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小ネタTOPにもどる ■手のなかのひととき 戦仕度のさなか、陣の隅に張った自分の天幕の陰で火を熾こし、小さな鍋にスープを作る。 弓の名手として名を馳せる、憧れの騎士に供するために。 彼が軍議に加わることにより、弓兵の役割にも幅ができた。 開戦直後の遠距離からの攻撃や撤退時の援護など定石通りの戦法はもちろんのこと、最前線で間合いを保ちつつ一撃離脱を繰り返す陽動としての役割や、森や高地を密かに進み敵の本隊を背後から叩く遊撃隊としての働きは、この規模の軍になってようやくできることでもあった。 多様な作戦のそれぞれの場で必要となる知識、技術、判断力。新たに知ること、学ぶことの多さに、今までの自分の世界の小ささを痛感する。 彼をしてもたらされた変化は、ぼくにとっては天地がひっくり返るような大きなものだった。 彼の身の回りの雑用を仰せつかったのは、またとない好機だった。 弓のこと、戦術のこと、こちらが尋ねれば、彼はさらりと示してくれる。結論ではなく、それに至る考え方と道筋を。 いままで弓の熟練者を擁していなかった我が軍にあって、何かと勉強になるだろう、という上の判断は正しかった訳だ。 干し肉と根菜が軟らかく煮えたことを確かめて、塩と香草で味を調える。小さな鍋で作るスープは、きっかり一人ぶん。器によそい、こぼさないよう気をつけながら、かの弓騎士の天幕に向かう。 ぼく自身は戦いの前夜から食事をとらない。まだ不馴れな頃、戦場で吐いてしまったことがあるからだ。 そんなことでは力が出ないぞ、と始めのうちは先輩騎士に注意されたが、どうやらぼくは空腹時のほうが集中力が増す質のようで、それなりの戦果をあげていることもあり、この習慣を尊重してくれるようになった。 寝溜め食い溜めもきくのか、別段体調を崩すこともなく日々を送っている。 「熱いので、気をつけてください」 「ああ」 ぼくから受け取った木製の椀を両手で包み、彼は小さくほうっと息を吐く。 この人は熱いものが苦手なようだ。 食事をする様子を見ていて、すぐに分かった。弟が小さい頃同じように立ちのぼる湯気が消えるまで器をじっと見つめていたから。 名門貴族の総領という出自を考えれば、無理からぬことだと思う。厨房からの長い回廊や毒見役を経て供される食事が、温かいはずがない。 そして幼い頃の生活習慣で定まった嗜好は、長じて軍隊に入っても、そうそう容易に変えることはできないだろうから。 すぐに口にできるようにと、飲み物は少しぬるめに作って出すようにしていたけれど、この出陣前のスープは、わざと熱くしていた。 食べ終わった器を下げるために、ぼくは傍らで控えている。 少しずつ木匙ですくい、ゆっくりと口に運ぶ優雅な仕草。その合間に黙って湯気を見つめながら考え事をしている、その横顔はとてもきれいだ。 戦支度でざわめく陣のなか、この天幕の中に流れる静かな時間は、ぼくにとって特別なもの。 始めは、会えただけで、夢のようだったのに。 間近で実際に弓を引く姿を見て、その指揮のもと共に戦うようになり、側にいる役目を任ぜられ、戦術や技に関しての質問に答えてもらい……それでも、まだ足りない。 どんどん欲深になっている自分に気づくけど、気持ちは止まらない。 もっともっと側にいて、知識や技術を習得したい。できることなら、この人の弟子となって。 兵士としての力を認められている訳ではない。ただの遣いに過ぎないぼくは、用が終われば下がるしかない。少しでも二人きりの時を引き延ばそうと、わざと熱めのスープを出す。戦術に関するいくつかの質問を携えて。 ……子どもじみた浅知恵だと、我ながら思うけど。 木の椀越しに伝わる柔らかな温もりを味わうような彼の手の動きに、指先が冷えることのないようにと、常に気を配っていることを思い出す。 体を温めると緊張が緩和すると、療法師から聞いたことがある。彼にとっても悪いことばかりではないはずだ。 