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小ネタTOPにもどる ■はだまもり 首筋にちりちりと厭な感覚がして、無意識に手袋の上から肌守りの銀の短剣に触れていた。何かが、おかしい。 本隊との合流地点を変更する旨の伝令だった。こちらの位置を把握しているということは、作戦行動に参加している者からの連絡なのは間違いない。 当地で道案内として雇われたのだと言っていたあの兵士の顔に見覚えはなかったが、騎士団の徽章を身につけていたし、伝令文に添えられた証の指輪も本物だった。なのに何が引っ掛かっているのだろう。 そのとき木に絡んだ蔦が目に入り、ああ、と尻尾を掴んだ気がした。 「……紋章学にはお詳しいですよね?」 半歩前を行く師匠に小声で話し掛ける。 「ミディアには敵わないが、そこそこは」 いきなりどうした、と目線だけを返しながら問われて、どう尋ねたものかと思案する。 「さっきの伝令が帯びていた短剣の鞘に入っていたのが、少し変わった紋章だったんです。このあたりでは見ない植物の図案で……あれは……」 木々がまばらになった場所に通りかかった瞬間、ふっと空気が変わり、背中を冷たい震えが走る。と、時をおかず数本の矢が手前の木に刺さった。早足で一歩踏み込みながら弓を構えると、背中合わせになった師匠は二本目の矢を放ちながら叫んだ。 「戻れ! 来た道を辿らず森に散れ!」 二人で矢を放ちながら森に後退し様子を伺う。こちらが見える範囲にいなくなると、ぴたりと矢は止まった。どうやら相手は組織立って動いているらしい。待ち伏せされていたということは、当然こちらより人数も上回っているはずだ。予想される退路も塞がれている可能性が高い。 先程の伝令は敵の手の者だったんだ。違和感の正体を掴めなくても、師匠に告げておけばよかったと悔やまれた。 「メニディの若殿がおられるはずだ」 場の主導権を握ったかのように誇らしげに、若い声が響く。 「貴公おひとりが大人しく投降されれば、他の者に手出しはしないと約束しよう」 盗賊団がこんな要求をしてくるはずがない。そしてこれが謀であるなら、そんな場に立ち会った者を生かして帰すはずもない。なおも息を殺し敵方の様子を伺う師匠の顔を間近に見て、妙に落ち着いた心持ちで、ぼくは自分のすべきことを悟った。 外套を深く被り、制止しようとする手を振り払い、茂みから飛び出した。月明かりに照らされる位置に立ち止まり、手にしていた銀の弓を敵からよく見えるように高く掲げてから足元にゆっくりと置き、掌を示しつつ数歩下がる。そしてなるべく大きく見えるようにと背筋を正し、師匠の立ち姿を思い描きながらそれに倣う。鎧は同じ意匠のものだ。夜目ならば色の違いの誤魔化しもきくはずだ。隣に立つ人がいなければ身長の差も掴み難いだろう。 「お見事なご覚悟ですな」 仮面で目を隠し口元に歪んだ笑みを浮かべた若者が木陰から姿を現す。その手には剣が握られている。黒い外套の隙間から見えた鞘には、先ほどの伝令と同じ紋章が刻まれていた。 深く息を吐き、思いを廻らせる。 あの人は、ぼくのしようとしていることを分かってくれたはず。そしてこの状況を最大限に活かしてくれるはず。少しでも時間を稼がなくては。あの人が、仲間が、安全な場所に逃げ遂せるまで。 あの人の声を真似ることはできないが、なるべく低い声色で話す。 「何が目的だ?」 「知れたこと……あなたのお命ですよ」 言うやいなや相手は剣を振りかぶり、こちらに大きく踏み込んできた。咄嗟に身構えるが、避けきれるはずもないと観念しかけたそのとき、横様に突き飛ばされた。一瞬だけどすぐに分かった。肩に掛けられたこの手は…… 「動くな! 見えるだろう? もし我々に手出しをすれば、この喉を掻き切るぞ。雇い主に始末されたくなかったら、ここは引くんだな」 朗々と響いたのは、間違いようもない師匠の声で。