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小ネタTOPにもどる ■熱砂 あまりの日射しの強さに青を通り越して黒々とすら見える空には、方々に任務の終了を告げる幾筋かの色のついた狼煙が上がっていた。戦闘は終わり、砂に埋もれている財宝も見つかったという合図だ。 こちらが上げている狼煙は、交戦終了のみ──手ぶらを意味する白。こうしたときの自分の運のなさには慣れっこで、いまさら気に病むこともない。もとより飛竜を引きつけて射ち落とすのが今回の役割だった。 見渡す限りの熱砂の海の只中で、騎竜隊の迎えを待つ。足回りの自由がきかないこの地で、予め決められていた段取りだった。 「……あなたは暑くないんですか?」 玉のように噴き出る汗を拭いながら、隣に立つ弟子が尋ねてくる。 足元からは強い熱気が這い上がってきて、灼けた砂を踏みしめる靴底からは、微かに焦げたような匂いがする。軍靴の底には薄い鉄の板が挟まれているが、こんな場所では裏目というものだ。迂闊だったと舌打ちをしながら返事をした。 「そんな訳ないだろう」 自分でも驚くほどに口調がぶっきらぼうになるが、こんな状況では仕方ない。元より気遣いなど不要な相手ではあるが、この時も、特に気にしたふうでもない。こちらが怒っているのではないと分かっているらしい。なぜかこいつは俺の機嫌を的確に読む。 「だって、あまり汗をかいていませんよ?」 「体質だ。冬生まれだし、アカネイアは夏でもあまり暑くはない」 「それは楽でいいですねえ」 「楽なものか。汗をかけない分、体に熱が籠ったままになるんだぞ」 首を傾げなから俺の手をきゅっと握り、目を丸くする。 「本当だ……ぼくより熱いですね」 互いに汗をかき湿った手だが、不思議と不快ではない。向こうは熱いと言ったが、こちらにしてみれば少し冷たく感じる。 「……そういえば、古代の南国の王は、暑いときには小姓を大勢、身近に侍らせていたらしいな」 「暑いのに、わざわざ?」 「気温より体温の方が低いから、涼をとっていたらしい……その体で」 「え……っ」 自分の外套の中に弟子を抱き込み、手探りで上衣を開け肌を密着させた。戦闘の終了とともに、かさばる装備は外していた。日除けに羽織った外套の下は軽装だ。 「ジョルジュさん!?」 「隙だらけな奴が悪い」 息をするのすら苦しく感じる熱気のなかでは、汗ばんでいるがひんやりとした肌は心地好い。嗅ぎ馴れた髪の匂いと、乱れる息づかいに興をそそられ、相手の弱いところに指を滑らせると、びくりと大きく跳ね、甲高い悲鳴のような声を上げた。 「……可愛い声だ」 くすくすと笑いを零すと、失態をごまかそうとするかのように弟子はこちらを睨む。 「こんな時に、ふざけないでください!」 「どうせ迎えを待つばかりの無為な時間じゃないか……弱点克服のための訓練だと思えばいい」 脇腹を軽く擦りながらもう片方の手で背をなぞると、息をつめ小さく体を震わせる。 声を抑えようと唇を噛みしめながら、拒絶の意を示すように首を振ってはいるが、頬を上気させてこちらを見上げる様子には、明らかに常とは違う昂りが感じられる。 「やぁ……熱い……」 「我慢しろ」 「……もう……ムリです……」 耐えかねたように呟かれる降参の言葉にも、容赦はしない。弱いところに触れながら肌をなぞると、普段は平気なはずのところさえ、どこもかしこも、ひどく敏感に反応する。 そう。分かっていて、やった。 弱点の克服、などと我ながらよく言ったものだ。 「ん……あっ……」 短く浅い呼吸に交じり漏れる声は艶っぽい。潤んだ目は焦点を失い、力なくこちらを見上げる。外套の下で直に合わせた胸の奥で、煩いまでに互いの鼓動は高まる。 「本当に、お前は可愛いな」 耳許で囁くと、その微かな刺激にすら体を震わせた。 可愛い。どうしてくれよう。 「……ジョルジュさん……」 縋るように名を呼ばれ、思わず抱きしめる手に力が入る。しがみつきたいのだろうが、こちらの背に回された手に力はない。切な気に震える瞼に唇を落とすと、腕の中でがくりと落ちた。 「まったく、もう! 砂漠を知らない訳でもない軍人が、何でこんなことになるのよ!?」 