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■翠雨

 野営地から離れた場所で年若い騎士の弓の練習を見ていると、俄に暗い雲が広がり雨が振りだした。樹下に逃れ雨止みを待つ。
 向こうの空は明るいからすぐに止みそうですね、とこちらを見上げた少年の顔の真ん中に雨垂れが落ち、その間の良さに思わず笑いが洩れた。
 こちらの様子に気づき、子どもは拗ねたように頬を膨らませる。

「人の不運を笑うなんて、ひどいですよ」
「我が国には“他人の不幸は密の味”という言葉があってな……」
「あなたの姫君がそんなご気性だとは思えませんけど?」
「──まあ、あの方は特別だ」

 あなたの姫君

 深い意味もなく口にされた言い回しに、なぜだか胸の奥が疼いた。
 同盟軍に合流し、主家の唯一の生き残りである王女殿下と数年振りの再会を果たしたのは、ひと月ほど前のこと。これからはより良い形で戦いを収め、荒廃した故国を立て直すために尽力することになるのだろう。
 俺は俺自身の望む、騎士としての道を行く。一族の者の思惑など糞食らえだ。

 ようやく己の有るべき場所に戻ったのだという安心感をよそに、黒い不安が湧く。

──戦いだ。おそらく今までになかった大きな影が、この大陸を覆うだろう。
お前も感じているだろう? 変動の予兆を……

 戦争の始まる数年前のことだ。武人の娘を総領の許嫁に選んだ理由を問うと、その慧眼を自らの一族の保身のためにのみ用い、恥ずかしげもなく狡猾に立ち回ることで知られた親族たちは一様にそう答えた。
 泰平の世ならば、その見てくれで王家の姫でも誑かしてしまえば良かったろうが、そんな悠長なことは言っていられなくなるはずだ。おそらく嵐の後には国同士の力関係も大きく変わるだろう、と。
 数年前から周辺国に密やかな動きはあった。王の急逝や連合関係の締結、それらは異様なまでの静けさをもって粛々と進められていたが、目に見える事象ではなく、その裏にある強い流れのようなものを感じている。野火のように広がり人々の心を蝕む容易に消し去ることのできない大きな禍。
 これは領土や過去の遺恨をめぐる、ありふれた国同士の戦争ではない。もっと深いものを奥に秘しているのではないか──

 何の根拠もない漠然とした不安だ。ただ肌で感じることに理屈をつけて説明するのは難しい。
 深く息を吐いて思考を断つと、周囲が明るくなってきたように感じた。雨音も先ほどより小さくなっている。

「特別なのは、あなたの方じゃありませんか?」

 少年の声に、ふと現実に引き戻される。

「どういう意味だ?」
「額面通りに受けとって頂いて構いませんよ。あなたは他の誰とも違う、特別な人です」

 ぼくにとっては、と言い添えながら真っ直ぐにこちらを見上げる瞳。
 目にも鮮やかな青葉に降り注ぐ恵みの雨。その雫のように柔らかに心地よく胸に沁む言葉。
 不思議な感覚に心を奪われ、子どもの深い色の瞳に釘付けになったその時、頭上の枝から小鳥が鳴き声をあげ飛び立った。葉の上にあった雫が降り注ぎ、一瞬言葉をなくした後に、ふたりして前髪に雫を滴らせたまま笑う。

「ああ、ほら、あそこに──」

 子どもの指さす空には、神の聖なる約束の証である六つ色の橋が架かっていた。





■花にふる雨

 野営地から離れた場所でにわか雨にあった。ぼくに付き添って練習を見てくれていた弓騎士と大木の根元にふたり並んで雨宿りをする。

 練習用の弓はイチイの木でできている。弦は羊毛を撚ったもので水に弱いので、弓から外し小さく巻き取ってから油紙に包み、腰帯につけた物入れに仕舞う。
 道具を片付けてしまうと、手持ち無沙汰になってしまった。ずっと憧れていた人とふたりきりで、肩が触れるほどの距離に立っているのだと思うとなんだか落ち着かなくて、雲間の日差しを指さして、すぐに止みそうですね、なんて言ってみたものの、間が悪く雨だれがぼくの顔に落ちてきたりして格好悪いったらない。
 それでも、この人がこんな時に浮かべる笑顔は、大勢の中にいるときとは違う柔らかなもので、間近でそれを向けられるだけでぼくは幸せな気分になった。

