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■りんご
「お前は、誰にでも愛想がいいな」
掛けられた声に振り返ると、師匠がいた。
訓練場に向かう途中で、出入りの商人が手押し車の荷を崩して難儀しているところに通りかかり、積み直す手伝いをしていたのを見られていたらしい。
気怠げに回廊の壁に寄りかかり、ぼくを見る表情からは、これといった感情は読み取れない。
かろうじて、どちらかというと不機嫌そうだということが伝わってくるだけだ。
「だって、困っている人を放っておけませんよ。手助けしたくもなるでしょう」
「誰かが己の不手際で泥沼に嵌まっていようと、俺はそういった気にはならないな」
「そのぶん、訓練の刻限に遅れてしまったことは申し訳なく思いますが……」
「まだ間がある。謝罪には及ばん」
じゃあ、どうして機嫌が悪いんだろう。
理由を察しないぼくに、さらに苛立ちを感じているみたいだ。
お互いに二の句が継げず、刺々しい雰囲気で見つめあっていると、先ほどの商人が空になった手押し車を押しながら戻ってきた。
ぼくを下働きの者と思い込んでいるらしく、砕けた口調でにこやかに話し掛けてくる。
「ぼうず、さっきはありがとう。これ、食いな。そっちの兄さんも、どうぞ」
肩から提げた袋からりんごを取り出し、ぼくと師匠に手渡すと、じゃあな、と笑顔で去って行った。
「……どういうことだ?」
「お礼ですよ」
「なぜ俺にまで渡す?」
「ぼくと一緒にいたからでしょう」
手にしたりんごを、じっと見つめながら、彼は呟く。
「俺は、何もしていない」
「そういうものでしょう」
「お前には、こういうことが当たり前なのか?」
「そうですね」
師匠の言う『こういうこと』が具体的に何を指すのか、正確には把握しきれないままぼくは頷いた。彼は手にしたりんごをぼくに差し出す。
「俺には受け取る理由がない」
そんなに難しく考えることだろうか。彼の手をそっと押し返した。
「今ぼくがりんごを二つも食べたら、夕食が入らなくなります」
そう言って、さっと服に擦り付けて皮を拭いてから、自分が手にしたりんごに齧りつく。
「蜜が入っていておいしいですよ。あなたもどうぞ」
複雑そうな顔をしながら、彼もぼくを真似て服で周りを拭いてから、りんごを口にした。
「……美味いな」
「でしょう?」
ぼくが笑うと、彼もぎこちなく笑みを返してくれた。
「りんごはこちらの特産品なんですね」
訓練後、自室に戻る道すがら弟子がふと言った。
弟子の故郷はこちらより温暖な気候で、果樹といえば柑橘類が多いそうだ。りんごは内陸の高地でしか栽培されていないらしい。
「王都よりは南にあるが、うちの領内でも果樹と言えばりんごだな……」
他の果実に比べ日保ちがするし、酒などの加工にも向いている。その白い花の咲くころは季候も良く、思い返す風景には常にある樹だ。
「ぼくの村のあたりでは、街道に沿って色々な果樹が植えられていましたよ」
「手入れは誰がするんだ? そんなところにまで領民を駆り出すのか?」
「領内の子どもたちが世話をします」
領地に近い街道の普請や整備は領主の役目。そんな街道まわりに果樹の並木を設け、幼い子どもたちが手入れをする。隠居した農夫たちが摘果や受粉、剪定などの指導にあたる。果樹の病害虫に関する教育も──。
そんなふうにかつて農夫や職人として経験を積んだ里の古老たちが持ち回りで、子どもたちに色々なことを教える機会をもっていたそうだ。領内の子どもは、身分や家業を問わず、その教えを受けることができることになっている。
村の教会では、無償で読み書きも教えていたという。
「ちょっとした学問所のようだな」
「何代か前の領主の発案だそうです。立派な森を作るには良い若木を育てることが肝要、と」
「興味深いな」
敵国の侵略を受けても、民は皆殺しにはならない。耕地を手に入れても働き手がいなくては、元も子もないからだ。それが豊かな土地であり、かつ二次的な産業が見込めるのなら、なおのこと。
歴史を顧みても、国境に近い村落などは戦争のたびに国名と領主が変わる。領民も馴れたもので、今まで通りの暮らしが保障されるのならば、それがどの国の者であろうと領主には従順だ。
「領民の技術や知識が土地の付加価値になるというのは面白い発想だと思うが、問題があるとすれば因習だな。この国では学問や知識は、聖職と魔道に携わる者のみが手にできる。平民の識字率は高くない。
武力も必要になるだろう。侵略者を誘うのではなく、通商の相手として対等に渡り合うには自衛ができてこそ。
王家保有の領地でもない限り、中央から離れた地では国の庇護も当てにならない……」
弟子は嬉しそうに微笑みながら俺に訊ねてくる。
「こんな話が面白いですか? あなたも所領をもち、治める立場でいらっしゃるから?」
「──たまたま俺が長子に生まれついただけだ。領民からすれば治める主も俺である必要はない。他に適任者がいれば、すぐに譲るさ」
「あなたしか、いないでしょう?」
俺を信じきった目で見上げる、その真っ直ぐさに居た堪れなくなる。
「利いた風なことを言うじゃないか」
そう言って額を小突くと、ぷうと頬をふくらませた。
「お忘れかもしれませんが、ぼくは国を統べるべく育てられた方のお側に仕えていました。ぼくとあまり歳も変わらない方ですが……上に立つ者が担うべき責務について、常にお考えでした。
あなたには、それに近いものを感じることがあるんです。不正を許さず、常に己が矢面に立ち、弱き者を護ろうとする意志を。
不思議ですよね。戦争の折には多くの王族の方々と接する機会があったのに、一番近い印象を受けたのは、あなたでした」
あの坊っちゃん王子様と俺が似ていると?
確かに、理想を夢のままで終わらせないという気概と、それを推し進める力──周囲を動かす雰囲気を持っていたが、俺にはそんなものは無い。
「……似ているか?」
「ぼく自身が、同じような気持ちになるんです。あなたの望みを叶えるため、自分がお助けしたい、と」
そのとき、宿舎の自室に着いた。弟子は扉を開け、軽く頭を下げたまま、俺の入室を促す。仰々しいまでに丁重な仕草で。
俺に続き部屋に入り、背後で扉が閉じられる音がした。
振り向けば、俺を見つめる瞳。
「お前は自ら望んで飛び込んで来たんだったな」
「はい。あなたのお側にいるために」
頬に手を添えると顔に軽く朱が射したが、それでもこちらを真っ直ぐに見上げている。
「光栄なことだ」
頭のてっぺんに軽く口づけると、火を噴いたように顔が紅くなった。
りんごのようだな、と思った。
- 軽く調べたら「ノブレス・オブリージュ(高貴なる者の義務)」は近世の言葉のようなので、文中には入れられませんでしたが、言いたいのはそんなところです。
ゴードンがホイホイついていくぐらいなんだから、ジョルジュさんの良いところは顔だけじゃないっていう私設定。いや、たぶん公式でも。
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