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小ネタTOPにもどる ■星めぐりの歌 「またか……」 呆れ気味にぽつりと呟くこちらのことなどお構いなしに、後輩にあたる騎士は熱のこもった口調で本日の報告をする。こんなふうに、夕食をとりながらこの少年の話に耳を傾けることが、すっかり日課となっていた。 その話題は、もっぱらひとつのことに限られている。“あの人”とのやりとりに関することだ。 確かに、件の弓騎士は綺麗な顔をしている。噂通りの切れ者で腕もたち、その身分に似つかわしくないほどに軍での生活にも馴染んでおり、何の申し分もない。 だからと言って、寝ても醒めてもバカの一つ覚えみたいに「ジョルジュさんが、ジョルジュさんが」と聞かされては、正直なところ辟易するというものだ。 ──まあ、何年も前から憧れていた異国の騎士と接する機会がもてたのだから、無理もないか。 王子と共に遠国に逃げ延びた当初の傷つき怯えた様子を思うと、よくぞここまで元気になったものだと感心する。頬を紅潮させあれこれと楽しげに語る様は、それ自体が喜ばしいことなのだ。 真面目で控えめな奴だという第一印象に間違いはなかったが、打ち解けた相手にはこんなにも饒舌になるのだと、改めて知った。 話し手の表情につられてもいるのだろう、こちらも知らず知らず笑顔になり、相づちをうちながら話を聞く。 ひとしきり話していたと思うと、こんどは黙りこむ。やり取りを頭の中で反芻しているらしく、余韻に浸るように幸せそうな笑みが浮かべられる。 「……それから、空の道を挟んだ、ふたつ星の恋の話をしたんだ。むかし教えてくれたよね?」 「ああ。そういえばちょうど星祭の季節だな」 「アカネイアに伝わる話は違うんだって。英雄アンリと王女アルテミスの悲恋になぞらえているらしい」 「へえ、それは俺も初めて聞く」 「アリティアでは年に一度だけ会える夫婦の話なんですよ、って言ったら驚いていた。同じ星を見ていてもずいぶんと違う物語を思い浮かべるものなんだな、って」 “あの人”との会話の内容が変化していることに、この子は気づいているのだろうか。始めは戦術や弓の技のことだけだった。それが今では雑談が主だ。しかも華やかだった頃の宮廷の話や、旅した異国の思い出、花の話、星の話……まるで恋人に語るような、切なくも美しい情景ばかりではないか。 こいつは傍らに座して、そんな話の続きをせがんでいるのだろうか。持ち前の好奇心と相手への尊崇を滲ませた輝く瞳で微笑みながら。 慣れない子ども相手の会話に困惑しながらも邪険に突き放すことのできない複雑な心境を慮り、同情と、そして一抹の悋気めいた感情が頭をよぎる。 「……星めぐりの歌もね、節は同じなんだけど、詩が違っていて……」 言葉の途中でくすくすと思い出し笑いをする。 「なんだ?」 「あんなにいい声をしているのに、節が微妙にずれるんだ。不得手なことなんかひとつも無さそうに見えるから、意外だった」 「……あの人は、俺たちとは違うんだよ」 「どういうこと?」 きょとんとこちらを見上げる無邪気な様子に、胸が痛む。 「伝承などは書物で得られる知識だが、あの人は歌など歌わないんだと思う。 祭の夜に手拍子を打ちながら歌い踊ったりしない。酒の席で仲間と足踏みしながら戯れ唄や囃子唄を歌ったりしない。もしかしたら子守唄さえ聞かされていないかもしれない……生まれも育ちも違うんだ」 「歌なんて、そこかしこにあるじゃない」 「宮廷で一流の楽士の奏でる調べは聞いていただろう。嗜みとして楽器も弾けるかもしれない。でも、牛追い、木挽き、糸紡ぎの歌はもちろん、通りを行く物売りの歌も、あの人にとっては触れることのない別世界のものなんだ」 こちらの言葉に、少年騎士は俯いて考え込んでしまった。 親しくなっていくうちに、出自の差というものを忘れかけていたのかもしれない。あの人だって分かっているだろうに。子犬のように可愛がるのは勝手だが、ある日あっさりと放り出して悲しい思いをさせるぐらいなら、いっそ夢など見せないでやってほしいと思う。 「……あの人ね、ぼくが話す言葉が歌みたいだって言ったんだ」 「え?」 「故郷の訛りのことを言っているんだと思う。王都で使われる言葉とは、抑揚や言い回しが少し違うんだって。別にそのことをからかっているんじゃないんだ。楽しげで心地好い響きだな、って笑ってくれた」 冷徹で近寄りがたい雰囲気の、あの貴族然とした騎士が、まだ子どものような他国の田舎騎士におべっかなど使う訳がない。本心から出た言葉なのだろう。そして……こいつとふたりきりのときには笑顔を見せているのか。 「ぼくは、歌の代わりになれないかな? 当たり前に身近にあって、少しでも気分がよくなるものに、なれないかな? ぼくは、あの人の役に立ちたいし、笑顔をもっと見たいと思うんだ」 真摯な瞳に見つめられて、己の狭量な決めつけを恥じた。あの騎士はこうしてこの子を受け入れているではないか。そしてこの子は彼を慕い、力になりたいと望んでいる。 昨晩、騎士団長から持ちかけられた相談が思い出された。 近々、独立した弓歩兵隊を編成するという。件の弓騎士を隊長とし、この少年を補佐役として据えようと思うがどうか、というものだった。 時期尚早ではないか、と思っていた。この子にそんな大役は荷が勝つのではないかと、かの騎士がこの子を信頼することは難しいだろうという懸念があったのだ。 だが、もしかしたら……。 「あの人の元でなら、お前は強くなれるのかもな……」 「何の話?」 「いいや、気にするな。こちらの話だ」 気になることは、まだある。 遠い島国で隠れ暮らしていた頃、納戸として使われていた小部屋を一人で使っていた。毎夜のように悪夢にうなされるので、同じ部屋になった者に迷惑をかけてしまうから、と。 そのうち記憶は薄れるだろうと思っていた。体の傷が癒えるように、過去の話になっていくのだろうと。 だが、こいつは今も野営地の隅の方に一人用の天幕を張って眠っている。それは、数年来の悪夢から解放されていないという証ではないのか。 どんな目に遭ったのか、何を見聞きしたのかを、未だ詳しくは語りたがらない。心に負った傷はあの頃のまま血を流しつづけていて、癒えてなどいないということなのだろうか。 ふう、と息をつき、頭を軽く振る。 近いうちに、直接本人に王子と騎士団長から話があるだろう。その命を受けるか、辞退するか、いずれにしても、それはこいつ自身の問題だ。 顔を上げると目が合った。それを待っていたかのように、少年はにっこりと笑い口を開く。 「……星のこと、空のこと、色々と教えてくれてありがとう。 あの島にいたときにもらったものは、今でも確かにぼくの中にあるよ。そして道を進む手立てになってくれている」 すうっと、風が吹いた気がした。晴れがましくも、どこか淋しい、新しい季節の予感をはらんで。 「じゃあ、最後にもう一つだけ、覚えておいてくれ。 足元が不安なときや、何か迷うことがあったなら、空を見るといい。月も星も雲もみんな、お前の心を映す鏡だから」 こちらの心を知ってか知らずか、それでも、こくりと素直にうなずいた。 「大丈夫。夕焼けがきれいだったから、明日も晴れる。そして、しるべの星もはっきりと見えているから、ぼくはもう迷わないよ」
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