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小ネタTOPにもどる ■ゆびきり 師匠に手渡されたのは小さな金属製の札だった。 「門番に見せる通行証だ。正規の団員には徽章が付与されているが、これは客人用の仮の札だ。顔を見知っていれば提示の必要もないが、お前のことを知らない者も多いからな」 「今まで外出するときに必ずどなたかが一緒だったのは、ぼくが慣れない街で迷子にならないようにとのご配慮だと思っていました」 「まあそういう理由もあったが、そろそろ一人でも心配ないだろう。空いた時間や休養日には自由に街に出掛けていいんだぞ」 ぼくが生国から遠く離れたこの国の弓騎士隊に仮に身を置いているのは、師匠であるこの人の教えを受けるためだ。街にくり出して遊ぶなんて、必要ないことなのに……。 表情から考えを読まれたようだ。 自分の頭と体でこの国を知るのも良い経験になるだろう、と思わせ振りな笑顔で師匠は言った。 国を発つときに持たされた金子はほとんど手つかずのまま、こちらに着いてすぐ騎士団の勘定所に預けたきりだった。大金を持ち歩くのは不安なので、いくばくかの金を銅と銀に両替してもらい、銀は長靴の裏地に挟み込み、銅は財布に収めてから懐に入れた。 街は大きく、人も多い。店が立ち並ぶ区画でなくても、ちょっとした広場には必ず出店がある。それは、祭でも特別な日でもない、この街の日常の風景。少し歩いただけで、パンや卵から装飾品、中古の武具、牛や馬まで売られている。 大きな街で買い物なんかしたことのない自分には──ましてや目的もなく行き当たりばったりに覗く店の品々は──全く無縁の物に思えた。服や身の回りの物は清潔で機能的であれば問題なく、騎士団のお仕着せで事足りている。 「試されて、いるのかなあ……」 それでも、自分はまだまだ子どもと見做されている。盛り場で羽目を外して遊ぶと思われてはいないはずだ。駄菓子を食べすぎて、腹を壊すのがせいぜいだろうに。 良い経験になる──師匠の思わせ振りな笑顔が気になった。 考えてみたら、ぼくは故郷ですら、祝祭日に立つ屋台の市で食べ物や細工物を買った記憶しかない。村の者は皆互いに顔見知りで、ほとんど付けや物々交換でやり取りをしていたし、まとまった大金が動く商売は大人たちの領域だ。子どもたちはもっぱら、たまに訪れる行商人や旅芸人の上客だった。 浮き立つ気持ちで銅の端銭を握りしめ、弟や友人たちと練り歩いた道は、轍や足跡が残り生活の温もりを感じられる土であり、この街の石畳とは異なった世界だった。 秩序だち整然としているが、この街をどこか冷たく感じてしまうのは、単に馴染みがない土地というだけではないように思われた。 『千年王国』の中心となる都を初めて訪れたのは、戦争の最中だった。正統な国主たる王女を擁しての、英雄の血を引く王子の凱旋──。 あのときには、自分が大陸一の弓騎士の弟子になり、こうしてこの国を再訪するとは考えもしなかった。夢を抱いてはいたけれど、実現するとは思っていなかった。 時は確実に過ぎ、誰もが昔のままではいられない。 師弟として、年少者として、自分が周囲に守られ甘やかされているのを肝に命じて、早く一人前になってしっかり歩いていかなければ。 「兄ちゃんは、働き口を探して出てきたのかい?」 「ううん、騎士団に……」 「なんだ、仕官希望かあ。どうりで」 最初の広場で不自然にぶつかる振りをしてぼくの財布を掏り盗ろうとした子どもを捕まえたら、妙に懐かれてしまって、街を案内してくれるという。結果的に美味しい屋台めぐりになって、色々と食べ物をおごらされているんだけど。 たとえこのまま人気のない路地裏に誘い込まれて身ぐるみはがされたところで、金額で考えれば大した被害じゃない。女の子じゃないから、別の心配も必要ないだろうし。それに、もしかしたらそういう危ない目に遭うことが、師匠の言う“良い経験”かもしれない。 「ぼーっと考え事してるみたいだし、いけると思ったんだけどさあ……」 「田舎者だから?」 「街を知らない相手なら、すぐに撒けるじゃん」 「ぼく、足にも自信あるよ」 「兄ちゃん、人ごみや街を抜けるにはコツってもんがあるんだよ」 「勝負してみる?」 夕食の後、部屋で弟子に書類仕事を手伝わせながら、外出時のことを訊ねた。 密かにつけていた護衛は早々に撒かれてしまったので、本人に聞くしか知りようがなかったからだ。 スリの小僧を捕まえ、意気投合してさんざん屋台で飲み食いした挙句、街中を鬼ごっこで駆け回り、その結果ますます懐かれ、次の休養日にも会う約束をしたという。 返す言葉もない俺に叱られるとでも思ったのか、慌てて手をとりながら言う。 「こう……小指を絡めるんだそうです。船乗りから聞いた、遠い東の国の約束の印ですって」 でも、その子には小指が無くて……事故で失ったのだけれど、罪を犯した罰だろうと決め付けられ、まともな職にはつけないということ。そして、教会が発行する無罪の証明書には多額の布施が必要だということ。それでも戦争中には傭兵団での下働きに就けたのに戦争が終わってお払い箱になったこと。 ──いっそ、また戦争が起きればいいのにと願っていること── とても勉強になりました、と小さい声で付け加える。戦争を終わらせただけでは、何も終わっていないのだと知りました、と。 「それでも、全く意味が無いわけじゃない。そこから始まることは、いくらでもある」 俺がかけた言葉に、こちらを見る。 「たとえば、俺がこういう煩雑な仕事をしなければいけなくなったのも、戦争が終わってからだ」 冗談めかして呻くように零すと、また俺の手をとり小指を絡め、笑みを浮かべ頷いた。 「そうですね。お手伝いすると約束しますよ。ぼくにできることなら、いくらでも」 「じゃあ、とりあえずこの検算をしてくれ。監査の印も押してあるが、どうも怪しい」 書類の束を渡すと、苦笑しながら石盤を手元に引き寄せた。
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