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小ネタTOPにもどる ■虹の入江 街道を行軍中に、風の匂いが変わった、と感じた。 「にわか雨が降るかもしれません」 ぼくの呟きに、並んで馬を進める騎士団長は片眉を上げる。 「……こんなに晴れているのに?」 青い空には光が満ち、小鳥のさえずりが響きわたり、とても天候が崩れるとは思えない。 それでも彼は、近辺の農民に空模様を訊ねてくるよう斥候に指示を出した。戻ってきた兵からの報せを受け、今度は伝令を呼び雨に備えるよう全隊に注意を促す。糧食や武具等の荷には覆いが掛けられた。 ややあって、急に空が暗くなり大粒の雨が降りだした。防水布や外套を打つ雨音で辺りは騒々しいほどだ。 「なぜ分かったんだ?」 「湿りを帯びた風の匂いで。それに、鳥が低いところを飛んでいました。このあたりの地形や植生は故郷に似ていますから、なんとなく分かります」 そう言うと、師匠は不思議そうな顔をする。 「例え生まれ育った地だとしても、俺には風の匂いの違いなど分からんな。まったくお前は……」 「鼻の利く犬のよう、ですか?」 含み笑いで言葉尻をとり問いかければ、彼はばつの悪そうな苦笑を浮かべた。 「他の人に言われるのは不本意ですが、あなたになら犬と呼ばれても構いませんよ」 「お前がそんな態度だから、妙な噂が立つんだ。英雄王の耳にでも入ってみろ。粗略に扱うなら返せと言ってくるぞ」 「とうに噂は届いているようですが……」 眉をしかめる師匠に馬を寄せ、小声で囁く。 「団長殿、どうか皆の前では凛と美しく居てください。そんな可愛らしい顔は、ぼくだけに見せて頂ければ良いんですから」 雨音と鎧を着けた人馬の歩む音で、他の者には聞こえないだろう。 「好きですよ、ジョルジュさん。誰に何と言われようと、ぼくはずっとお側におります」 そう付け足すと、彼の頬に少し色が差したように見えた。 「そんな生意気を言って……よほど泣かされたいと見える。覚えていろ、容赦はしないからな」 「楽しみにお待ちしております」 少しすると雨が小降りになり、やがて背後に日射しの熱を感じるまでになった。 そのとき、行軍中の兵たちから小さなざわめきが起きる。 進む道が見開けた先に海が見え、その空には鮮やかな虹が架かっていた。 「海の風と陸の風がぶつかるこの辺りでは、にわか雨が多いとも聞いていました。 それに、今日の野営の予定地は、地元では虹の入江と呼ばれているそうです」 最後にもうひとつ種明かしをすると師匠は一瞬呆気にとられた顔をしたが、すぐに口元を引き締めて雨除けの外套を脱ぐ。西日を受け、金の髪が煌いた。 いつもの威風をたたえた美々しい彼が、これで良いんだろう、とばかりにちらりとこちらを見てから正面に向き直り、馬を進めていく。ぼくは、その少し後ろをついていく。 いつかもこうして一緒に虹を見た。あの頃と変わらず美しい、ぼくの大切な人。 ずっと共に歩んで行けますように。 日射しと虹に彩られた景色の中を、隊列はゆっくりと進んで行った。
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