そんなふうに心中で言い訳をしながら、間近でこの人を見つめる。 こんな距離で彼と時間を共有するなんて、きっと後にも先にも、今この時しかないだろうから。 神様、神様、どうか、スープが冷めるまでのこのひとときを、大目に見てください。 ■視線 数日にわたって落ち着いていたこの地を引き揚げ、今日から幾日か、行軍が続くことになっている。 私物は少ないので、自分の荷を纏めるのはすぐに終わった。 天幕を片付ける者たちが荷馬車と共に陣の中を順に回っている。もうすぐここにも来るだろう。軍から支給されている角灯や毛布などの備品は、天幕と一緒に回収される。年若い少年騎士がそのために荷を整理する様子を眺めていた。 「……なんですか?」 少年が振り返って聞いてくる。 「いいや、別に何も」 てきぱきと要領を得た動きが快く感じられ、なんとなくその手元に目を止めていただけだ。 用はないと言われたら、それ以上返す言葉はなかったようだ。それでも視線が気になるようで、作業の合間に手を休め、ちらちらとこちらを伺う。 「……そんなふうに見られていると、落ち着きません」 「お前だって、よく俺を見ているじゃないか」 何気なく口にした言葉に、相手の頬が真っ赤になる。 これはまた初々しい反応だ。ついつい構いたくなるじゃないか。 「……同じ弓使いとして技を学ぼうとしているのは分かるが、お前が俺を注視しているのは弓を手にしている時ばかりではないな。普段のふとした瞬間に目が合うのは何故だ?」 「え……」 正直なところ、こんな事は慣れっこだった。ご大層な二つ名が一人歩きしている。異性・同性を問わず好奇や悪意のこもった視線に晒されるのは珍しいことではない。 すべて見透した上での冷やかしだったが、逡巡の後、相手は大真面目に答えた。 「……きれいだから、つい、目がいってしまうんです」 「──悪いが、その手のお誘いなら間に合っている」 こちらの軽口にひときわ顔を赤くして、そういう意味じゃありません、と慌てながら言葉を続ける。 「動きに無駄がなくて、立ち居振る舞いがとてもきれいだなあって……」 「ずいぶんと持ち上げたものだな」 「まだ足りないぐらいですよ。弓を手にする者にとって、あなたは神様みたいな存在ですから」 「噂では、だろう?」 「噂の方が追いついていません。弓だけじゃない。あなたは戦場ですべてを見通す目をお持ちです。まるで預言者みたいに、先のことを言い当ててしまう」 戦術のことだろうか? 人より多く書物で学び、その時々の情報を集めて正確な状況を把握し、予測をたてているだけのことだ。 誰よりも自分が知っている。非凡な才など持ち合わせてはいないことを。 「俺にはお前の方が興味深いが。ときどき、背中にも目がついているように敵の動きを察知するじゃないか」 制圧した砦の奥部屋に残っていた敵兵、折り重なった死体の下に隠れて捨て身の一撃を狙った者、一見平和そのものの村に潜んでいた暗殺者──すべて我々の死角から不意をついて攻撃しようとした者だ。ほかに誰ひとり反応できなかったのに、やつらより僅かに早く動き仕留めたのは、この少年だった。 ぷうと頬をふくらませて、拗ねたように呟く。 「あなたと違って、自分の射程ぐらいの狭い範囲のことじゃないですか」 「なんだ、本当に視えているのか」 「目で見るのではなくて……お分かりでしょう?」 あからさまな殺気ならば俺にも分かる。だがこいつは、殺気に変わる前の微かな気配をも嗅ぎつけるようだ。 「なるほど……お前が寛いでいる場は、安全が保障されているというわけか。犬みたいなやつだな」 あなたのお傍にいられるのなら犬の代わりでもいいです、などと大真面目に言うものだから、笑ってしまった。 番犬にしては可愛い子犬だな、と犬にするようにわしわしと頭を撫でると、それでも少年は嬉しそうにこちらを見つめたまま笑みを返した。
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