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■予感

 戦支度で慌ただしい陣の中。いつもなら気づいても捨て置いている些事が、なぜかこの時は心に引っ掛かった。

「お前は食わないのか?」

 汁物の入った器をこちらに差し出している幼い顔の弓使いに声を掛けると、怯えたように体をすくめる。

「戦いの前には食べないようにしているんです……もどしてしまうことがあるので」
「そうか。そういう事なら無理に食えとは言わんが……」

 何とはなしに話は終わり、中途半端な気持ちのまま器を受け取り、スープを口にした。子どもは一歩下がり、器を下げるために、しばらくそのまま待っている。

 そいつは、同盟軍への加入から間もない俺の身の回りの世話をするようにと付けられた奴だった。いくら年若いとはいえ王子直属の騎士が従者の真似事をすることに驚いたが、同じ弓を扱う者として学ぶこともあるだろうという配慮らしい。おかげで便利に使わせてもらっている。
 表立って物事を先導する性格ではないが、いつも細かく気を配り、さりげなく場の流れを良くしている。なかなかに使える奴なのだが、気弱なところがあり自己評価も低いらしく、馴れない相手には過剰に緊張してしまうようだ。

 叱られたと思っているのか、もじもじと言い訳するように言葉をつなぐ。

「水は摂るように気をつけていますよ。スープの味見もしていますし……」
「ん?」

 空になった手元の器に視線を落とす。いつも糧食として支給される干し肉や根菜を塩味で煮込み香草で香りづけしただけのもので、野草が入ることもある。ここのところ戦の前に饗されるようになった、素朴で温かなスープだった。

「──お前が、作っていたのか?」
「あ……」

 旨いものをたらふく食わせろとは言わん。腹がくちいと体の動きが鈍る。温かい汁物を軽く一杯でいいんだが。
 こいつの前で冗談めかして戦闘前の味気ない糧食への不満を漏らした覚えがあった。

「すみません。お口に合わないでしょうけど、大鍋で煮炊きをするのは戦いの後と決まっているので……」

 消え入りそうなか細い声で、それでも生真面目に説明する様子に、情が動かされた。こちらが何を言っても悪い方に受けとめられてしまうような気がしたので、うつむいたままの頭に手をのばし、小さな子どもにするように──もっとも自分がそんなことをするのは初めてのことだったが──そっと撫でた。

「迷惑をかけたな。余計な気遣いをさせて悪かった」

 努めて穏やかな声音で告げると、ようやくゆっくりと顔を上げた。

「いいえ……あの……戦闘の前はいつも気分が悪くなるぐらいに緊張していたんですけど、スープを作るようになってから、気が紛れるようになりました。自分が作ったものをあなたに食べて頂けるのも嬉しかったし……だから、ちっとも迷惑なんかじゃありません」

 頬を紅くして一息に話すと、こちらを見て安心したようににっこりと笑った。そのとき気づいた。自分も笑みを浮かべていることに。

「話にしか聞いたことのない“大陸一の弓騎士”は、ずっと憧れの人でしたけど、実際に戦場に立つあなたを見て、噂以上の方だったと感動しました。
 ──今は、あなたのために、役に立ちたいんです。通り名も身分も関係なく、あなたのために……」
「情熱的な告白だな」
「か……からかわないで下さい!」
「ほう、ちゃんと大きい声も出せるんだな」

