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小ネタTOPにもどる ■華燭 従者に案内されたのは、過ぎるほどに立派な設えの部屋だった。当面はここで寝起きすることになるらしい。 荷ほどきの手伝いを断って部屋に一人になると、思いのほか自分が疲れていることに気づいた。かつての主君から餞別にと手渡された特別な通行手形を利用した郵便馬車を乗り継いでの旅だったから、体の奥がまだぐらぐらと揺れているような気がする。 少しだけ休もう……そう思って寝台に倒れ込んだ。 目覚めたのは夜だった。窓の外は暗くなり、いつの間に置かれたのか燭台の灯りが揺らめいている。見慣れない眺めに、ここはどこだっけ、とぼんやり考えながら寝返りをうつ。すると、すぐ目の前に師匠の寝顔があった。 驚いて飛び起きたが、寝起きだったこともあり何とか声を出さずに済んだ。それでも気配に気づいたようで、師匠は薄く目を開け、部屋の中央を指さす。 「そこに……」 示された方を見ると、卓上に盆が置かれている。寝台を降りて傍まで行き銀製の覆いをとると、二人分の夜食があった。振り向くと、師匠も身を起こし、半ば目を瞑ったままでこちらに来て卓に着いた。水差しから玻璃の杯に水を注いで彼の手元に置くと、中身を一息に呷ってから言った。 「……よく眠っていたから、そのまま寝かせておいた。腹が減っているだろう? 食べるといい」 空になった杯をこちらに寄越したので、おかわりを注いで差し出し、自分の杯にも水を注いでから料理に手を延ばした。 細かな模様が描かれた深皿の蓋を開けると、野菜を裏ごししたらしい緑のスープからわずかな湯気が立ちのぼる。炙り肉からは南の国でしか採れない香辛料の匂いがした。そして、きれいに製粉された小麦で作られた白くやわらかなパン。とても手の込んだ上質なものばかりだった。 料理に手をつけずこちらを見ている彼に、おずおずと話し掛けた。 「あの……どうしてあなたがここに?」 「ここは俺の部屋だ」 「え?」 「あいにく客間が塞がっていてな。明日には寝台をもう一つ用意させるから、悪いがしばらくは相部屋で我慢してくれ」 「ああ、そういう事でしたか」 道理で調度の一つひとつが見事なはずだ。卓上の燭台も美麗な装飾が施されている。 相部屋……か。思い出すのは大戦間の束の間の平穏な日々。あの冬も兵舎の同じ部屋で寝起きしたっけ。彼も同じことを考えていたらしい。 「またこんなふうに夜中に差し向かいで杯を交わす日が来るとはな」 「では、この再会を祝して」 ぼくが杯を掲げてから中身を飲み干すと、彼はくすくすと笑い声を溢した。 「こんな夜中に二人きりで、冷めた料理に、水の乾杯か」 口許に笑みを浮かべ髪をかき上げる仕草にどきどきした。こうした何気ない振る舞いがとても絵になるんだ、この人は。 「あなたと一緒に過ごす夜なら、ぼくには特別なことですから」 「俺にとってもお前は特別だ。今日という日をどれだけ待ち望んでいたか──まるで花嫁を迎えるような心持ちだ」 予想外の言葉に驚かされて、会話が止まる。 「お前の真似をしてみた。どうだ、素直に好意をぶつけられるのは恥ずかしいものだろう?」 俺はいつもそんなふうに間の抜けた顔をお前に見せていたのか、と彼は笑った。 「からかっておいでなのですか?」 「素直に、と言っただろう。本心だ」 「……お料理、まだ温かいですよ。あなたは召し上がらないんですか?」 「胸がいっぱいなんだ。お前が手の届く所にいると思うと」 彼が立ち上がり、こちらに歩いて来る。 膝の上で拳を握り、俯いてしまう。頬が熱い。どきどきする。待って。ずるい。意地悪だ。思考が定まらず、ぐるぐるする。 「ただ触れたいだけだ。お前の嫌がることはしない」 信じてくれ、と言いながら彼はぼくの頬に手を添える。温かな大きい手が優しく頬を撫で、髪を梳く。上を向かされて、額に、頬に彼の唇が触れ、彼の髪がはらりとぼくの顔にかかる。 ああ……この人の匂いだ。目を瞑ると、唇が重ねられた。啄むような軽い口づけに、緊張が解けていく。 「もう俺の心を間違いだとは言わないんだな」 「……あなたはぼくの想いを否定したことは一度も無かった。思い違いだ、ただの幼い憧れだと切り捨てることは簡単だったはずなのに。だから……あなたが今もぼくを必要として下さるのなら、お応えしたいと思います」 「どんなことでも?」 「はい。それがあなたの望みなら」 「明日からは乗馬の訓練の予定が入っているから、無理をさせるわけにはいかないな」 苦笑しながら彼が身を屈め、その唇がぼくの首筋に触れる。きゅっと強く吸われ、痕を付けられたのだと分かった。ぼくが彼のものだという印を。 「……せめてこれぐらいは許してほしい……嫌だったか?」 「いいえ、あの……嬉しいです」 「それで、お前は俺をどう思っているんだ? 今日はまだ聞かせてもらっていないが?」 「好きです……大好きです、ジョルジュさん」 もう何度告げたか分からない言葉を、ぼくは繰り返す。彼の目が嬉しそうに細められ、もう一度唇が重ねられた。
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