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小ネタTOPにもどる ■しるべの星
「伊達に野育ちじゃありませんからね」 月はとうに沈み暗い夜だったが、初めて通るはずの山道を弟子はすいすいと進む。俺も夜目は利く方だが、こんな芸当はできない。聞けば、木の種類や高さから、足元の土や岩の質や根の張り出し方もなんとなく分かるのだと言う。数歩先を行く弟子の後を追いながら感心して呟いた。 「ちょっとした特技だな」 「狩人の方々には敵わないと思いますけど」 「向き不向きだな。あちらの御仁は行軍や大人数での戦いの戦略は専門外だろうし……初対面の相手に警戒されず情報を聞き出すのも得意ではなさそうだ」 斥候の役目は、敵軍の状況や周囲の土地の情報を把握すること。ただし、そこに自軍を進めるという前提で観察しなければいけない。自分が行って様子を伺って帰るだけでは、何の意味も成さない仕事だ。 敵軍と直接ぶつかることになるであろう戦場から遠いこの地では、往路は旅人を装って街道沿いを行き、明るいうちに村々で話を聞いた。日が暮れるのを待って出立した復路には、敢えて暗い山道を選んだ。もとより敵方には気付かれていないようで、追っ手の気配もない。自軍の宿営地も近付き、気心の知れた弟子との軽口を叩き合う道行きがもうすぐ終わってしまうのは残念にすら思えた。 「あなたが一緒で助かりますよ。ぼく一人では迷子の子どもと思われますから」 実際、先ほど訪れた村では俺の従者のように思われていたようだった。まあ、この童顔で解放軍の王子の使者と打ち明けられても、俄かには信じられないだろうが。 「村長の娘さんに、何か言われてませんでしたか?」 「いいや、別に」 「そうですか? きれいなお嬢さんでしたね」 何やら会話の雲行きが怪しくなってきたので、それとなく話題を逸らす。 「お前こそ小さな子どもやお年寄りに旅の話をせがまれて、大人気だったじゃないか。菓子や果物を山ほどもらっていたろう?」 「……それがぼくに向いている役割、ですか?」 「場の雰囲気が柔らかくなるからな。子ども受けが良いというのは貴重な人材だ。助かるよ」 「この顔がお役に立って何よりです」 暗がりで表情はよく見えないが、微かに含み笑いが聞こえるから、特に腹を立てているようでもなさそうだ。 「せっかくですから、あなたのご尊顔も利用しないと。放浪の騎士ではなく、口のきけない病にかかり巡礼の旅に出た貴婦人とその従者という設定はいかがですか? 姫君からご衣裳をお借りして……あなたならきっと似合いますよ」 含み笑いは、この反撃を思いついてのことか。まったくいらないところばかり俺の真似をするようになったものだ。 「そういうことならお前が娘の格好をすればいい。その背格好と声なら女でも通るさ。駆け落ちした若い恋人同士というのはどうだ?」 「親切で暇な田舎の村だと、そのまま教会に連れて行かれて、村あげてのお祝い騒ぎになっちゃいますよ」 「それはちょうどいい。神の御前でお前への愛を誓わせてもらうさ」 その時、ちょうど森が終わり、弟子が足を止める。木々の暗がりを抜けると、東の空はすでに薄明の色で星は白く乾いて数も減っていた。丘の向こうの宿営地では、気の早いものが朝餉の準備にとりかかっているのか、幾筋かの煙がたちのぼっている。こちらに背を向けたまま、弟子が言う。 「神様を侮辱するのは罪ですよ」 「気に障ったか? すまなかったな」 歩み寄り、腕を引いて振り返らせる。拗ねているか怒っているのだろうと思ったら、意外にも悲しそうな顔だった。 「ぼくは、あなたが好きですけど、愛や恋なんて言葉であなたを縛るつもりはありません。必要として頂けるだけで満足なんです。でも、だからこそ……冗談で簡単にそんなことを言ってほしくありません」 「神に誓ってもいいというのは冗談ばかりではないぞ。それとも、俺の寵は不要ということか?」 「あなたは勘違いなさっている。あなたが必要としているのは、ぼくのこの手です。心ではないはずです」 突き放された気がした。そしてそれを淋しく思う自分がいた。 気が付くと、その細い体を強く抱き締めていた。腕の中に収まった弟子は言葉を続ける。 「ぼくは、あなたのものですよ。心も体も、ぜんぶ。この戦いが終わったら国の騎士団を退いて、ずっとあなたのお傍にいるつもりです。だからどうか間違わないで。あなたには、進むべき道があるはずです」 仮に俺がお前にまったく恋着していないとして、それなら、この痛みは何だというんだ? 勝手な理屈をそれ以上聞いていられなくて、乱暴に唇を塞いだ。初めて受ける手荒い口づけに驚き、怯えもしただろうが、弟子は自分の吐いた言葉通りにされるがままになっている。貪るように舌を絡め、時に強く吸い、口腔をくまなく愛撫していると、切なげな喘ぎが漏れ、腕に重みがかかる。支えがないと立っていられないようだ。やがて長い口づけから解放されると、口元の雫を拭うこともせず潤んだ目でこちらを見上げて震える声で言った。 「……どうぞ、この身はご随意に」 その様子を健気とも哀れとも愛おしいとも思ったが、こいつの言うことが理解できないという戸惑いは、俺の中で静かな怒りに変わっていた。望みのまま壊れるほどに抱いてしまいたいという衝動を抑え、正面から目を合わせて問い質す。 「お前は俺を好きだと、その身を捧げるとも言った。なのに俺がお前に心を向けるのはいけないと、それは間違いだと、そう言うんだな?」 