 ぽんぽんと子どもの頭をはたきながら、口許が緩んでいく。頬を膨らませて拗ねる様子や、面倒な性格すら可愛く感じられてくる。

「そうだ、礼と言っては何だが……」

 荷袋から布に包まれた小瓶を取り出す。

「蜂蜜だ。貰い物だが、俺は甘い物は苦手でな」
「えっ……そんな、けっこうですよ。自分で勝手にしたことですから」

 断りの言葉を口にする前に一瞬目が輝いたのを、こちらは見逃さなかった。

「……今は戦争中で、お互いに明日をも知れない身だ。万が一何かがあったとき、借りを作ったままでは寝覚めが悪いと思わないか?」

 きゅっと口を結びこちらを見上げる表情はとても真摯で哀しげですらある。不意に、験の悪い例え話を払うには打って付けの悪戯が浮かんだ。

「俺の役に立ちたいと言ったな」

 蓋を開けて小瓶の中に指を入れ、蜂蜜のついた指を相手の鼻先に示した。

「きれいにしてくれるか?」

 頬に再び朱がさした。からかわれていると気づいたのだろう。それでもこくりと頷いて、俺の手を包むように両手を添えた。
 垂れそうな蜜を舐めとりながら、ためらいがちに舌で指をなぞっていく。いちど付け根から指先まで舐めあげてから、深く口に含んでくちゅくちゅと吸われ、くすぐったい。半ば無意識に、その感触を追うように口中で指を動かすと、なめらかな舌がゆっくりと絡みつく。

 まだ子どもだと思っていたが……これは、なかなかに……。

 一瞬だが邪な想像をしてしまい、慌てて思考を散らす。やがて、ちゅっと音をたてて指が解放された。頬を染めたままこちらを見上げる様子に胸をくすぐられる。いたいけな子どもに悪いことをした、と俄かに罪の意識がわいた。

「……こんど練習を見てやろう」
「本当ですか!?」

 目を見開き声を弾ませる様子は、とても可愛らしい。

「うわぁ……夢みたいです……」
「今日の戦闘を互いに生き延びたら、だ」
「はい! あなたのことは命にかえてもお守りします!」
「お前の方が心配だ。こんなところで簡単に死ぬんじゃないぞ」

 何の気なしに口にした言葉にさえ、子どもはいたく感激しているようだった。

「あなたの教えを受けるまでは、死ねませんよ。夢がひとつ叶うんですから」
「ひとつ? 他には、どんな夢が?」
「国で一番の弓使いになり、王子を支え祖国を取り戻します。そして平和が訪れたら……あなたに弟子入りしたいと思っています」

 真っ直ぐな瞳。一点の曇りもないその輝きに、こちらの方が気恥ずかしくなり、目を逸らした。
 お下げしますね、と空になった器を手に、子どもは上機嫌で天幕を出て行こうとした。その背中に、声を掛ける。

「戦争が終わって、互いの主君の許しが出れば、お前の夢は全て叶うことになるな」

 振り返った子どもの顔が、きょとんとした表情から、あふれんばかりの笑みに変わる。
 ああ、きっとこういう反応をすると思ったんだ。こんな顔が見たくて、つい口走ってしまった。
 ありがとうございます、と一礼して子どもは天幕を去った。

 ひとりになり、目を瞑り深く息をつく。自身を縛る厭わしい血だが、勝者を見極める勘を授かった点だけは感謝している。
 英雄の血を引くあの王子が率いる軍は、戦争においては勝利を収めるだろう。だが、俺とあの子どもが五体満足に終戦を迎えることができるか、その可能性は決して高くはない。これから一層激しくなるであろう戦いを無事に生き抜いたとしたら、それだけで師弟の関係を結ぶに値するという訳だ。
 軽はずみに少々厄介な約束をしてしまったと思うが、胸の奥は温かく、悪い気分ではない。
 あの子どもの名前は何と言っただろうか……確か……

 ぽつりと口にしたその名が、なぜか特別なもののように感じられ、心の中で幾度か繰り返す。これも血が知らせる何かの予感なんだろうか。
 締まりなく緩んだ口許に無意識に添えた指から、ふわりと甘い蜜の匂いがした。



  • ふたりが出会って間もない頃の話。拙作『なつかしいそらのいろ』と『耳に残るは』の間の話。まだゴードンが人見知りしている雰囲気が伝わればいいなあと思います。
    初々しいむず痒さを醸せておりますでしょうか? 書いてる本人はものすごく痒かったんですが。腹がよじれる程に。

20130430up


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