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小ネタTOPにもどる ■峠の上り下りもまた 「前々から疑問に思っていたんだが……」 後ろ手に扉を閉めつつ、師匠が呟く。 「なぜいつも部屋の扉を開けている?」 「おかしいでしょうか?」 「気にはなるな」 「昔からの習慣としか……きっかけに心当たりはありますけど」
どうか部屋の扉を開けておいてくれ、と老騎士は穏やかな表情でぼくに言った。 皆を気遣い弱音を吐くことなく真っ直ぐに立とうとしているあの方も、年の近いお前の元でなら心を休めることもあるだろう。 もしもお前をおとなうことがあったなら、他愛のない話で構わないから、お相手をしてくれ。 厳しい言葉しか語ることを許されない自分に代わり、あの方の気持ちを第一に思いやってはもらえまいかと。 ぼくはその頼みごとを、初めて請けた大切なお役目と思い、心を配り実行していた。 温暖な島国である彼の地では、部屋の扉を開け放していることはさして不自然ではなく、もの言いたげにこちらを見ている主を招き入れることも多かった。 とりとめもなく日々の暮らしのことを話し、厨房でもらった菓子などをこっそりと分け合って食べたりもしたが、戦いのことを話したことはない。年相応な子供めいた時間を過ごせるのは、この場だけだということを、お互いに知っていたから。 実は王子も同じようなことを聞かされていたというのは、後に知った。己の未熟さに悩んでいるぼくを、ただ見守ってやってくれと。自分は励ますことはできないからと。 そうして老騎士の思惑通りに、ぼくたちは自分一人の心の闇に沈むことなく、決起の日を迎えることができた。
「匿れてはいましたが、強い後ろ盾も展望もなく存在を隠さねばならない暮らしは、綱渡りのようだったと思います。 それでもあの方が強い意思と希望を失わなかったのは、王子やぼくたち騎士団を宝のように大切にし、その未来への力を疑わなかったからで……」 「尊敬に値する騎士というだけではなく、お前にとっては恩人なんだな。そして今でもその言いつけを守っているということか」 「習慣になってしまいました。そして、少しなりと、役に立っています。こうしていれば、色々な話が耳に入りますから」 軽く鼻を鳴らして、どこか不機嫌そうに師匠は話を続ける。 「……星読みをするという先輩は? あいつのことだけは名前を呼び捨てているな」 「タリスに着いて間もないころに『同じく王子をお守りする仲間なのだから、かしこまらないで良い。名前で呼んでくれ』と言ってくれまして……今にして思えば大変なことですけど、その頃からのことですね。本当に弟のように可愛がってくれました」 「恩人と、兄のような存在……それだけなんだろうな?」 ここに至って師匠の不機嫌の原因をようやく理解し、自信家のこの人らしからぬ言動に、つい笑ってしまう。 「当たり前じゃないですか。こんな気持ちになるのは、あなただけですよ」 背伸びをし頬に唇を寄せてから、間近にその目を覗き込む。 「あの時間が無ければ、ぼくは、このぼくではありませんでした。今こうしてあなたの傍にいるためには、辛かったことも苦しかったことも、ぜんぶ必要なことだったんだと思えます」 額に唇が触れ、そっと抱きしめられた。 「俺は感謝しなくてはいけないな。お前が過去に傷を受けたことに。それでも真っ直ぐな心のまま、ここにいることに」 身勝手な物言いをしてすまない、と呟きながら、唇が瞼に頬に幾度も触れる。 その柔らかさに、ぼくはもう何も考えられなくなって、彼の背に手を回し、ただその温もりを求めた。
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