような、聖い雫だと。 そのとき、ぽつぽつと雨粒が落ちてきたので、雑談を切り上げ互いの天幕へと急いだ。 天幕に駆け込むと、道具の手入れをしている弟子がいた。 「降り始めたぞ」 そう告げると、乾いた布を持ち出して、俺の防具を手早く外して拭いていく。準戦闘用の軽装備なので、あっという間に作業は終わった。 「お召し替えなさいますか?」 「いや、この程度なら、すぐ乾くだろう」 「ふふ、“天つ水”ですからね」 「坊主どもの迷信を信じるんじゃない」 「信じてはいませんよ。どんな優れた竜騎士だって、空の果ての水なんて見たことはないでしょう。美しい名前はそれ自体が一篇の詩みたいで好きなんです」 ああ、やはり知っていたか、と口許が緩んだ。
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