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■ずるい人

 漫然と眺めていた書面に、ひっかかりを感じた。
 注意して内容を確認すると、計算が間違っているところが何か所もある。

「癖の強い字で書かれていますが、それでも普通は自分の字を見誤ることはありません。しかも、検算をするまでもなく手元に残る金額と食い違うんですから、看過するのはおかしいです」
「間違いを装って差額を着服しているのか……」

 夕食後に師匠の書類仕事を手伝うのが日課となっていた。お前と作業するのが一番効率よくはかどるから、と他の仕事を日中に回して、わざわざ宿舎に持ち帰るようになったからだ。
 弓騎士隊を束ねる将軍職にある彼に課されているのは、各現場の長や監査部署の係も目を通したはずの書類に、承認の署名をするだけの作業。それがこんなに難航するのは、途中の段階できちんと仕事がされていないから。内容の確認もせず署名だけして、回されてきた書類の山。
 お使いのおつりをごまかす子どもじゃあるまいし、公のお金をかすめ盗ることは罪になる。監査役がそれに気づかないのは、給金をもらっているのに仕事をしていないということ。あるいは、共謀しているか。どうしてこんなことがまかり通るのか。

「弓の腕を眠らせるのは論外だが、その頭をただの武官にしておくには惜しいな……」

 お前が二人いればいいんだが、師匠はそう言いながら問題のない文書に承認の署名を入れ、印を捺していく。

「おだてて体よく使おうとしていませんか?」
「早目に終われば、寝る前に稽古をつけてやる」

 おだてに乗らないと見るや、こんな餌をちらつかせるんだから、ずるい人だなあと思う。

「……真冬の夜中ですよ?」
「氷に閉ざされた地や、夜間の戦闘もあっただろう」
「やっぱり寒いとか眠いとか理由をつけて、なかったことにしないで下さいね」
「師を疑うな。俺は約束は違えない」

 地方領主であった父の下で帳簿や書状の作成管理をしていたのは、母や成人した従姉たちだった。
 幼い子どもは女の人たちが仕事をしている部屋の隅で過ごすことが多いため、絵物語を傍らに、遊びの延長のような気持ちで読み書きや計算を習っていた。
 つづりや計算の間違いを見つけたり、悪筆を解読して付記をそえたり、内容によって分類したり……そんな手習いが役に立つ日がくるとは、思いもよらなかった。

「注意を申し渡す者の名簿を用意しておけ。次に同じことをしたら解雇だ」

 師の言葉に、ぎょっとした。

「厳しすぎませんか?」
「本来なら即刻解雇したいところだ。こういう品性の欠けた奴に下手に警告を与えると、まとまった額の持ち逃げでもされかねん」
「何か理由があるのかもしれませんよ」
「悪銭をつぎ込む先は、賭事や愛人と相場が決まっている。同情の余地はない」

 自業自得。
 ぴしゃりと言われ、返す言葉がなかった。

「薄情だと思うか?」

 問いに首を振る。確かに、金額の大小の問題ではない。不正を行う人物を組織の内部に置いておくのは、賢明なことではない。

「……いいえ。悪いことをした人に、同情する必要はありませんから」

 薄く笑みを浮かべた師に、つい、と指先で頬をつつかれた。

「理解はできるが納得できない、そんな顔だな。……無理に納得しないでいい。お前はそのままでいろ」

 心を見透かされ、どきりとする。笑顔に胸が締めつけられ、触れられた頬が熱くなる。

「人の心を持たない冷徹な方、という評判は間違っていますよね。職務を忠実に遂行しているだけで、あなた自身は、こんなに優しいのに……」
「的確に評していると思うが。相手が何を考えているか分かったところで、それを思いやる親切心は持ち合わせていない。
そもそも俺には、愛だの恋だのは、よく分からん」

 意外そうな顔をするなと言われ、自分がぽかりと口を開いたままだと気づく。

「“恋多き方”と伺っていますが……?」
「ただ寝床を共にするだけで恋と言えるのなら、多いのかもな。だとすると、お前も相手のうちの一人になるぞ」

 ぶんぶんと勢いよく首を振るぼくを、口の端を上げて面白そうに見る彼は……意地悪だ。

「ええと……でも、相手を好きでなければ、そういうことはできないでしょう?」
「抱くことはできる。単なる欲求の解消だ。生理現象に感情は関係ないし、手洗いでいちいち感慨に耽る趣味はない」

 ひどい例えだ……と思う自分は子どもなのだろうか。
 それでも、こうした物言いを聞かされても、不思議と彼への憧憬は消えない。

 彼は周囲に隷属や盲従を望んではいない。自らの判断で彼を選んだ者だけが、付き従っているのだ。
 形ばかりの追従など必要としないのは、自信の表れなのだろう。他者に媚びたり顔色を伺ったりしない凛とした態度は、彼の気性そのままだ。
 彼に求められているのではない。ぼくが彼を必要としているだけ。
 ──それが、少し淋しい。

「さて、気が変わっていなければ、お待ちかねの鍛錬に移るぞ」

 手早く筆記具を片付けながら彼が言う。あわてて机の上の書類をまとめ、ふたり分の防寒着を用意する。

「ありがとうございます。……今日は無理かと、半分諦めていました」
「これでも機嫌をとっているつもりなんだ。可愛い弟子に愛想をつかされないように」

 外套に袖を通しながら小さく呟かれた言葉に、ほんとうにずるい人だと思った。



  • 相性がいい人っているじゃないですか。こんなふうにナチュラルに相手のツボを刺激しあっていればいいなと思います。
  • 地域差はあったようですが、中世前期の貴族には、自分の名前を書くのがやっとという人も少なくなかったそうです。

20140924up


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