屈辱に目を血走らせた若者の背後に回り、その喉元に奪った剣を添わせていた。 「お前にはもう少し付き合ってもらうぞ」 喉に剣の切っ先を当てたまま、じりじりと森を進む。周囲の茂みに潜む気配が途切れてなおしばらく歩いてから、親父殿によろしくな、と呟いて師匠は若者を解放した。そして剣をこれ見よがしに谷に放り捨てた。相手はすっかり戦意を喪失したようだったが、師匠に促され、念のために手近な木に拘束した。朝には仲間に助けられるだろう。 「咄嗟に俺の身代わりに立つような者がいるというのは、あちらには計算外だったんだろうな。お前が注意を引き付けてくれたおかげで、あの馬鹿息子を盾に取ることができた。弓隊の者もほとんどが無事だろう」 森を少し進んだところで、ようやく師匠が口を開いた。怒られるとばかり思っていたので気が緩み、先ほどからの疑問を持ちかける。 「あの……ひょっとして、面識のある方だったんですか?」 「ああ。仮面で顔を隠してはいたが、有力貴族のどら息子だ。うちとは先祖代々仲が悪くてな。領地の境界や交易の利権を巡って何かと衝突する間柄だ」 「その人が、あなたの命を狙ったと?」 「今に始まったことじゃない」 俄かに思い至る。伝令の徽章も指輪も本物だった。本来その役目を負った者は、無事でいようはずもない。 信じられなかった。戦争は終わったというのに。共に手を携えて復興の道を進むべき同胞が、自国に必要な人物を私怨のために狙うなんて。直接関係のない者まで手に掛けるなんて。 深くため息をついて苦笑混じりに師匠が言う。 「これがアカネイアなんだ。そしてあんな奴原を含めてこの国を守ることが、俺の役目なんだ。……幻滅したか? 故郷に帰りたいというのなら、留め立てはしない」 どうしてそんなことを言うのか。あなたを取り巻く闇を知って、ひとりその中に置き去りにできる訳がない。あなたが大切な人に託された務めなら、それがどんな暗い困難な道であったとしても、ぼくは迷うことなく付いて行くのに。 気持ちを伝えなくてはと師匠を見上げると、その顔は青ざめている。そして微かな血の臭い。彼らしくなく、木の根に足を取られふらつき、ぼくの肩に手を置いた。 「すまんが、少し肩を貸してくれるか?」 「……その前に手当てをさせて下さい」 外套を除けると、衣服は血で染まっていた。言うまでもなく、ぼくとあの若者との間に割って入った時に負ったものだ。傷を検めると想像以上に深いことが分かった。止血をし傷薬も使ったが、全快には遠く及ばない。敵の追っ手がないとも限らない。 空を見て方角を確かめてから、師匠を支えながら歩き始める。月は沈んで闇に包まれていた。暗い中なら、こちらが有利だ。 「本隊と合流するまでは油断するな」 「ご存知でしょう? ぼくは夜目がきくんです。大丈夫。絶対にあなたをお護りします」 「そうだったな……よろしく頼む」 信頼からきているのか、別れを覚悟してか、優しい言葉ばかり掛けられるのが、この時は却って辛かった。 数日が経ち、師匠の怪我も快方に向かいつつある。本隊に合流し回復の術を施されるまで時間がかかったせいで、治りが遅いのだという。 師匠の看病の合間を縫って、例の紋章の家との確執について、騎士団の幹部であるミディアさんに尋ねた。 分厚い本の、とある頁に目を止める。机の向かいに座る博学な女騎士は、その紋章を確かめ、眉を顰めた。 「その紋章で、間違いない?」 「はい。ドルーアにしか自生していないはずの蔦と……竜の図案でしょう。珍しいと思ったんです」 「元を辿るとそちらにも繋がる血筋らしいのよ。先の戦いではドルーア連合に与したこともあるわ。パレスに手引きしたらしいとも噂されている。……確たる証拠がないとして、裁かれることもなかったんだけどね」 「確たる証拠がないのは今回もです。ぼくと師匠が目にしただけですから」 「まあ、相手はそういう古狸ってこと。