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小ネタTOPにもどる ■夕風 「ちょっといいか?」 「……珍しいな。お前から声を掛けてくるなんて」 退屈な定例報告会を終えて議場を退出するとき、友人に呼び止められた。 旧知の仲だが、互いに多忙な身、しかも馴れ合いや無駄話を好む手合いでもない。 兵舎内の友人の私室に場所を移し、ようやく口を開いたと思ったら、他国から修行に来ている俺の弟子のことだった。 「体術を習いたいそうだ」 食堂で顔を合わせたときに、鼻息も荒く申し出てきたらしい。 「弓を極める方が先じゃないのか? と言ったら、 『体捌きの感覚は磨いておいて損はないはずです。敵の動きの予測にも役立ちます』 と返された。もっともな意見だ。 師匠がいるだろう? あいつに習え、と言えば、 『できるものなら、そうしています』 と、真っ赤になって黙ってしまった。 ……お前、何かしたのか」 思い当たる節はある。数日前に気まぐれで軽く体術の稽古をつけた。 接近戦に慣れておらず、素手での間合いもつかめていない。それ以前に体格の差で敵うはずもないのに、かわされても打たれても、何度も向かってくる一生懸命な様子が可愛くて、つい……。 「ちょっとした、いたずらを」 そんなところだろうと察していたらしく、友人はひとつ溜め息をついてから言葉を続けた。 「こちらの新兵の訓練に参加させてもらいたい、との申し出だった」 新兵の訓練? 傭兵隊の? 有象無象が集まる傭兵隊では、ふるい落としと度胸試しを兼ねたしごきが多く、まともな鍛練になるとは思えない。 大貴族の俺に言われたくもないだろうが、世間知らずな弟子の言動に呆れてしまう。 「受けたのか?」 「まさか、断ったよ。他国からの客人の待遇は、俺の一存では決めかねると。 ──正直なところ、俺の目の届かない所で起こる事までは保証しかねる。危機感に欠ける毛並みの良い仔犬を、狼の群れに放り込むのは無茶な話だ」 「お前の隊だろう。部下に対して酷い言い様だな」 ふ、と自嘲的な笑みを浮かべて友人が言う、実情は獣以下だと。 戦争は終わったというのに、皇帝の指示により、質を問わず兵が集められているらしい。傭兵組合を除籍された者や、戦とは関係なく私欲のための殺人に手を染めてきた輩もいるという。 「なぜそんな者が王都でのうのうとしていられるんだ?」 「御成婚の恩赦だそうだ」 「それでも重罪の者に特赦は無いだろう?」 「普通なら、そうだ。だが、現に近頃の傭兵隊の新兵には、そんなゴロツキが多い。 組織に属し、衣食住は足りている。それでも徒に暴力と刺激を求めずにいられない手合いだ」 以前、知人から聞いた話が頭を過る。 「下町で幅をきかせるようになった、たちの悪い新参者の噂は、俺も聞いた」 「商工組合や市民からの陳情や嘆願が届くし、上からも手綱を締めるよう強く言われているが……」 指し示す友人の机の上には、執務時間内に処理しきれず持ち帰ったと思しい書類の山。 現場では古参の者たちの尽力もあって、何とか隊の体裁を整えている状態らしい。 「こんなときに迷惑をかけたな」 「いいや……本音を言えば、お前の弟子と話していると、ほっとする。悪意の無い素直な気性に、安心できるんだろうな。お前が手元に置きたがるのも分かるよ」 「……やらんぞ」 そう返すと、相手は瞠目してこちらを見た。冗談半分に言ったつもりだったが、真に受けてしまったようだ。 「なんだ、その顔は」 「お前こそ、今の顔を鏡で見せてやりたかった。お気に入りの菓子を抱え込んで独り占めしてるガキみたいだったぞ」 「俺はそんなことはしない。そんなに好きなら、牽制なんかしていないで、さっさと食っちまうさ」 軽い気持ちでした例え話を、相手は誤解したようだ。さっと表情が変わった。 「食ったのか?」 「食えるか。そもそも預かりものだ。俺の物じゃない」 「いたずらって何をしたんだ? まさか……」 「……」 以前、こいつの相方とも似たような話をしたような気がする。夫婦揃って勘違いも甚だしい。 「羽交い締めにしてくすぐったぐらいで、そこまで責められては、納得がいかないな」 「……昔、俺にもしなかったか?」 「本気で怒られたから二度としていないだろう」 自分と同じ程度の扱いと知り、安心したように息を吐く。失礼な話だ。 「過保護になる気持ちも分かるが、それならなおのこと、真面目に体術も教えてやれ。 なにせ、あの弓騎士隊隊長のお気に入り、と噂になっている。 ──抑止どころか興味を煽っているぞ。裏目に出たな」 笑いを噛み殺しながら面白がるようにこちらの表情を窺っている。 「お前には借りがあったんだったな。今回の分も併せて、そのうち埋め合わせをさせてもらおう」 「ああ、そのうちにな」 部屋を退出しようと扉に向かう背中に、声を掛けられた。 「お前、変わったな」 「そうか?」 「以前は誰に対しても上辺だけ取り繕っているようだった。表向きは飄然としていながら、ひたすらに騎士として国と主君のためだけに生きているようだった」 騎士になるときに誓った、命の限り聖王家にお仕えするという想い。今でも、その気持ちに変わりはない。 まるで沈む船を予見して逃げるネズミのような、一族の遣り口が嫌いだった。損得勘定だけではない誇り高い生き方に憧れた。 崇高なる責務にこの命を捧げたいと願った、幼い日の夢。 「国を、裏切るなよ」 「どういう意味だ?」 返事はなかった。 互いに感じているのだろう。暖かい午後の日差しのなか、ふいに肌をなでる冷たい夕風のような、目には見えない落日の予兆を。 しばらく視線を合わせていたが、友人はふっと短く息を吐くと、目を伏せた。 「悪かった。おかしなことを言ったな」 「いいや……またな」 「ああ、また」 自分の部屋に帰る道すがら、あれこれと考えを廻らせたが、未来を知り得るはずもない。 そして私室の扉を開けると、出迎える弟子の笑顔。 今はまだ、時ではない。 その時が訪れるまでは、手の届く者をただ愛でていれば良いのだろう。
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