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小ネタTOPにもどる ■弟 「あれ……弟は、いない?」 第七小隊の新兵たちが集う大型の天幕を、先輩格の弓騎士が覗き込む。 飛行部隊を中心とした斥候隊が往還して行軍の計画が練られるまでの二日間だけの休憩日だった。割り当てられた天幕で寛いでいるだろうという当てが外れ、がっかりしている先輩に弟の同僚が説明する。 「あー……ついさっき団長に使い走りの用事を仰せ付かったみたいで……」 「そうか……顔を見に寄っただけで別に用がある訳じゃないから、いいや。じゃあ、みんなもがんばってね」 兄が去るのを見計らって、少年はこっそりと物陰から出てくる。 「……おーい……いつまでこんなこと続けるんだよ。喧嘩でもしたのか? 優しくていい兄ちゃんじゃないか」 「喧嘩じゃないけど……顔を合わせ辛いんだ」 「何かあったのか? 私たちで良ければ相談に乗るよ」 新兵の中でも際立って幼く見える少年は皆の弟分のような存在で、何かにつけ構われていた。──つまりは退屈しのぎにもって来いだったのだが。 「……絶対に内緒だよ……」 語り出す少年に、うんうんと周囲は鼻息も荒く目を輝かせて頷く。その様子を見て、思わず口を閉ざす。 「……やっぱり、やめておく」 けちだの勿体つけだの罵声と物が飛んでくる天幕から、少年は素早く逃げ出した。と、たまたま通り掛かった人にぶつかってしまった。慌てて謝罪の言葉を口にしつつ見上げると……兄が師と仰ぐ弓騎士その人がいた。 先日、偶然目にしてしまった光景──この人と兄が抱き合い寄り添っているように見えた──が甦り、顔を真っ赤にして謝る。青年は愉しそうに笑いをこらえながら言う。 「そういうところ、兄さんにそっくりだな。ところで、最近避けられてるみたいだって、あいつ落ち込んでるぞ」 「……ちょっとお時間を頂いてよろしいですか? お伺いしたいことが……」 「いいよ、場所を移そうか」 人気のない宿営地の外れまで来ると、少年は怖ず怖ずと尋ねた。 「……あの……兄とはどういう……」 聞いてどうなることでもないが、確かめておきたかった。自分の邪推を払ってもらえることを期待していたのかもしれない。ふと、返答次第では余計に気まずくなってしまう可能性もあることに思い至り、俯いたまま黙り込む。 「体の関係なら、ないよ。少なくとも今の所はね」 別段気分を害した様子もなく、さらりと冗談めかした答えが返ってくる。 「この前のは、ちょっと落ち込む事があったんで俺が君の兄さんにくっついてただけ。……何?」 「いいえ……なんだか想像していたのと雰囲気が違って……」 「あいつにもよく言われるよ。『見かけ倒し』だの『いい歳して甘えん坊』ってね」 整った顔に優しげな笑みが浮かぶ。 そういえば『大陸一の弓使い』とこんな風に直接話すのは初めてかも知れない。歴史ある大国の騎士で出自は名門貴族、加えて金髪碧眼の美丈夫とくれば、今年初陣を果たしたばかりの自分には遠い存在だった。しかも兄からは彼への尽きない称賛を何度となく聞かされていたのだから。 「兄は……あなたの事がとても好きですよ……」 親しげな雰囲気に、ついうっかり口にしてから、しまったと思う。どういう意味に取られたとしても、自分がわざわざ言うことじゃない。だが兄の師はにこやかに微笑んで言う。 「うん、知ってる。俺もあいつが好きだよ」 少年は益々混乱する。その様子を見て青年は少し考え、そうだな例えば……と話を繋ぐ。 「……君の兄貴は、俺の弓の腕をやたらと褒めるんだ。でも俺は、あいつの弓の方が好きだ。自然で真っ直ぐで力強い……自分の技量の足りなさを知っているからこその懸命さも含めてね。君はどちらかというと俺と近い性質みたいだけど……どうかな? 兄さんの弓の不安定な所をどう思う?」 少年にも弓の話なら理解できた。ひとつ頷いて答える。 「ぼくも兄さんの弓が好きです。技巧のみに頼ることなく射ている所が。確かに不安定でゆらぐ面もありますけど、逆に予想を上回る素晴らしい一撃に出会えた時には感動します!」 青年は嬉しそうに微笑みながら、少年の頬に手を添え目を合わせる。 「俺もそう思うよ。そしてそれが君の兄さんを傍に置きたいと思う理由かな。誠実で温かで、折にふれて自分には思いもつかない物の見方を教えてもらえるんだ。……判ってもらえるかな? 俺は君の兄さんが、とても大切で、とても好きだよ」 その瞳の落ち着いた光。ゆっくりと心に言葉が降りてきて、さっきまでの戸惑いが消えた。この人は兄を理解してくれているんだと、その温かな人柄や芯の強さを好いてくれているんだと判ったら、不思議と安心感がわいた。 途端に形ばかりの関係を勘繰っていた自分が恥ずかしくなる。謝罪を述べるべく口を開こうとしたそのとき── 「……何を話しているんですか?」 いつになく冷たい口調の兄が少年の頬にあった青年の手をとり、間に割って入った。少年には背を向けているので表情は見えないが、張り詰めた気配は十二分に伝わってくる。 「……そういえば弟は、ぼくが貴方と初めて会った時と同い年くらいですね……」 斜め後ろからちらりと見える口元は笑っているが、声には凄みが漂っている。ようやく少年にも兄の怒りの理由が飲み込めた。 「誤解がないか? 別に俺には少年愛好の趣味はないんだが。いま弟君と弓の話をしていたんだよ」 「親しげに頬に手をやって? 好きだの何だのと聞こえた気がしましたが?」 やれやれといった様子で肩越しに少年に目配せを送ると、青年は正面から仏頂面の弟子を抱きすくめた。 「え? ……ちょっと……」 突然のことに反応しきれないでいる弟子の耳元で呟く。 「俺は君の兄さんがとても好きだって告白してたとこ」 「すぐそうやって冗談でごまかそうとする! しかもまた弟の前でこんなこと……」 反応を気にして慌てて振り返る兄に、弟は笑顔で言う。 「自分の気持ちに素直になってよ、兄さん。ぼくに気を遣ったりしないでいいから。あの……どうか兄をよろしくお願いします」 呆気にとられる兄を尻目に師匠に向かいぺこりとお辞儀をすると、少年は自分の天幕の方へ駆けて行った。 「……少なくとも弟君には公認になったようだな」 「二人でいる間に何を話してたんですか?」 「弓の話」 「それでなんでこんな展開に……?」 上機嫌で天幕に戻った少年から「詳しいことは話せないけど」と前置きした上で、兄との行き違いが解決された事を聞かされた仲間たちは、深く詮索することもせず我が事のように喜んでくれた。 彼を弟分のように位置付けているせいもあるが、ささやかな「よいこと」は、戦場でささくれがちな心に嬉しい恵みとなる。皆が少年を思いやったり面倒を見たりすることで、闘いの中で自分が行っていることの埋め合わせをしていた。まだ戦に馴れていない新兵たちにとって、弓兵でもあり守ってやらなければならない少年は、心の均衡を保つ上でも重要な存在だったのだ。
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