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小ネタTOPにもどる ■泳ぐ鳥 戦闘の終盤になって、隊列の後方が敵の増援部隊と衝突した。 王子率いる主力部隊は既に砦近くまで進軍していたため大勢に影響はなかったが、こちらの陣形を横から分断するように現れた敵の一団により、しんがりを務めていた俺たち、数十人の弓隊は退路を失った。 地形は軍議のときに把握していた。先は袋小路だと知りながらも、為す術もなく追い込まれていく。獲物を追いたてるように迫るのは、重装備の歩兵隊。一定の距離をおき近づいてこないのは、こちらの矢が尽きるのを待っているためだ。 「まさに崖っぷちだな」 妙にしんと落ち着いた心持ちで自嘲気味に呟く俺に、隣に立つ少年騎士はきっぱりと言った。 「退路なら、あります」 少年の指差す先──崖の下は川が流れており、暗い色の瀞になっている。この高さから飛び込んでも充分な深さがあるのだろう。対岸に渡れば緩衝地帯だ。 だが、それ以前に大きな問題がある。 「悪いが、俺は泳げないんだ」 「大丈夫、ぼくがいます。絶対にあなたをお護りしますから」 「本気か?」 「しんがりの弓隊に王族がいないことは知っているはずですし、敵は重装歩兵が大半です。わざわざ追っては来ません。弓を持っている者もいないようでした。 ただし、投降を募る声は未だ聞かれません。……ここで囲まれたら、ぼくたちは終わりです」 「選択の余地は無いということか」 少年はこくりと頷くと、自軍の間を縫うように駆けながら、敵には聞こえないぐらいの声で指示を出して回る。 時間を稼がなくては。ついでに少しでも敵の頭数を減らそうと、かき集めた矢で鎧の継ぎ目を狙い、何人かを斃す。 こんな時だというのに、塔から身を投げて自害した姫君の伝説が頭を過った。 表情には出していないつもりだったが、不安は拭えるものじゃない。泳げない自分にとって川を泳ぎ渡るなどとというのは、空を飛べと言われているようなものだ。 最初の合図で隊の半数が飛び降りた。予想外の動きに敵の間にどよめきがおこり、指揮官に新たな指示を求めようとしてか、こちらへの注意が薄くなった。多少は時間が稼げそうだ。 「いいですか? 合図をしたら息を止めて、できるだけ力を抜いてください」 先に飛び込んだ者たちが対岸に向かい泳ぎ出し、後に続く者のために場所を空けるのが見えた。 「大丈夫──行きますよ」 少年はそう言うと、胸元にぎゅっと抱きついてきて勢いよく地面を蹴った。 ふわりと体が浮き、やがて頭を下に落下していく。腹の底が浮き上がるような未知の感覚に体の芯が冷たくなる。 少年はいつの間にか俺の頭を抱え込むようにして、強く自分の胸元に押し付けていた。こちらも反射的にその背に腕を回す。 直後に襲う着水の衝撃。上下の見当もつかない不思議な浮遊感に包まれながら、すうっと水を切り裂いて体が進んでいくのが分かる。 小鳥が羽ばたきの合間に羽根を閉じて風をぬっている瞬間のような感じだった。ああ……あれは風のなかを泳いでいたのか。 ほどなく、ぷかりと水面に浮かんだ。 「力を抜いて! しがみつかないで!」 少年の声に手を緩めようと思ったが、硬く強ばった腕はなかなか言うことを聞かない。それでも少年が首を支えてくれているお陰で呼吸はできた。同時に飛び込んだ数人に曳かれて対岸に着いたときには、精根尽き果てていた。 全員無事との報告の声に、それは俺も含まれるのか、と返したら、安堵のためか、隊員の間に笑いが広がった。 「自軍と合流できるまで、気を抜くな。砦の方から戦闘終了の合図があったら、こちらも狼煙を上げろ」 ゆっくりと立ち上がると、濡れて重くなった装備と先ほどまでのひどい緊張が身に沁みて感じられた。 「ね、大丈夫だったでしょう?」 隣を歩きながら、いたずらっぽく小声で話しかける少年の頭を小突いた。 ここまで他人に自らの身を委ねたのは、物心ついてから初めてのことだったかもしれない。 虜囚であった時でさえ、舌先で敵兵を丸め込み、優位に立っていたというのに。 こんなことを本人に伝える気など毛頭ないが、あの状況で活路を見出してくれた謝辞は必要だろう。 ほんの一言で良かったはずだ。それでも言葉は出てこなくて、しょうがなく少年の頭を撫でるように軽く叩いた。少年は驚いたようにこちらを見上げ、そして、顔を綻ばせた。 それだけのことが、なぜだか妙に嬉しかった。
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