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小ネタTOPにもどる ■ひみつの宝物 野暮用があるので外泊するが、部屋は好きに使って良いと言われた。 それなら今日は自分の部屋で休みますよと言うと、留守居を頼むと返された。 「寝るときには鍵を忘れるなとも注意されました。おかしいですよね、騎士団の宿舎内で。宝石みたいに貴重な品が置いてある訳でもないのに……意味がないじゃないですか」 夕食時にたまたま宿舎の食堂でいっしょになった師の友人に疑問をぶつけてみると、覚えのある意味あり気な口調で、宝石みたいに貴重な品か……と笑われた。 「お前の部屋って、西側の棟の個室か?」 「はい」 「扉に鍵は付いていないよな」 「ええ。でも必要ないでしょう?」 師の友人というだけでなく、前の戦争で共に戦い、互いに知らぬ仲でもないその人は、めずらしく躊躇いがちに歯切れ悪く、どう説明したものかな……と独りごちた後に口を開いた。 「お前には伝えていないみたいだけど、とても大事に思っているんだよ」 どきりとして、声を潜めた。 「……秘密なんですか?」 「いや……こういうことを俺から言うのは……」 「……分かりました。今日はあの人の部屋で鍵をかけて休みます」 「そうしてくれ。俺の部屋で預かる訳にもいかないしな。間違った噂が広がりでもしたら厄介だ」 ん?と思う。 「秘密なんですよね?」 「秘密と言うか……牽制と言うか……偽装と言うか……」 「その大事な宝物のことは、秘密にしているのに、噂になっているんですか……?」 こちらは回りに聞こえないよう小さな声で尋ねたのに、相手からはびっくりするほどの大笑いが返ってきた。 「鈍いだの気がきかないだの、俺もあいつらにはさんざん言われてきたけど、お前は輪をかけて大物だな」 「なんだか分かりませんけど、ばかにしていますか?」 あまりにひどい言い草に、顔をしかめて言葉を返すと、さすがに気遣ってくれたのか、すぐに笑いを引っ込めてくれた。 「すまん、気を悪くしないでくれ。ええと……お前とあいつは、良い組み合わせだと思っただけだ」 「それで、なんでそんなに笑えるんですか?」 時がくれば、あいつの口から教えてもらえるさ、そう言って彼は席を立った。 釈然としなかったが、食事を終えてから言い付け通りに師匠の部屋に行き、内側から鍵をかけた。そして、おかしなことに気づく。 今の今まで、この部屋には鍵なんてかけていなかったじゃないか。 改めて見回すが、部屋にあるのは軍から支給されたものばかりで、贅沢品の類いはない。机の上に置かれた筆記具、棚の数冊の本、部屋の隅に置かれた鍵のない衣装箱。寝台すら、大きくはあるが簡素なつくりだ。一体この部屋のどこに隠し物をしているというのだろう。 本宅は遠い領地にあるものの、王都にもあの人の所有する屋敷はあると聞いている。本当に大事なものなら、そちらに置いて管理しているだろうに。 首を傾げながら寝支度をした。 灯りを消して寝台に潜り込むと、にわかに心細くなってきた。一人で眠るのは久しぶりだ。こちらに来てから、毎晩あの人が傍にいてくれた。癖で寝台の片側を空けて横になっている自分に気づき、なんだか照れくさくなり、大きく寝返りをうつ。 枕に顔を埋めると、ふわりと、あの人の髪の匂いがした。 気にしないようにと思っていたけど、やっぱり考えてしまう。野暮用っていうことは……今ごろ女の人と過ごしているんだろうか。そういえば、少し前に、きれいな顔の少年が使いに来ていた。馴染みの娼館って言っていたっけ。 故郷から遠い場所にいるのだということも、あの人が手の届かない存在だということも、戦争の間は特別だったのだということも、ぼくは忘れかけていた。