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小ネタTOPにもどる ■うたかたの夢 師匠の元での修業期間も残りわずかとなり、あと数日で故国に向けて発つ予定になっていた。 内々の歓送会を開きましょう、とミディアさんの家の夕食に招待されたその席上でのこと。 「そういえばあなたの方は、いつ家に戻るの?」 彼女の言葉に、師匠が微かに眉をしかめたのが分かった。 「え……ずっと騎士団の宿舎にいらっしゃるんじゃないんですか?」 「この人が集団生活に向いていると思う?」 御酒をきこしめしているせいか、ころころと陽気に笑う彼女の後をアストリアさんが継いだ。 「宿舎にいるのは年数の浅い新兵や王都に家を持っていない者だけで、大抵は城下に住んでいる。俺みたいな無骨な根無し草にはちょうど良いが、規律がうるさく行動も制限されるから、他に選択肢がある者は好きこのんで利用したりしない」 「宿舎に傭兵隊の方が多いのは、気のせいではなかったんですね」 隣席の師匠に顔を向けると、一瞬目が合ったが、すぐに逸らされた。少し気にはなったけど、そうこうしているうちに話題は移り、その話はそれきりになった。 会食を終え馬車で宿舎に戻った。アストリアさんと別れた後、師匠の部屋へと連れ立って歩きながら、ここでの生活を思い返す。 振り返ればあっという間の数ヶ月だった。 その間にもこの人に対する印象は次々に変わった。雲の上の人から、血の通う一人の人に。厳しさと温かさの複雑に混じった人となり。抱く理想と孤高な心、その強さと危うさ。 そんな彼を知るほどに深まった尊崇の念──そして相反する子どもっぽい執着心を、ぼくは彼に対して抱くようになっていた。 いつも傍にいたい。声が聞きたい。触れていたい。 ぼくにとってあなたとの出会いは特別だったのだと、想いを告げた。彼は少し困ったように、それでも優しく応えてくれた。自分を慕う弟子を、無下に突き放せなかったのだろう。彼が絶対に越えようとしない一線を感じながらも、抱擁と口づけを与えられて、それだけでぼくには夢のようだった。 彼の心には、決してぼくには立ち入ることのできない場所があると、知っていたから。 そしてそれこそが、彼を彼たらしめているものなのだと理解していたから。 師匠の部屋につき、手早く角灯をともし暖炉にも火を入れる。その眩しいゆらめきに少しのあいだ見惚れ、やがて息を吐き立ち上がったところで、後ろから抱きすくめられた。 「寒いですか? すぐに暖まりますから、もう少し……うわっ!」 温かな吐息を感じたと思ったら、師匠に耳を食まれた。唇で軽く挟まれているだけなのに、冷えきった耳には痛いほどの熱さに感じられた。 「ジョルジュさん?」 「果実みたいに真っ赤で旨そうだ……」 話しているのは何でもない内容なのに、耳許に熱い唇を感じながら低い声で囁かれると背筋がぞくぞくした。 「ジョルジュさんってば! 離してください!」 逃れようと身を捩るが、ますます強く抱きしめられる。舌先で耳をなぞられ、膝の力が抜けていく。 「俺が嫌いか?」 「好きですよ! だから離して!」 こんどは急に戒めを解かれ、体勢を崩したぼくを彼が支えたまま、ふたりで寝台に倒れ込んだ。間近で目が合い、彼の曇った表情のなかに、自分と同じ思いを見つけた気がした。 「……淋しくなりますね。こんなふうに、あなたを近くで見られるのも、あと数日です」 「淋しい?」 「ええ。あなたがいない夜に気づきました。ずっと、ぼくと一緒にいるために心を配って下さっていたのだと。 ──ああ、そういえば……」 あの夜に抱いた疑問を、今なら聞いてもいいような気がした。 「以前、留守居を頼まれましたよね。鍵をかけてこの部屋で休むようにと。こちらには大切な物が隠してあるとアストリアさんに伺いました。でも、ぼくにはどうしてもそれが何なのか分からなかったんです。さっき仮住まいの部屋だったと聞いて納得しましたが、ここには身の回りの必要最低限の物しかなくて……」 「お前がそれを言うか」 「え……?」 罰が悪そうに彼が呟く。 「傭兵隊には気の荒い連中が多い。お前みたいな手合いは格好の餌食だ。でも誤算だった。そちらの気もないくせに、俺の弟子というだけで興味を持つ者もいたからな」 「それって……」 「お前は俺のものだって、仄めかしていたんだよ」 今まではお国柄の差だろうかと不思議に思っていた色々なことが繋がった。周囲の人たちのぼくを見る目、アストリアさんやミディアさんの意味ありげな態度、そして……。 「あとほんの数日だ。この部屋は引き払われ、お前は俺の傍からいなくなり──何もかもが、元に戻る。こういう気持ちを淋しいというのか」 寝台で向かい合い横になったまま、互いの顔を見つめる。今このときを心に焼き付けるように。 「元には戻りませんよ。あなたが傍にいないときは、ずっと淋しさを抱えて日々を送ります。ここに大きな穴が空いてしまいますから」 自分の胸を指し、目を瞑る。それでも彼の温もりと息遣いを感じた。ただ、傍にいる。この日々がどれだけ愛しかったことか。 「ジョルジュさん……あなたが、好きです」 呟いた唇に彼の指が触れた。目を開くと、見慣れた意地悪な笑顔。いつもと変わらない様子になんだかほっとして、ぼくも笑ってしまった。その指先に軽く口づけてから、身を起こし、寝台から降りる。 「ほら、あなたも寝間着に着替えて下さい。せっかくの礼装に皺がついてしまいますよ」 「言うことを聞いたら、何かご褒美をくれるか?」 寝台に横たわったまま、不貞腐れた顔をしている。ふたりきりのときに、この人が子どもみたいに甘えたことを言うのも、いつものこと。 「おやすみのキスをして差し上げます」 「それから?」 「添い寝をして、この身の温もりをお分けいたしましょう……いつものように」 「まあ、そんなところか。明日は挨拶回りで早くに起きなければいけないし……。起こしてくれ」 これからずっと、この淋しさを抱いて生きていく。それこそが、ぼくがこの人を想っているという証。 切なくて、苦しくて、でも、幸せで、目の前で腕を広げる愛しい人に笑顔で手をのべた。
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