日暮れを迎えた天幕で、古い顔見知りが声を荒らげる。司祭となり癒しの知識を得た彼女は、昏倒した弟子に回復の術を施してくれていた。あの小さかった少女が立派になったものだ。本人の才気と努力の賜物だろうが、亡父は国で最高位の司祭だった。こちらも、血は争えないということか。 「意識は戻ったし、水分をたくさんとって安静にしていれば、すぐに良くなるから……」 「湯に浸かりすぎて、のぼせたようなものか?」 聞き慣れない症例だが、暑い土地ではままあることだそうだ。 「もっと気遣ってあげなさい」 俺の余計なちょっかいが原因だとお見通しのようだ。幼い頃から侍女として宮廷に上がっていたこの娘は、俺の悪行の数々を知っている。眉間に皺をよせながらの説教くさい言葉に生返事を返していると、ため息をついて真面目な顔になった。 「脅すつもりじゃないけど、命に関わることもあるの。これは冗談抜きの話。あなたは面白半分の行動で、大事なお弟子さんを失くすところだったのよ」 それだけ言うと、天幕を出て行った。その満足げな顔を見て気づいた。自分が、傍目にも分かるほどに表情を変えていることに。 何と言った? こいつを──失くす? 解放軍に下る前、己の死は覚悟していた。両軍のどちらに正義があるかなど、子どもにだって分かりきったことだ。こいつと戦場で相まみえることがあろうとその命を奪うつもりなど毛頭なく、先立つのはこちらの方だと確信していた。 なのに──こいつが、俺を残し、先に逝く……。 「……ご迷惑をおかけして、すみません。ぼくのせいで、あなたが責められるなんて……」 掠れた声で、弟子がぽつりと呟く。 振り返り、その顔を見る。いつもと変わらない、俺を見上げる瞳。命の輝きを失ったこれがどうなるのか、俺は知っている。知っている、はずだった。 戦いの日々の中、互いにいつ命を落とすとも知れない身であると、分かっているはずだった。 「ああ、そうだな。お前が可愛いのが、悪い」 軽口を返しながら、自身に戸惑う。なぜ、こんなに心が乱れるのか。 「まさに、『朝(あした)に紅顔ありて、夕(ゆうべ)には白骨となれる身』ですか……ねえ、ジョルジュさん」 「なんだ?」 「きっとあなたは笑うでしょうけど……」 「ん?」 「あのとき、このまま死ねたら幸せだな、と思いました。あなたの腕の中で最期を迎えられたら……と」 またこいつは、こんなときにこんなことを言う。冗談めかして話してはいるが、本心であろうことは分かった。見上げる瞳が俺を射抜く。 だめだ。……まだ、だめだ。 「……お前が望むなら、俺の腕の中で何度だって殺してやるさ。たちの悪い冗談を言った罰だ。泣いても謝っても容赦しない。天国も地獄も見せてやる」 「え……?」 やや時をおいて言葉の意味を理解し、その白い頬に色がさした。 「ただし、この戦争が終わったら……だ。なんとしてでも生き抜け。俺以外の者の手にかかるんじゃない」 「それはまた、ずいぶんと……素敵な命令ですね」 うっとりと呟かれた言葉には、まだ死の匂いがする。 「寝ていろ、ばかが」 家老殿に報告をしてくる、と言い残し、天幕を後にした。無理に口の端を上げた自分の顔が、ちゃんと笑顔に見えていたか、自信がない。 大したことじゃない。足元が定まっていないから、ぐらつくだけだ。いちど寝てしまえば、こんな不安は消えるだろう。 お互いに、なんだ、これだけのことだったんだ、と思うはずだ。 ……本当に? 心のどこかで自問する。 ならば、さっさと抱いてしまえばいいのに、なぜそうしない? 今の心地よい関係が壊れることを恐れているんじゃないか? そして、いちど手に入れてしまったら、手離し難くなってしまうことに気づいているんじゃないか? 「戦争が終わったら」「互いに生き残ったら」──いつかも交わした言葉。 もしも約束が叶わなかったとしたら……物言わぬ肉叢と化したあいつを前に、俺は後悔するのだろうか。それとも、安堵するのだろうか。 ぶるりと、震えがはしる。 日が落ちた砂の海は急激に熱を失っていく。冷たい夜の底では、昼間の熱は夢幻であったかのように感じられた。
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