ひとりで眠ることだって、あの人が女性と夜を過ごすことだって、至極当たり前のことなのに、今はそれがとても辛い。 あの人に出会う前と後とで、世界は変わってしまったみたいだ。さまざまな色の感情が強い風のように吹き荒れて、心は震え息が苦しい。 しばらく結論の出ない考えをめぐらせていたが、暗い部屋に目がなれてくると、窓から射すわずかな月明かりに気づいた。 ああ、と思う。ぼくは、ばかだ。世界は、何ひとつ変わってなんかいない。月星はめぐり、明日も必ず日は昇る。 そして、夜も昼も変わらずに、しるべの星は同じところで輝いている。 ふっと、心の風が静まった。 「この部屋には、あの人にとって大切なものがあって、ぼくはそれを任されているんだ」 明日あの人に会ったら、それが何なのか尋ねてみようかと一瞬思ったが、教えてもらえるまで聞かないでおこうと考え直した。 信頼。技量を認めるのとも、体を求めるのとも違う、特別な絆を、あの人はぼくに与えてくれている。こんなに嬉しいことがあるだろうか。 心が緩むと、急に瞼が重くなってきた。 朝にはまた、あの人に会える。どれだけ自分がしあわせか、あらためて噛みしめながらゆっくりと眠りについた。 ■かはたれの風 しんと冷たい空気に隠しきれない乾いた靴音を微かに響かせ、かはたれどきの石畳の路地をひとり歩く。 夜通し遊んだ者も、早起きなパン焼き職人も、誰もが皆寝静まるこの時間が、昔から好きだった。 身に負った責務も歩むべき道も自ら選んだもので、その事に後悔はないし今更放り出すつもりもない。だからこそ自分にとっての自由とは、わずかばかりの独りになれる時間に他ならなかった。この夜と朝のあわいは、正にその象徴だ。 ふと、何かが足りないと思った。 冷たい風が胸の奥に入り込んだような、それは不思議な感覚だった。 何者にも煩わされることのない一人の時間こそが、満ち足りた安寧そのものだったはずなのに、近頃慣習となっていた添い寝の子どもの寝息や体の温もりを間近に感じたいと──すぐに手の届く場所にそれがないことを物足りないと思っていることに驚いた。 気に入りの可愛い弟子。 それはいわゆる弟分や息子に対して抱くような情愛とは程遠いもので、例えるならば優れた駿馬や賢い猟犬を得たときのような気持ちだった。寄せられる無上の信頼を確信した上での気兼ねのない距離感。そして花開きつつある秘めた才への感嘆と高揚。 身近に置き過ぎたのかもしれないな、と苦笑する。あいつは一時の預りもので、俺のものではないというのに。 それでも、あいつの待つ部屋に向かう足は軽い。そう、あいつは忠犬よろしく俺の帰りを待っているに違いない。 帰る、というのは本来居るべき窮屈な場所に戻ることだと思っていた。 誰かの元へ向かうこと──そんな状況をそう呼ぶことになるとは考えてもみなかった。 起床時間までには数刻の余裕がある。冷えた体を温かな寝台に埋め、弟子で暖をとりつつ微睡むことを想像してみた。 なかなかに素敵な一日の終わり、そして始まりではないか。 改めて考えるに、生来自分は気まぐれで薄情な人間であった。 長い付き合いの知音より、新しい気に入りの犬を愛おしんだところで、痛む心など持ち合わせてはいない。 見張りをかわして宿舎に潜り込む。そして不自然ではない程度に、わざと小さく靴音をたてながら自室へと向かう。 あと数歩というところで、扉の内側で鍵が回される気配があった。 ああ、良くできたものだ。さすが我が愛弟子。 薄く扉を開き部屋に滑り込むと、いささか迷惑そうな素振りを見せる温かな存在を、力いっぱい抱きしめる。 先刻ちらりと胸をよぎった冷たい風は、すっかり凪いでいた。
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