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小ネタTOPにもどる ■遠き日の こういう話は誰に聞けば良いものか。 今のぼくには二つの選択肢しか無いのだけれど。 そして、その選択肢の一方と、たまたま他に人のいないこの部屋で同席している。 「……なあに?」 「え?」 「さっきから何か言いたそう」 ふふ、と笑う顔は、女教師然とした様子から幾分和らいで、今は優しい姉のような雰囲気をまとっている。 国内の主だった領主の版図や縁戚関係、土地ごとの気候や産物などを教わっている最中だった。 話しかけるきっかけを探りそわそわと集中を欠くぼくを、話がしやすいように促してくれた。 この人は勘が鋭く、それでいていつもこんなふうに女性らしい細やかな気遣いをもって接してくれる。 「どうせあいつがまた何かやらかしたんでしょ? 相談事なら遠慮なく言って。愛想を尽かして故郷に帰られては困るわ。あなたはこの騎士団に必要な人なんだから」 旧友に酷評されている件の人物は、この騎士団の長であり、ぼくの想い人だ。 「あの……あなたは以前、彼の許嫁だったんですよね?」 「そうよ。家同士が決めたことだけど、お互いに幸運なことだったと思う。話が通じる相手だった、という点においては」 「今は相愛の恋人がいらっしゃるのは知っています。それでもあの人と出会う前に……彼に恋愛感情をもっていましたか?」 聞いてどうなるものでもない。 それでも気になってしまうものは、どうしようもない。 虚実すら定かではない数多の浮き名の相手なら、こんなふうには思わなかったろう。 この女性はきっと全てを知っている。彼にとっての、ただ一人の存在と、どうにもならなかった想いも。そのうえで、友人として今ここにいる。 そのこと自体が、彼にとって特別なことなのは確かだ。 「たとえば戦争がなければ……私が他の人と恋に落ちなければ……いつかは結婚していたかもしれないわね。でもそれは、契約であって恋愛ではない。貴族である以上は覚悟しなければいけないこと……」 恐るおそる彼女を見ると、ぼくの視線を正面から捉えてくすりと笑った。 「でも、あなたが聞きたいことは、そういうことではないでしょう?」 こくりと頷くと、彼女は遠い日を思い返すように目をふせた。 「初対面のときにね、まだ少女だった私は、あいつに言ったの。『私に触れないで。もし何かしたら、あなたを殺す』って」 「何かしたらって……まさかいきなり寝所に連れ込まれたんですか?」 物騒な物言いに驚いたぼくを尻目に、ころころと鈴を振るように笑い、彼女は言った。 「そんな訳ないじゃない。社交界にすらお披露目する前の十二、三の子ども同士だもの。親に連れられて行った別荘の庭園で顔合わせをしただけ」 当時から、あの人は浮き名を流していたという。 既婚の貴族ならば、女性であっても火遊びは当たり前。美しい少年を茶会に招き、愛の詩について語り合う。そして実際に手ほどきをする。それが有力貴族の跡取りであったのだから、さぞや有意義な時間だったのだろう。年少ながら多くの貴婦人と関係をもつその淫蕩ぶりは噂に高かったらしい。 おしゃべり好きな侍女たちからその話を聞かされて、縁談が持ち込まれる前から良い印象は抱いていなかったそうだ。 そんな彼女が二人きりで見てこいと追いやられた庭園で開口一番放ったのが、先ほどの台詞。それでも彼は笑顔を浮かべ、なるほど武人の娘とはこういう挨拶をされるのか、と礼儀を保った優雅な仕草で跪いて言った。 ──あなたにお願いがある。 婚約を了承したふりをしてくれないか。 私は誰とも婚姻を結ぶ気はなく、花嫁候補と引き合わされるのには辟易している。 この話が固まれば、家柄も年回りも敵う者は他にいない。 あなたにとっても、くだらない自慢話ばかりのどら息子や、父親より歳上の色好みの御仁に引き合わされるよりは、益があると思う。 あなたの許しがない限り、指一本触れないと神にかけて約束しよう。 あなたに真の恋が訪れたら、そのときには身を引こう。 賢明なる貴婦人、どうか互いの利益のために、この話を受けてはいただけないか。 お受け頂けるならば、その御手に誓いの口づけをお許し下さい。 頭の回る、口の上手い奴だと彼女は思ったそうだ。 その分、信用ならないとも。 ──口づけを許します。 なのに、そう言って手を差し出したのは、彼の語ることが事実だと思ったから。そして、自分と似た匂いを感じたから。 跪き何事かを語る彼。ゆっくりと手をのべる彼女。遠目に様子を伺う者たちには、求婚者とそれに応じる娘に見えたかもしれない。 恭しく手をとりながら、彼は囁いた。 ──これも戦。己の生き方を選び、国の未来を支えるための準備だ。 手を組むに値すると思ったから、こんなふうに話す。君も、そうなんだろう? 俺たちは同じ種類の人間のようだ。 その笑みを見て、彼女は自分も同じ笑みを浮かべていることに気付いた。そして互いを認めたのだそうだ。 心に同じ怒りを抱いた者同士──戦友として。 「友人として心を許すようになったのは、もっと後のことだったけど」 そう言って、彼女は笑った。 「私たちは同族なのよ。信頼はしても、惹かれることも交わることもない。選んだ相手もどこか似ているわ。愚直なまでに真面目で、一生懸命で、不器用で、お人好しで、放っておけない……ああ」 さらりと彼女の手が、ぼくの髪を梳く。 「あなた、私のあの人に似ているわね。見目ではなくて……その真っ直ぐな性質が。弟みたいに思ってしまうのは、そのせいかしら」 ふふ、と笑いながら、彼女は続ける。 「さて、どうする? 次はあいつに私との馴れ初めを聞いて、この話の真偽を確かめる? それともこちらの講義を再開してほしい?」 傍らに寄せた地図や本を示され、ぼくは顔が真っ赤になったに違いない。 講義を続けてください、と自分の石板を手元に引き寄せた。
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