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■変わらぬ想い

 傍らで穏やかな寝息をたてている少年を見て、ため息をつく。

 先ほどの自分の行動は、いささか軽率だった。
 師という己の立場を鑑みれば、明らかに規範を外れた悪ふざけだろう。
 確かに酒は入っていたが、理性が飛ぶほどの量ではない。なぜ、あんなことをしてしまったのか。

──抱き寄せたのも口づけたのも、情欲というよりは庇護欲だ。
──労り慰める方法が、他に思いつかなかっただけだ。

 そんな言い訳がましい理屈をつけながらも、悔恨を上回る昂揚感が未だ心の奥に燻っている。

 間近で見ていて気づいてしまった。
 こいつが俺を見るときの瞳が、ひときわ黒目がちで深い色を帯びているのは、瞳孔の拡大ゆえだと。
 こちらに向けられていたのは、尊崇や信頼だけではない。甘やかな陶酔をともなった、心のゆらめき。

 この感情の名前を知っている。

 酒の席の冗談として流してしまうのは容易かっただろう。
 気持ちに応えられないことも──応えてはならないことも、分かっていた。
 だからこそ、子どもだと切り捨ててかわすのではなく、せめてそのまま正面から受け止めるべきだと思った。
 いいや、欺瞞だ。俺自身が、そうしたいと望んだんだ。その感情が、こいつの考え違いであると知りながら。

 十近くも年の離れた子ども。
 少年から青年に移行していく過程の、華奢で線の細い体。
 いつも真っ直ぐにこちらを見つめる、迷いのない視線。
 この透き通った瞳に映る自分は、俺の真実の姿ではない。過分な理想と憧れの混じった虚像。思春期にありがちな幻想だ。
 長く傍にいれば、やがて現実との差異に幻滅し、気持ちも離れていってしまうのだろう。
 それを淋しいと思う程度には、自分はこの子どもを必要としていたのだと、気づかされる。

 心に射す翳りは、やがて訪れる日のこと。そう遠くない未来、俺はこいつに必要とされなくなる。
 それは、この温かな時間を失うということを意味するのだ。そんな分かりきった事実に、痛みを感じる。
 許されるならば、この目が自分に向けられる間は、せめて傍にありたいと思う。

 寝顔に手を伸べ、頬に触れる。伝わってくるぬくもりが心地よい。
 寝ぼけているのか、相手が誰か分かっていないのか、目を瞑ったまま自ら頬をすりよせてくる。そんな仔猫のような甘えた仕草を、ただ可愛いと感じた。
 まるで小さな子どもにするように、頭を撫で、髪を梳く。
 優しくしてやりたい、ただそれだけの欲求に囚われて。

 額にかかる髪をかきあげ、唇を寄せた。瞼にも、頬にも、触れるだけの口づけをする。
 そのとき、わずかに動いた口許から零れたのは、柔らかな笑みと、俺の名。

 いつだったか、同じようなことがあった。
 あれはまだ出会って間もない頃、野営の天幕でのこと。寝言で名を呼ばれ、なぜかそれを嬉しく思ったのを覚えている。
 あれから色々あったはずだ。なのにお前は、あの頃と変わらない気持ちで俺を慕い、あの頃と変わらない目で俺を見ているのか。

 ゆるぎない信頼。その重圧と喜悦に心が震える。

 こみ上げる気持ちを抑えられなくなり、その唇に口づけた。
 夢の中まで届けばいいと願いながら。
 どうか、少しでも長く、その夢から目覚めることのないように、と祈りながら。





 温かな手が頬に触れる。
 額や瞼に感じる柔らかなものは……唇?
 この髪の匂いには覚えがある。
 誰よりも特別で、大好きな、あの人のものだ。

 どうやらぼくは夢を見ているらしい。
 こんなふうに、夢の中で夢だと気づくこともあるんだなあ。
 呑気にそんなことを考える。
 都合の良すぎる展開に、自分がどれだけ図々しいかを思い知り、呆れを通り越し、笑ってしまう。

 でも、夢の中なら、ちょっとぐらい、いいよね?

 温かな手に頬をすり寄せ、間近でその顔を見上げて名を呼ぶ。
 大切な、祈りの言葉のように。
 ぼくを映す青い目が優しく細められ、そっと唇が重ねられる。

 幸せで、幸せで、とけてしまいそうだ。


──彼のことが、好き?

 ここに来る前に、主に尋ねられた。
 何と答えたか、詳しい内容は忘れてしまったけど、あのときと今の気持ちは違うと思う。
 夢の中で王子は、あのときの笑みでこちらを見ている。

──いつか話したよね。想い人ができたなら打ち明けてほしいと……彼が、そうなのかい?

 誰よりも、幸せであってほしい人です。

──それは、どう違うの?

 ぼくは……いいえ、私は……彼に愛されようとは思っていません。
 あと少し、傍にいたいだけなんです。

──誰かを想って、その人との未来を願うことは、決して歪んだ悪いことなんかじゃないよ。

 でも私は、彼に相応しくありません。

──君にとって、彼はまだ、憧れの人?

 もっと、ずっと、大切な人です。
 だから、多くを望まず、ただこうして傍にいる時間を大事にしたいと思います。

──ずっと彼の傍にいる……それだけが、君の望み?

 夢の中の王子は、いたずらっぽく口の端を上げて尋ねる。
 頷くぼくに、柔らかな笑みで返される言葉は……

──うそつき


 目を開くと、夜明けの近い薄明かりの部屋で、師匠の寝顔が間近にある。
 わずかに身じろいだぼくに気づいたのか、まだ早い、寝ていろ、と呟きながら温かな胸に抱き寄せられる。

 うそじゃない。
 だって、ぼくはちゃんと知っている。彼が、ぼくのものじゃないってことを。
 これは、ひとときの夢だってことを。

 それでも、この気持ちは、ずっと変わらないから。

 そう心で言い訳をして、眠る彼の頬に口づけた。



  • 師匠としては、「やってもうた」感があったろうなと思います。すっかり油断して、うっかり絆されましたね。
  • ちなみに瞳孔が開くのは、性的高揚の他に、リラックスや嗜好も要因となるそうです。
    もちろん個人差もありますが、そのほかに性差があり、男性は主にえっちな写真にのみ反応するのに対して、女性は赤ちゃんや死体の写真でも同様の反応が見られるそうです。産み、育てるための本能なんだろうなあ。

20140831up(0901弟子視点追加)


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