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小ネタTOPにもどる ■ きら・きら 「弓の場合、力の差をどうやって量るんでしょうね」 早朝の弓場でふたりきり。並んで的を射抜きながら、弟子がぽつりと呟いた。 視線の向こう、隣り合った互いの的には、それぞれ中央の印が見えないほどに矢が中たっている。確かに、練習用の動かぬ的を射るだけならば、一定以上の腕の差は量り辛い。 「狩りの獲物や……戦場で仕留めた敵の数で決まるんじゃないか?」 「それだけでは師を超えたという証にはなりませんよ。 『より多くの鳥を射落としたから』と、お傍を辞するように言われても、ぼくは納得できません」 なるほど、不確定な要素を踏まえたうえで、目に見える結果が必要なのか。 「剣や槍なら直に手合わせをして、互いの力量を肌で感じることもできるが、弓ではな……」 「異国の故事で聞いたことがあります。隣り合う丘の上に立ち、互いの右目を狙って矢を放った、弓の腕くらべの話を……」 その情景を想像した。 丘に立ち、弓を引き絞り、向かいの丘を見る自分。 風が静まるのを待ち、中間の谷から合図が送られ、同時に矢を放つ。 ──この緑の瞳を狙って? 「可愛い弟子に、冗談でもそんなことができる訳がないだろう」 こちらを見上げる弟子の額を軽く小突いた。 「その話では……どうなった? どちらかが相手の目を射抜いたのか?」 「正面から真っ直ぐに互いの矢がぶつかり、間の谷で勝負を見守る者たちの足下に落ちたそうです」 そんな芸当はこの俺でも不可能だ、と笑うと、物語ですから、と笑顔が返された。 輝く緑の瞳。真っ直ぐにこちらを捉える眼差し。抱きしめたい、という衝動に胸の奥が軋み、気づかされる。とうに俺は射抜かれているのだ、こんなにも深く。 それでも、自分を抑えるのは慣れている。平静を装い、問うた。 「……お前は? 俺に矢を射かけることができるのか?」 少し考えてから、答えがあった。 「腕くらべだったとしても……たとえ敵として戦場で相まみえることがあったとしても……あなたに弓を引くぐらいなら、ぼくは自分が討たれることを望むでしょう」 手をとられ、甲に相手の唇が触れた。そして祈りのように呟かれる言葉。 「あなたの瞳は、特別なんです。その輝きを守るためなら、ぼくの命なんか惜しくありません」 きらきらと輝きを放っているのは、お前の目の方だろう。邪気のない笑顔に、見ているこちらの方が面映くなる。 「しかし、腕くらべができないとなると、少々困ったことになる。お前はずっと俺の弟子のままだぞ」 照れ隠しに捻り出した言葉に、弟子はきょとんとしてから、溢れんばかりの笑顔になる。 「では、あなたはずうっと、ぼくの師でいてくださるんですね?」 きゅっと軽く指先を握られ、もはや我慢の限界だったが、理性をかき集め穏やかな笑顔をつくり、空いたほうの手でそっと頭を撫でた。 その仕草に肯定の意を汲み喜びのにじむ表情が眩しくて、思わず目を細める。 これは──抗えない。 両手で相手の頬を包み、閉じられた右の瞼に軽く口づけた。 矢を射る代わりに、できるだけの想いをこめて。 幾度も、繰り返し。 温かな手に頬を包まれる。 目を閉じると、右の瞼に彼の唇がそっと触れた。互いの右目を狙って矢を放った弓使いの腕くらべの故事に因んでのことだろう。 話を聞いたときの彼の目に過った戸惑いの色が、胸の中に影を落とす。 二人の弓の名手は、互いの力を評価していたはずだ。いずれかが、あるいは双方が命を落としたかもしれない状況で、この上ない正確さで相手が矢を放つことができると信じていた。 だからこそ、周囲が納得するばかりではなく、驚嘆さえ覚える結果を導くことができた。 ──今の彼とぼくの関係では、届かない高み。 おそらく彼はわざと狙いを外し、ぼくは矢を放つことさえできないだろう。 師弟だから? ぼくがまだ力不足だから? いずれにしても、それを言い訳にして真剣に向き合うことを避けている。 唇が離れたのを感じて目を開けると、彼はじっとこちらを見つめている。 視線を外し、その胸に顔を擦り付けた。小さく息をのむ気配がして、やがてゆっくりと彼の手が背に回され、柔らかく抱きしめられる。つむじに感じる彼の熱を帯びた唇と吐息に胸が高鳴る。 もっと好かれたい、求められたいと願ってしまう。 けれどそれ以上に、この人に認められる力をつけたい、信頼を得たいと思っている。 同じ戦場に立つ者として対等に見てもらえないことがもどかしい。その背を預けられることはなく、庇護される立場であることが悔しくて。 この人は、ぼくのしるべの星。どんなときでも、見上げる空に輝く一つ星。 彼にとっても、そんな存在でありたいと思うのに。今のぼくでは、まだまだ足りない。 ぼくは彼を困らせるばかりだ。拒絶されないのをいいことに、優しさにつけこんでいる。 その腕に抱かれたまま間近で視線を合わせると、困ったような笑みが浮かぶけど、目を瞑れば口づけをくれる。優しく啄むようなそれに、雛鳥になったような気持ちがする。 こんなふうに甘えることが許されるのは、嬉しくもあるんだ。 彼がぼくを見るときの、この翳りと戸惑いがなくなる日は来るのだろうか。 それは互いにとって、本来あるべき形に違いない。でも、その日が訪れるのがぼくは怖い。 心地好い穏やかな時間との訣別は、この曖昧な関係が喪われることに他ならないだろうから。 そのとき── ぼくらは互いの右目を狙うのだろうか。 それとも弓を引くことなく、新たな景色を臨みながら別々の道を歩むことになるのだろうか。 不安にかられ、縋る手に力がこもる。 ぼくの想いを知ってか知らずか、与えられる口づけはただひたすらに甘く優しかった。
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