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小ネタTOPにもどる ■明日をさす指 ふたり共に手すきになった午後、弟子に遠乗りに誘われた。 不得手を克服しておこうかと思いまして。良い陽気ですし、ご一緒にどうですか、と。 騎士団の本部は街外れにある。敷地は広く、塀の内側に宿舎や練兵場や馬場もあり、ただ練習するだけならわざわざ外に出る必要はないのだが。指導にあたっている新兵たちの前で、へっぴり腰を披露するのが恥ずかしいからかもしれない。断る理由もないので快諾した。こちらは乗馬が嫌いではない。 馬丁に命じ、自分の馬と乗馬用の性格の穏やかな牝馬に鞍をつけさせる。横を見ると、弟子は緊張した表情で馬と向き合っていた。その様子からは、戦場で颯爽と軍馬を乗りこなし剣を振るう姿など想像もできなかったが、努力家のこいつのことだ、そう遠くないうちにこちらでも俺を凌ぐやもしれない。 「──人と同じだ。過度の緊張は、相手を神経質にさせる」 そう言うと、一度こちらを見上げてから、幾分やわらかい雰囲気になり、馬に近づいていった。よろしくね、と首を軽く叩いてから乗る姿は、明らかに昨日までより一歩先に進んでいた。俺はまた余計なことをしたのかもしれない。 暦は春だが日差しは強く、初夏のような陽気だった。野花は目にも眩しく、風も心地よい緑の匂いを含み、街を見下ろす小高い丘までの道のりは楽しいものになった。取り留めのない話をしながら、馬を進める。ああ、そういえば、と弟子が新兵の訓練中のことを話しだした。 「木登り?」 「ええ。弓隊のみ必須訓練に加えようかと。訓練の内容はぼくに任せて下さる約束でしたよね。新兵の子たちと話をして驚きましたよ。町育ちの子どもはそんなことすらしないのかって」 「木になど登って何になる?」 「え……」 丘の上に着くと、草を食めるように端綱を長めにとって馬を繋ぎ、弟子は周囲を見回した。一本の大木の下に駆けていき、笑顔で振り返る。 「……冗談じゃなかったんですね。泳げないのは存じてましたけど、木登りもできないなんて……」 「すまんな。乳母日傘で育てられたものだから」 先に上の枝をしっかり持ってから足を移動させて下さい、次はこちらに足を、と指示がとぶ。同じことを一人でもう一度できるとは思えなかった。 「とにかく、今までの攻城が主体の戦いは忘れて下さい。ならず者や盗賊が相手なら、木登りも必要なことです。特に弓を扱う者には樹上だって有効な待ち伏せ場所です」 あれは英雄戦争の折だったか。木陰で解放軍をやり過ごしたとき、木に登ってはどうかと言った者がいた。身を潜めるのならばその方が、と。子どもの遊びではあるまいしと一笑に付したのだが、物を知らないのはこちらの方だったという訳か。 「団長は象徴なんだから優美であれば良し、と言ったのは誰だ?」 「内向きと外向きでは違います。多少の親近感を持ってもらった方が、いざという時に役に立ちますよ」 「意地悪をしている訳ではないんだな?」 「まさか! こんなに登りやすい枝振りの木を選んでいるのに、心外です」 大きく張り出した枝に辿りつき、一息つく。体は鍛えているつもりだったが、それでも偏りがあったのだろう。あちこちが張っていた。明日には鈍い痛みになりそうだ。 風が吹き、うっすらとかいた汗を乾かしていく。隣の枝に立ちこちらを覗く弟子に、訊ねるともなく呟く。 「……俺は、何も知らないんだな」 「下々の暮らしのことを?」 「お前のことを、だ。木登りに水泳に野歩きに……俺といると活かす機会のないことばかりだ。館に閉じ込め、窮屈な服を着せ、人の顔色を伺うことばかりを強いている」 「不肖の弟子は、未だに乗馬も宮廷風の振る舞いも苦手ですしね」 苦笑しながら言葉を返す弟子に、後悔しているか、と、問いそうになるが、口ごもる。こちらの表情を見てその先を察したのか、穏やかな笑顔を湛えて話題を変えた。 「東は……あちらですね」 街を見下ろしてから、弟子の指さす方角を確認して頷く。 「高いところに登ると、ずいぶん遠くまで見えるでしょう? だから、朝日が昇る東の向こうには明日が見えるって……子どもの頃、そう信じていました」 弟といっしょに、自分にだけ見えた明日の風景を打ち明けあったものです。そう言って笑う顔に、自分の記憶が重なった。 「街で一番高い鐘楼から、明日が見えるっていう噂があったな……」 弟子が目を丸くする。異国の街にも同じような噂があるのが不思議なのかと思ったら、俺にも子どもの頃があったというのを忘れていたのだと言った。 「今度お休みがとれたら、その鐘楼に一緒に行きましょう」 「その前にここから降りないと……木登りが苦手な子どもが勇気を出せるような、そんなまじないは無かったか?」 「木登りに有効かどうかは分かりませんが、一般的なのがひとつ……」 そう言うと、身軽に俺の隣に移ってきて、頬に手を添えてそっと唇を寄せた。間近で視線が合うと、照れ隠しか、すぐに話題を変える。 「さっき見えた明日には、あなたとぼくがいましたよ。執務室で書類仕事に追われているようでした」 「……それを聞いて安心したよ。俺はここから無事に降りられるんだな」 落ちたって死ぬ高さじゃありませんよ、と笑う弟子に指示をうけつつ、木を降りはじめる。 明日も傍にいると、そう約束されただけで、嬉しく感じる自分がおかしかった。
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