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小ネタTOPにもどる ■役目 「なんだ、荷物はこれだけ?」 荷造りを終え部屋で休んでいると、開け放したままの扉越しに、話し掛けられた。こんな場所に気安く来てはいけない方に。 「弟に譲りました。元々私物は多くなかったので、細々した物ばかりでしたが」 もう遅いかもしれないけれど、少しでもお目付け役の耳に入る可能性を下げようと、扉を閉めつつ答える。ぼくが勧めた椅子に腰を下ろし、あまり年の変わらない若い主は言葉をつなぐ。 「お小言は無しにしてくれよ。──明日の謁見で出立の挨拶に来るんだろう? その前に話をしておきたかったんだ。所領も正式に弟に譲ったって?」 「国外にいる名ばかりの領主なんて領民は嫌がりますからね」 「今回の報奨も辞退を願い出たそうじゃないか」 怒るというよりも、どこか淋しげな主を宥めるように、ぼくは答える。 「王子には御恩が厚すぎて、これ以上何かお受けする訳にはまいりません」 「たいしたことはしていない。ようやくこれから皆に報いていけると思ったのに……」 ああ、そうか。拗ねておいでなんだ。 「この身を助けていただきました。あの折には、敵兵の格好をしていたのに、よく気付いて下さいました」 一瞬きょとんとして、主は言う。 「だってきみ縛られてたでしょ。そんな敵、おかしいじゃない」 「まだ新兵だった私の顔を見知って頂けて……」 「そりゃあ騎士団の中でも一番小さくて目立ってたから」 「……」 「弓の腕も始めはひどいものだったしねえ」 「……本当にご迷惑を……」 優しげな面立ちに似合わず、畳み掛けるように口舌る内容は辛辣で、内心の不満を発憤しているようだったが、ひとしきり言うと気が済んだように息をつき、笑顔になった。 「ぼくの剣の腕も、あの頃はひどいものだった。きみはあの逃避行のなか、ぼくの手でただ一つ救えた命だったんだ。今まで仕えてくれて、ありがとう……かしこまった口上じゃなくて、ちゃんと気持ちを伝えておきたかったんだ」 「王子……」 「誰もが好きな人と一緒に生きていける、望む道を歩いていける、そんな世界になればいいね。そう思うから、ぼくは君を引き止められない」 「……はい」 歳も近いこの方に、親愛よりも畏敬の念を感じるのは、こんなところだ。どんなときも優しさを失わず理想を語る心の強さと真っ直ぐさ。 「向こうに行ってからが、きみの本当の始まりなんだ。がんばって、あの人を支えてね」 「王子も、どうかお元気で」 胸の奥が痛んだ。大切な方。きっと、ずっと。 でもその手は、ぼくだけのものじゃない。皆があなたを必要としているんです。 そして、ぼくの手をいちばん必要としているのも、あなたではない。 ぼくの目は少し潤んでいたのかもしれない。立ち上がった主は戸口に向かいながら声の調子を変えた。 「──そうそう、きみの一番重要な役目は、弟が継いでくれるそうだよ」 「はい?」 「厨房の料理人からこっそりお菓子をもらってくる技量は、きみより上かもしれないな」 真面目ぶった口調でそう言うと振り返り、口の端を上げ片目を瞑って見せた。 「ああ……それは、安心してここを発てますね」 笑顔をつくり、そう言うと、主は満足そうに頷いて去って行った。
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