ジョルジュも判っているから今はまだ事を荒立てるつもりがないのよ」 それでも、犠牲者が出た。あの人だって、死ぬかも知れなかった。ぼくの釈然としない表情を読み取って、女騎士は席を立ち傍らに立つ。そして頬に手を添えてぼくを上向かせ、正面から目を合わせた。 「これは、ジョルジュの友人としてのお願い。あいつを見捨てないであげて」 ぼくの方から手を離すなんてあるわけがない。それでも、つい目を逸らしてしまうのは、自分に自信がないから。 「ぼくを見限るとしたら、ジョルジュさんの方ですよ。役に立たないって」 「今回の件だけを見ても、あなたはあいつの命の恩人よ。それに、役に立つ、立たないで割り切れるほどの距離にまだいるとでも思ってるの?」 本気で言ってたら怒るわよ、と笑いながら、彼女はぼくの額に口づけた。 頬を包む細い指と額に寄せられた口唇はあの人とは違う感触で、幼い頃に触れた母のそれが思い出された。 だからかもしれない。気付くと視界が滲んでいた。 「……国に帰りたいなら止めない、と言われました」 「それは、あなたを巻き込みたくないだけ。あいつは自分の家もこの国の古い因習も好いてはいないからね。それでも義務を放り出せない。自分にしかできないことがあると分かっているのよ」 女性らしいたおやかな指がぼくの髪を梳く。 「どうしても悪い方に考えてしまうんです。ぼくの気持ちを憐れに思って、傍に置いてくれているだけじゃないかって……」 ふう、と息を吐き、彼女は一度目を伏せてから、改めて正面から視線を合わせた。先程までとは違う、強い光を瞳に宿して。 「感情だけの問題じゃないの。あなたは都合が良いのよ。色々な面でね。力のある騎士だということ、あのマルス様の近習だったこと、アリティア出身の貴族だということ、それから……男だということも」 「……どういう意味ですか?」 「騎士団に必要な人材であり、自分で自分の身を守ることもできて、排除しようにも迂闊に手出しできない存在。でも、この国の権力に無関係で、決して子を成すこともない──あなたを是とする者にも非とする者にも許容できる、まるで誂えたみたいにぴったりな存在じゃない?」 この瞳を知っている。あの人が折に触れ見せる、世を見通す冴えざえとした冷たさ。 「これでもあなたを気に入っているのよ。だから“優しいお姉さん”と思っていてもらいたかったんだけど……私も“あちら側”の人間なの」 そう言って浮かべられた笑みは、どこか淋しげだった。 「考えたことがある? あなたを手元に置きたいというのは、ジョルジュのただひとつの我が儘なのよ。あいつは自分のためのものなんて、何ひとつ持っていないんだから」 「ぼくはあの人のものです。あの人が望むなら、なんでもします」 「そう思うなら、弱気になんてならないことね。自分の価値をきちんと認識して利用しなさい。……一番大事なことはね、あいつが望んでいるのはあなたの力でも立場でもなく、あなた自身だっていうことよ」 ふっと表情を緩めて付け加えられた一言に目頭が熱くなる。 「ミディアさんはやっぱり“優しいお姉さん”です」 ありがとう、と返された笑顔はいつもの“優しい姉”としてのそれで、指は柔らかく僕の頭を撫でた。 元は王宮騎士団の腕を披露するための御前試合だった武術の大会は、宗主であるアカネイア王家を失った今となっては、単なるお祭り騒ぎとなっていた。 それでも戦争を経て数年ぶりに開催される馴染み深い行事は、新たな盟主マルス英雄王と共に民衆に受け入れられていた。 剣技、馬上槍、弓で他の追随を許さないほどの圧倒的な勝利を収めたぼくたちは、闘技場裏の通路でお互いの健闘を讃えあっていた。 「なかなか上出来だったんじゃないか?」 「我らが団長殿も文句のつけようが無いでしょう。これだけ自由騎士団の力を誇示できたんだから」 「そうですか……?」 いきなり勢いよく背中を叩かれる。 「今日の主役が何を言っている?」 「そうよ。