 いくつか言葉を交わした後に、弓騎士は表情を消して黙り込む。
 別にぼくの言ったことで気分を害したのではない。考え事をはじめたのだ。穏やかな佇まいに反して深く思考を巡らせているのは、気配で分かる。邪魔をしないようにと、ただ静かにその横顔を見つめることにする。

 ああ、この人はほんとうにきれいだなあ、と思う。
 赤い装束を身にまとい滴る緑の中に立つ姿を見ていたら、母が薬草園の隅に丹精して育てていた花を思い出した。ちょうどこの季節に盛りを迎えているはずだ。

──病や怪我に対しての効果はあまりないのだけれど、美しくていい匂いがするでしょう? 心の薬になるのよ。

 そうだね、母さん。何かをきれいだと感じること、好きだと想うことで、心はこんなにも軽くなるんだ。

 戦地に赴いてからずっと忘れてしまっていたことを思い出させてくれたのは、この人だった。
 その怜悧な印象から、迷惑ならば忌憚なく拒絶されるだろうという心づもりもあって、ぼくはこの人に対してずいぶんと正直に振舞ってきた。予想と違ったのは、思ったよりも彼の懐が深く、優しく接してもらえているということで、その結果、ぼくは誰よりもこの人に甘えてしまっているようだ。主君や先輩騎士に対しては、気遣いやその境遇の近さから遠慮して保っていた距離が、この人との間には存在しない。近すぎず遠すぎない関係が、互いに気楽なのだろう。

 花を想起したせいかもしれない。失礼な話だけど、この人が歳を経て枯れるとどうなるのかなあと考えてしまった。
 年老いた人が皆そうであるように、おそらく髪の色は褪せ、瞳は白く濁り、声はしわがれ、節くれだった体の動きには往時のような優雅さも失われ、 心さえ頑なに固まっていく。
 それでも、きっとこの人は美しいのだろうと思った。
 この人が辿り着くべき、遠いいつかの遠いどこか。彼の瞳は、常にそこに至る道だけを見つめている。
 命ある限り、その魂の輝きが失われることはないだろう。

 遠くに小鳥の鳴き声が聞こえ、ぼくの想像はそこで止まった。空が明るくなってきた。もうすぐ雨も上がるだろう。
 無意識に周囲の変化を感じたのか、彼を取り巻く緊張した空気が薄れ、思索の深みから抜け出てきた気配がする。
 ふと、さきほど交わした軽口の一節が思い出された。

「特別なのは、あなたの方じゃありませんか?」

 遠く焦点をぼかしていた瞳が、煌めき力をもってこちらを見据える。

「どういう意味だ?」
「額面通りに受けとって頂いて構いませんよ。あなたは他の誰とも違う、特別な人です」

 ぼくにとっては、と言葉を続けると、こちらを伺う青い瞳の奥でわずかに感情が揺らいだように見えた。
 まさか、気のせいだろうと思い直す。こんな年下の経験も浅い者の言うことに、この人が心動かされるなんて、あるわけがない。
 その時、すぐ上の枝から小鳥が鳴き声をあげ飛び立った。反動で木の葉に溜まっていた雫がぼくたちの頭にぱたぱたと落ちてくる。唖然として少し黙り込んだ後に、ふたりして前髪に雫を滴らせたまま笑う。

「ああ、ほら、あそこに──」

 空に大きく弧を描く、儚くも鮮やかな色彩の帯。
 心が、踊る。この人のいる風景は、なんてきれいなんだろうと思った。



  • 翠雨は青葉に降る雨。花に降る雨は紅雨だそうです。毎度お馴染み、職場のMacのスクリーンセーバで流れていた、季節のランダムワードからネタ拾い。
  • 初稿時「七色」としていましたが、「確かアフリカでは三色って言うとか聞いたことあったな…」と調べましたら、欧米では虹は六色とカウントするのが一般的らしいので、変更しました。「赤と黒の二色」という沖縄説もあるそうで…すごいですね、沖縄の色彩感覚。
    あとノアの洪水エピソードは特定宗教話題ですが、「神」としか言ってないのでスルーしといて下さい。『覚醒』で聖なる山にも架かってたし、きっと神竜がらみでも神話の一つぐらいあるんじゃないかと。
  • 師匠をバラに喩えたり、星に喩えたり、うちの弟子は乙女入ってますね。ちょっと心配。

20130531up(20130601弟子視点追加)


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