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小ネタTOPにもどる ■ジャメヴュ 王子との謁見を終えた師匠を、王宮内にある客室に案内する。先を歩く自分の背後をついてくる気配は確かに覚えのあるものだったが、何度も振り向かずにはいられなかった。 見慣れた王宮の風景のなかにいるこの人は、目覚めるまでは違和感に気づかない辻褄の合わない夢のようで、妙に落ち着かない気分になる。 「なんだ?」 「え……? ぼく何か言いましたか?」 「いや、さっきから何か言いたそうにしているから……」 「そうですか? なんでもありませんよ」 部屋に着くと既に荷は運び込まれており、開け放した窓からは爽やかな風が流れ込んでいた。夕食までは時間があるので、とりあえずゆっくりしてもらおうと、予め手配しておいたものを確認する。 「飲み物と軽食も用意していますが……その前に足湯をつかわれますか?」 「ああ……そうさせてもらえると嬉しいな。徒の旅ではないが、少々疲れた」 柔らかな詰め物を敷いた寝椅子に身を沈める師匠の傍らで、盥に湯と水を流し入れ温度を調えていると、驚いた様子でお前がするのかと聞かれた。 「こんなことは小姓の仕事だろう? 正騎士の立場になった者のすることじゃない」 「お寛ぎいただけるようにと、人払いをしてあります。誰に見られることもありませんよ」 「だからって、お前……」 「王子からのお申し付けがありました。あなたの滞在中は、その接待を最優先にするようにと」 足下に盥を置くと、渋々足を預けてくれた。靴と靴下を脱がせた足を湯に浸けると、深い息が漏れる。湯の中で足をさすっていると、王子がそう仰せなんだな、と念を押された。 「ぼくは嬉しく思いますよ。こうしてお傍にいられるのは。当分は不寝番の仕事も外してもらえましたし……」 「それは毎晩お前を呼びつけても良いということか?」 「寒さの厳しい時期ではありませんし、以前あなたが配慮して下さったようなことも、ここでは心配ありません。ですから……ぼくではなく、色々と愉しみ方を知っている若い娘をお望みでしたら、話を通しますが……」 返事はなかった。 湯から足をあげ、丁寧に水を拭き取り、室内履きに収める。 師匠の沈黙の意味を知りたくて、恐る恐るその顔を見上げると、予想に反して笑いを堪えているようだった。 「そんな顔をするぐらいなら、無理はするな。それより、再会の喜びを分かち合わないか?」 寝椅子に座り腕を広げ微笑む姿は、つい数ヵ月前には目に馴染んだものだったけど。帰郷して日が経つにつれ記憶は薄れ、ひょっとしてあれはぜんぶ夢だったんじゃないかと、近頃はそう感じるようにすらなっていた。 それでもその胸に身を預けると、懐かしい感覚が甦る。半ば無意識に、間近でいちど目を合わせてからゆっくり瞼を閉じると、額にそっと触れる温もりがあった。目を開くと、こちらの反応を面白がるような笑顔が向けられている。 「……ずるいです」 「何がだ? 俺は自分のしたいようにしただけだ。お前だって好きにすればいい」 「そんなこと言っていいんですか? ぼく、誤解しちゃいますよ」 「誤解なものか。遠路はるばる、お前に会うために来たんだからな。約束したろう? 夏至祭を一緒に過ごそうと」 声も匂いも温もりも、意地悪な態度や、ぼくを翻弄する言葉すら、記憶にあるままのこの人だった。それでも、その頬に手を添えると心が震える。 そんな様子に気づいてか、青い目が嬉しそうに細められる。二人きりのときにだけ時折この人が見せる、穏やかなその笑顔に、苦しいぐらいに鼓動は高まる。 いつかのように、そっと頬に口づけた。溢れる想いを止められなくて。上手く言葉にできないけど、少しでも気持ちを伝えたくて。 あれは冬至祭の夜だった。忘れえない大切な記憶。それでも── 初めて、この人に触れたように感じた。 「あの……ぼくの唇、冷たいですか?」 口づけの後に不意に聞かれた。 「いや……普通だが」 「普通って?」 「人肌だから、温かいに決まってる。なぜ冷たいなんて思うんだ?」 おかしなことを言ったと自分でも気づいたのか、腕の中の相手は照れの混じった様子でこちらを見つめている。 「あなたの唇が温かいから……ぼくのは冷たいのかもしれないと思って……」 「そんなことが気になるのか?」 「それは気になりますよ。あなたがどんなふうにぼくの体を感じているのかって」 指先でうなじに触れると、ぴくりと身を震わせた。その肌は温かいが、これは俺の手が冷たいということだろうか。そういえば冬には手が冷えて、なかなか眠れないこともある。 「俺の手は冷たいか?」 「いいえ……温かいです。触れられたところが熱くなります」 両の頬をそっと手で包むと、言葉どおりに熱をもち紅潮した。先ほどから口づけを繰り返した唇は、ふっくりと艶めき朱みを帯びている。紅をささなくともこんなふうに色づくものなのか、とぼんやり考えた。 「もっと教えてくれ。お前がどんなふうに感じているか」 誘う唇を見ないように、軽く抱き寄せる。 「気持ちいいです。ふわふわします」 「ふわふわ?」 「そんな気分です」 背に手が回されぎゅっと抱き返された。 「……大好きです」 「そう感じたのか?」 「はい」 腕の中の柔らかな存在。真っ直ぐな気持ちと視線とが俺に向けられる。その満ち足りた恍惚感。 やがて目が閉じられた。 誘われるままに唇を重ねる。幾度も交わしてきた、そっと触れるだけの軽いもの。それでも、その柔らかさと温もりを感じながら── 初めて、口づけをしたように思った。
●おまけの4コマ(◆別窓で開きます→
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