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小ネタTOPにもどる ■砂の原の夕星 弓騎士の青年が本隊に帰還すると、攻略した砦のまわりには、野営の陣が敷かれていた。漠とした砂の原のただ中だが、水場が近く僅かながら店もあり、常より活気がある。遠く四方を見渡せる地形が、敵の急襲がない事を保証しているせいもあるだろう。 遠くから彼の姿を見つけていたらしく少年が駆け寄ってきた。実際はそろそろ青年と言っても差し支えない年齢のはずだが、その人懐っこい笑顔と童顔のせいで、実際より幼く見えている。新兵と言っても通るだろう。 「お帰りなさい。本陣に帰還報告はされましたか? ぼくが行ってきましょうか?」 「いや、途中で家老殿と行き会ったから大丈夫だろう」 少年はちらりと顔色を伺う。 「交渉は決裂ですか」 「……せめてあの名剣だけでも土産にできれば良かったんだがな」 「ご冗談を。もしあの人の手に剣が残っていたら、話をするどころか、生きては帰れないところでしたよ」 失礼な奴だ、と眉をしかめて頭を小突きながらも、自分を師と慕ってくれる少年と和やかに話すうちに心が少しずつ軽くなるのを感じていた。今は敵となった母国軍に残る旧友の説得に失敗し、少なからず沈んだ気分だったのだ。 頑固な気質をした友は、文字通り自国に弓を引く立場となった自分の話を頭から聞こうともしなかった。今日のところは向こうが敗走撤退中だったため交戦することはなかったが、次に対峙するのは戦場になると分かっている。味方に引き入れるのが困難であることは覚悟の上だが、かつて背中を預けた友と戦う可能性を思うと胸が塞がれる。 少し歩いたところで、ここです、と促される。少年が手配したのであろう二人用の小型の天幕は段取り良く本陣に近い位置に調えられていた。同じ兵種ということもあり、師弟の関係を結ぶ前から何かと行動を同じくすることが多かったふたりだが、今回はさらに敵軍からの帰順兵としての立場が配慮されたようだ。 将である王子の信頼も厚い騎士と共に使うようにと本陣に近い位置に設けられた天幕は、これからの軍における彼の立場を周囲に分かりやすく示していた。 かなりの距離を歩き疲労してはいるものの、乾燥した土地柄のせいか肌はさらりとしていた。湯をつかうのは後でも良いと判断し、運び込まれていた自分の荷袋から洗いたての清潔な服を引っ張り出す。武具を外し、砂埃にまみれた服を脱ぎつつ弟子に話しかける。 「……そういえば弟君には悪い事をしたな。俺が来るまでは兄弟水入らずだったんだろう?」 「いいえ、弟は元々新兵仲間たちと同じ天幕で寝泊まりしてました。ぼく一人で二人用の広さのを使っていたんで申し訳なく思ってたところです」 古参組の特権なんですけどね、と片目をつむる。その仕草が妙に可愛らしく見えてつい噴き出す。子ども扱いされたことに憤慨した少年が詰め寄ってきたので、そのまま手をとり引き寄せた。いきおい長身の青年の胸に身を預けたような体勢になったが、少年は抵抗もせず、間近にある彼の顔を見上げる。 いつもの過剰反応を想定してちょっかいを出したので肩透かしをくらった感があるが、冷たさを増す日没後の空気のなか素肌に触れる温もりは心地良く、そのまま少年の背に軽く手を回す。 「……あの人を説き伏せられなかったのが、そんなに残念ですか?」 「ああ、すごく落ち込んでる。優しく慰めてほしいな」 軽口を叩く青年をじっと見つめてから、少年は微笑んで言った。 「……無理ですね。ぼくでは力不足です」 「そんな事はない」 「いいえ、無理ですって」 「十分に慰めてもらっている……こうして傍にいてくれるだけで」 「嘘つき」 腕の中の少年は少し淋し気な顔をしている。 「あなたが自分から触れてくるのは、他人に触れられたくない時です。おしゃべりになるのは、心に立ち入られたくない時です。ぼくにだってそのぐらいは分かりますよ」 図星をさされ罰が悪いが、今ばかりは彼もその手を離すつもりはなかった。慰めが欲しい気分なのは本当だ。 「こんな風に俺が甘えるのは、お前にだけだって事は分からないのか?」 「あなたこそ、ぼくがやきもちを妬いてるってことに気付かないじゃないですか」 「え……?」 「こんな時に不謹慎ですけどね。でもあんな辛そうな顔で帰って来られるぐらいなら、あの人と同じ側に留まっていた方があなたには良かったんじゃないかと、つい考えてしまう…」 真面目で正義感の強い少年の意外な言葉に、毒気を抜かれる。 「納得のいかない戦いに身を投じていてもか? それに……お前とは敵のままだな」 「そうなりますね。