『先の大戦で英雄王の側近だった若き弓騎士が、今や自由騎士団に』っていうのがお披露目の目玉だったんだから。この国の新しい未来を象徴するものとして、吟遊詩人に歌の一つも作ってもらわないと……」 「歌ですか……どうせ最後は『そしてそれらを束ねるは、見目麗しき騎士団長』なんでしょう?」 晴れやかな笑い声が通路に響き、上手いことを言う、と小突かれる。そのとき桟敷席から賓客が退出し始めたようで、通路には人の列ができた。あわてて端に避け礼の姿勢をとり目を伏せる。 喧しいことだな、と苦々しげに呟きながら通り過ぎる人物がいた。その装束に刺繍された紋章は…… 「だめよ! ゴードン!」 耳元で発されたはずのミディアさんの声が遠くに聞こえた。両手を広げ、その老人の進路を遮る。 「なんだ、お前は」 メニディの子飼いです、と傍らの男が耳打ちする声が聞こえる。その背格好と歪んだ口元には覚えがあった。あの夜の若者に違いない。 「おい、そこを退け!」 鋭い眼光が注がれるが、そんなもので打ち消されるほど胸の内の怒りは小さいものではなかった。こいつが、罪も無い者を殺め、多くの仲間の命を危険に晒し、あの人を亡き者にしようとした──。 「これは候、失礼致しました」 その時、聞きなれたよく通る張りのある声が響く。そして典礼用の黒い長衣に身を包んだ声の主は、優美な身のこなしでぼくと老人の間に立った。 「何せこれはこちらに参ったばかりでして。闇夜に一度見た紋章は記憶していても、それがどのようなお立場の方の物かは存じておりませんので……」 「犬の躾はきちんとしておくことだな」 後ろ暗いことがあるだろうに表向きは態度を変えず、老人は吐き捨てるように言う。それを穏やかな笑顔の師匠が軽くいなす。 「誠に相済みませんが……これは不肖の弟子ながら生国では貴族の出自でして、先の戦争においても武勲の誉れ高い騎士であり、彼の英雄王からの直々の賜り物なのです」 「それがどうした?」 「──無礼討ちがまかり通る手合いではない、ということです。どうぞお忘れなきよう」 冷たい表情で放った凄みのある語調に相手が一瞬怯んだのを見てとると、師匠は満足げに元の非の打ち所のない笑顔に戻る。 「ふん! 相変わらず口の達者な若造だな」 憎々しげな視線で師匠を一瞥して、老人はその場を後にした。 と、無言のままの師匠に強い力で腕を掴まれ、少し離れた控えの間まで連れ出された。彼のために用意されていた部屋のようで、他に人はいない。扉を閉め師匠が大きく息を吐くのを見て、自分ばかりか師匠にとっても危険なことをしてしまったのだったとようやく悟り、背筋が冷える。 「……ご迷惑をお掛けしました」 「あちらさんはお前の身上など知らんからな。斬られてからでは遅い。まあでも、これで少しは大人しくなるだろう」 「すみません……ぼく……」 自惚れていた。この人を護れると。とんでもない過信だった。それどころか、ぼくはこの人の近くにいてはいけないのかもしれない。役に立たないばかりか、足を引っ張ってしまったんだ。 叱責を覚悟して俯いていると、予想に反して温かな手が頬を包む。 「もう二度と一人で飛び出したりしないと約束しろ。お前は俺の肌守りなんだからな」 傍にいてくれ、と呟いた声が少し震えているように感じて顔を見上げた。ぼくを見下ろすその表情は、今まで見たこともないほど心細げで不安そうだった。 「約束します。あなたを一人にはしません。ずっとあなたの傍にいます」 そう言ってしまってから、気づく。この人はそこまで深い意味で言っていないのではないかと。 「あの……もし、あなたがよろしければ、ですけど……」 頬が熱くなるのを感じながら歯切れ悪く呟いていると、師匠はいつものように笑顔を浮かべ、そしてぼくを抱きしめて言った。 「ああ、約束だ」
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