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小ネタTOPにもどる ■誉め言葉 久々に時間の都合がついたので、弟子とふたり並んで弓場に立つ。 たまは師匠らしいこともしておかないと、という思いもあったが、書類仕事に忙殺されているなか単に自分が体を動かしたかったという理由が大きい。 体の緊張と弛緩、精神の集中と散漫を繰り返しながら次第に呼吸が深くなり、身体の隅々までが目覚めていく感覚が心地好い。 数本の矢を放った後に振り向くと、弟子は目を輝かせて俺を見ていた。 こちらに来てから日常の飾らない──だらしなくさえある──姿を見せているし、俺にまつわる醜聞や悪評も色々と耳にしているだろうが、こいつは以前と変わらぬ敬意をもった態度で接してくる。 ただ、おもに生活態度に関してだが、時おり小さな子どもをたしなめるような口ぶりで意見してくるようになった。まるで口煩い教育係のように。 どちらが師なんだか、とも思うが、そんな空気もお互いにどこか楽しんでいる。 あっという間に時は過ぎ、夕べを告げる鐘が鳴る。 夕餉が終われば残りの書類仕事が待っている。長と名のつく役職に就いている以上は、些末な報告や陳情にもいちいち目を通さねばならない。署名だけを必要とする書類も多い。 家には優秀な祐筆もいるが、機密に関わる文書もあるため、大っぴらに連れてきて手伝わせる訳にはいかない。 溜め息をついたのを、誤解されたようだ。 「すみません……あなたの時間を割いて頂いて……」 道具を片付けながら、すまなそうに弟子が呟く。 あわただしく過ぎる退屈な日々の中、こいつの存在は気晴らしになる。迷惑だと思うなら、自ら進んで構ったりしない。 「気にするな。そのうち体で返してもらう」 「え……」 冗談めかして放ったこちらの言葉に、みるみる顔が赤くなっていく。 ふざけないでください、と返されるかと思って叩いた軽口だったが、まさか真に受けるとは。 「……お前、読み書きは出来るな?」 「はい」 「書類仕事を手伝ってもらう」 「あ……はい! そんな言い方をされるから、びっくりしましたよ……人が悪いなあ」 いつもはこの過剰な反応を面白いと思ってからかっているのに、あからさまに安堵したような笑顔にどこか後ろめたさを感じた。 「俺の噂を聞いたか?」 「ええ、伺っています。こちらには親切な方が多いですね。ぼくを心配して色々と忠告して下さいます」 「まあ実際お前ぐらいの少年を相手にしたこともあるが……」 「事実だったんですか……」 「来る者拒まず遊んだのは昔のことだ。今はお行儀よいものだろう?」 こいつがこちらに来てから毎晩寝床を共にしているが、まるで兄弟のように、睦まじくはあるが決して交わることはない関係を保っている。 「……ぼくでは、お気に召されませんか?」 「ん?」 「ご恩はこの身で贖いますよ……あなたさえ宜しければ」 話しながら俺の手をとり、自らの口許に近づけていく。見上げる瞳には、憧憬の色。それを超える熱を感じてしまうのは……俺の願望か。 「どうぞご命じ下さい──今宵の伽を」 目が閉じられ、指先に柔らかな唇が触れた。 総身の血が沸く。ざわざわと煩いほどに。 なんだ、これは。 こちらの軽口に合わせて冗談を言っているだけだ。分かっているのに、鼓動が速まる。 この昂揚の源を知っている。 それが、この子どもに対して抱いてはいけない衝動だということも。 しばらく言葉を返せずにいると、相手の肩が小さく震え出す。やがてくすくすと笑い声がこぼれた。 「そんなに驚かれるとは思いませんでした。似合わない冗談を言ってすみません」 いつもの笑顔に戻って話す様子に、なぜかほっとした。 「まったくだ。誰の影響なんだか……」 「あなたしかいないでしょう」 「……だろうな」 弟子の頭を撫でながら呟く。 「あまり俺の真似などするな。お前の純粋で素直なところを気に入ってるんだから。俺の周りにはいない人種だ」 「十八にもなる男がそれでは、ただの間抜けじゃないですか」 「間抜けでも阿呆でもいい、そのままでいろ」 「それはご命令ですか?」 先ほどのこいつの台詞が頭に浮かび、うっかり即答しそびれた。会話が途切れたのを不思議がり、こちらを見上げて答えを待つ視線とかち合う。 命令だ、と告げると、分かりました、と笑顔で返された。 「あなたがぼくに言う“間抜け”と“阿呆”は、誉め言葉だったんですね」 やはり余計な一言が添えられたが、それでもこいつと過ごす時間は楽しいと思ってしまった。
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