弟子が目を伏せると、睫毛の先からぽろぽろと涙がこぼれた。今はこれ以上何を言っても無駄なようだ。身を離し、務めを遂行するほかなかった。 「先に天幕に戻って休んでいろ。その顔では王子にも家老殿にも目通りできまい。報告は俺が一人でする」 すみません、とぽつりと呟き、外套を目深に被った弟子を伴い見張りに徽章を見せ、宿営地に入ってから左右に別れた。 本陣の前に立つ護衛に斥候任務からの帰還を告げ、家老殿への取次ぎを願い出て、天幕の外でしばし待つ。 ため息をつき、所在なく見上げた朝ぼらけの空に、星はもう見えなかった。 意識するより前に体が動く。 自分がどうするべきか知っているから。 あの人が、次に何をしようとしているのか分かるから。 戦場の腥く煤けた風のなか振り返ると、あの人はやっぱり、思った通りの位置にいる。 ぼくは、ただそれだけを確かめ、次の一矢のために精神を集中する。 呼吸を整え、弓を構え、矢を番え、迫る敵との間合いを計った。 「来るぞ!」 「はい!」 数日ぶりに言葉を交わした。 その一言で胸の内が充たされる。 息を止め、弓を引き絞り、狙いを定め、矢を放った。 早朝からの戦闘は、昼過ぎには決着がついた。負傷した者の治療や命を落とした者の弔いも済み、各自が疲労と昂揚を抱えたまま、思い思いに夕餉までの時を過ごしていた。 「何をしている?」 宿営地の外れの人気のない草むらに寝転がり空を仰いでいる弟子に声を掛ける。 「あそこに……月がありますよね」 真昼よりは翳りがあるが夕刻というにはまだ早い、緩い青の中に白い月が細く浮かぶ。 「ああ……見える」 「その下に……星が見えますか?」 「星?」 弟子の横に座り、指さす方向に視線を添わせる。確かに指さす先には小さな白い点が見える。 「確かに何か見えるが……雲か鳥じゃないのか? 昼間だぞ」 「夕星は明るいから、このぐらいの時間でもけっこう見えるんですよ」 「ふうん」 つい、とまた違う方向を指し示す。 「あそこにも、あるんです」 目を凝らすが、空の青以外は何も見えない。 「お前は目が良いな」 「ぼくも目に見えてはいませんよ。知っているだけです。あそこにあるって」 「ああ……しるべの星か」 夜空でいつも同じ場に留まっている星だ。確かにあの星なら昼間でも沈むことなくそこに在るのだろう。 「ぼくはね、あの星みたいになりたかったんです。当たり前に変わらずそこに在って、必要とされて、でも普段は忘れられちゃうぐらいには遠いものに」 「星は泣かないし、師匠に対して生意気な口も叩かない」 「例え話ですよ」 「分かっている」 意地悪したくなっただけだ、そう言って弟子の頭に手を伸ばす。前髪を梳き、覗いた白い額に身を屈め口づけた。 「この間は悪かったな。だがお前にも問題があるぞ。極端な結論だけ伝えないで、何を考えているのかを俺にも分かるように話せ」 と、弟子は顔を真っ赤にして、目を逸らす。ああ、あの時のことを思い出したのか。初心な反応を可愛いと思ったが、そこを突くのも可哀想なので、そ知らぬ振りで頭を撫でながら次の言葉を待つ。 「ぼくがあなたを好きになったのは、あなたの心には特別なものがあると……護るべき大切な人がいると知ったからです」 「それはお前も同じだろう? 主家を敬い護るのが騎士の務めだ」 「……」 何か言いかけて口ごもる。頭を撫でていた手を滑らせ頬に添え、こちらを向かせる。 「思っていることを話せ。ちゃんと聞くから」 目を合わせているのが辛いのか、ぐ、と手のひらに奥歯を食いしばる感覚が伝わる。 「ぼくは……見返りを求めるつもりなんかありませんでした。ただ、あなたを師として尊敬しているから、力になりたいと思って……なのに、気付くと望んでいるんです。あなたの心を」 そんなことに罪悪感を覚えて、俺を拒んだというのか。なのに体だけは許すとも言っていた。子どもじみた価値観の不均衡さに驚くというよりも、呆れて言葉が出てこなかった。 「あなたがぼくに引け目を感じることなんかないのに、それを利用するぼくは狡くて汚い……」 黙りこんだままのこちらの反応をどう受け取ったのか、弟子はぎゅっと目をきつく閉じて、ぽろぽろと涙を流した。きっと余計なことを言って俺に嫌われたと思い込んだのだろう。 名を呼ぶと、ぴくりと肩が動く。 「誓って言うが、俺は献身の埋め合わせに慰撫しようと思ったことはない。ただの一度もな。俺がお前に触れるのは、お前を欲しいと思うからだ。お前が自分を狡いと言うなら、お前の好意に甘える俺はもっと卑怯だ」 内心は複雑だったが、できるだけ優しい声色を使った。ここで怯えさせたら、もう二度とこの手に戻らないように思ったから。こいつを失うことを考えれば、つまらない見栄を張ってはいられなかった。 頭を撫で、瞼に口づけ、涙を舐めとり、繰り返し名を呼んだ。 「俺にはお前が必要だ。ずっと傍にいてくれ」 ゆっくりと開かれた瞳に俺はどう映ったのか。 瞠られた目に涙が溢れた。ホッとしたような、でも堪らなく嬉しそうな、ぐしゃぐしゃの泣き笑いだった。 「星なんかになられては困る。こうして触れることもできないんだからな」 そう言って瞼や額に繰り返し唇をおとしながら、この涙混じりの笑顔を忘れまいと思った。 想いを交わした証として、この先きっと幾度も思い返すのだろう。 その小さな手が指し示した、見えないしるべの星と共に。
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