そうしたらぼくを迎えに来てくれましたか?」 「ん……いや、それは無いだろうな」 呟いてから少年の表情の変化を見てとり、頭をくしゃくしゃと撫でながら笑う。 「お前は自分が正しいと思った道しか歩けないだろう? 民を苦しめる王の下に膝を折ることはない。違うか?」 「それはそうかも知れませんけど……」 「だからこそお前が傍にいてくれるだけで、俺は安心できるんだ。自分は間違ってはいないって事だからな」 「……またそうやって、はぐらかすつもりですね……」 いつもながらの何気ないやりとりだった。お互いが抱いている一番伝えたい言葉、一番深い想いは口にすることなく、すべては宙ぶらりんのままだったが、それがかえって心地良く、二人は身を寄せ合ったままで黙り込む。 その時、外から入室の可否を問い掛ける聞き慣れた声がしたので、少年はそちらも見ずに生返事をした。 入ってくる人の気配にぼんやりと振り返り、弟が驚いて立ちつくしているのと、その目に自分たちがどう写っているのか、この二つが結び付くまで一瞬の間があった。 「……ご……ごめんなさい、兄さん……」 「……待って! 誤解だ!」 我にかえった少年は弾かれたように青年から離れ、逃げ出そうとする弟を必死になって捕まえる。 「そういうのじゃないから! ぜんぜん違うから!」 耳まで真っ赤になって力説する兄の弁に、弟はこくこくと頷いてはいるが、これはかなり無理がある。実際何をしていた訳でもないのだが、この過剰な反応を見てはかえって誤解を生むだろう。せわしない兄弟を横目に先程荷から出した服に手を延ばす。 「何か用があったんじゃないのか?」 服を着込みながら、青年は助け舟を出す。弟はほっとしたように伝言を復唱する。 「あの……王子がお二人をお呼びです。今後の進軍のことで意見を聞きたいと……正式な軍議ではないので改まった服装などは必要ないから速やかにおいで願うとのことです」 「了解した。すぐ行くと伝えてくれ」 形式に則った礼をすると、弟は踵を返し駆け去った。天幕に二人残されると気まずそうに少年は口を開く。 「あれは……誤解してますよね……」 「……んー……もう面倒だから、そういう事にしておかないか?」 「またそんないい加減な……」 「ほらほら、そこで悩むなって」 先刻まで自分の腕の中にいた少年のしどけない様を思い出し、ふと悪戯心がわき、渋面を浮かべる少年の腰に手を回し脇腹をそっと撫で上げる。訓練中に偶然知った、少年の弱点だ。逃れようと身をよじるのを、身長差にものを言わせ抱きすくめる。頬を紅潮させ苦し気に解放を懇願する声と息づかいに艶めいた響きを感じ、つい興が乗り、耳元で囁く。 「なんでも向こうでは俺は『愛弟子に口説かれてあっさり寝返った裏切り者』と噂されているらしいからな……言われ損にならない程度には頂いておかないと……」 と、青年の首筋にひやりとした物が添わされる。涙目の少年が短剣を突き付けていた。内側に専用の鞘を仕込んだ手袋と共に、以前自らが贈った物だ。 「……おふざけが過ぎますよ」 「あー……使ってくれてるんだ」 「必要になったのは今日が初めてですけどね──さあ、早く王子の所に行きましょう」 「はいはい」 二人並んで陣の中央にある王子の天幕に向かう。道すがら青年は顔を寄せ小声で尋ねる。 「……なあ、本当に『誤解』なのか? あいつとのこと妬いてるって言ったよな?」 深く溜息をつきながら少年は呟く。 「出会った頃はこんな人だとは思いませんでしたよ。性格は大雑把だし、いい年して甘えん坊だし、そのくせこっちをいつまでも子ども扱いして……でも」 言葉をいちど区切り、青年を見上げる。 そして声には出さないで、ゆっくりとした唇の動きで想いを伝える。 後から恥ずかしさが追いついたようで、少年は真っ赤になり目を逸らした。照れ隠しか早足で数歩先に進んでから振り返り、口を開く。 「大丈夫ですよ。長年の友だちは、お互いが相手の一部になっているんですから。……だから絶対に分かってくれます。今日はダメでも、次に会う時にはきっと!」 その言葉に、ふわりと心が包まれる。笑顔の後ろには、美しい暮れ方の空と夕星。 主と仰いだ君の行方は知れず、旧友すら敵となり、祖国に弓を引く不忠義者と謗られる身ではあるけれど。 真に忠誠を捧げる主と祖国が望むべき形に戻るために。そして傍らにいる者を守るために。 そのためにこそ己の力はあるのだという確信を、身の内にわいた温かな幸福感と共にかみしめた。
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