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小ネタTOPにもどる ■優しい手 廊下で行き会った弟に笑いかけると笑顔が返された後、あ、という顔になり師匠からの言伝を受けた。 部屋を訪ねると、寝椅子に身を預けたままの師に手招きされる。寝椅子の横まで歩を進め、努めて表情を消して傍らに立ち次の言葉を待っていると、師はすました顔で自分の膝をぽんぽんと叩く。観念して膝の上に座り首に両手を回すと、抱き寄せられ軽く口づけられる。 「……こういうご用向きのときに弟を使うのは、止めていただけませんか?」 「訓練をつけていた新兵に、兄への言伝を頼む──不自然ではないだろう?」 「気持ちの問題ですよ」 拗ねてみせてはいるけど、背に回された手の温かさと、きれいな笑顔に負けそうになる。 「後ろめたさがあるか?」 「あなたは無いんですか?」 「特に無いな。いつも自分の気持ちに正直に、したいようにしているだけだから」 この人らしい全く悪びれない物言いに、苦笑するしかない。 「今はお前とこうしていたい」 そっと優しく抱きしめられ、ドキドキしてしまう。自分の耳が熱くなり、それを見た師の口の端が上がるのが分かった。こんな見え透いた甘言に弄されるから、いいようにからかわれているんだとは思うんだけど、それでもこの人が好きなんだからしょうがない。結局は自ら降参することになる。 「ぼくも、あなたとこうしていたいです」 そう言ってから啄むような軽い口づけを幾度も交わす。 軍隊暮らしの長いこの人には、戦いや訓練の場ではずいぶん荒っぽく扱われているのだけど。口づけるとき、抱きしめるとき、どうしてこんなにそっと触れるのだろう。まるで壊れ物を扱うように、その手は優しい。ぼくがまだ子どもに思えるから、無理をさせたくないのだろうか? でも、それでこの人は物足りなくないのだろうか? 温かな抱擁と柔らかな口づけに、頭の芯がゆっくりと蕩けていく。気付くとぼくはいつも同じ言葉を繰り返している。 「好きです……大好きです……」 口づけの合間に囁くと、嬉しそうに目が細められる。それはこんな時にしか見られない表情。どこか皮肉めいた冷たさのある、いつもの作り笑顔とは違う、穏やかな瞳の色。 この人自身は、感情を言葉で告げることは絶対にしないけれど、それでも伝わるものがある。 ぼくは、あなたを好きでいていいんですね。傍にいていいんですね。 ■柔らかな頬 こいつが自分から求めるまでは、手を出すまいと決めていた。 口づけをねだる表情に、腕の中で震える様に、潤む瞳に、こちらとしてはとうに限界を超えているのだけれど。 こちらがその気になりさえすれば、こいつがどう抗おうと体を重ねるのは簡単なことで、敬愛の念を情欲にすり替え快楽で搦め捕るのは更に容易いことだろう。 敢えてそうしないのは相手の気持ちを尊重しているからで……と思ってはいるが、正直なところ痩せ我慢がいつまで持つか自信はない。 こちらが堪えきれなくなり襲い掛かる前に大人になってもらいたいものだと、溜息混じりに耳朶を食むと、妙に艶っぽい声を出して腕の中で身じろいだ。その感触の甘さに、理性が軋む。 と同時に、心の中で己を戒める鎖が音をたてる。 ずっと心の片隅にある、果たして俺の手元に置くことがこいつのためになるのか、という迷い。 約束された光ある道を閉ざしてまで俺の手元に抱え込むのは、つまらない独占欲と子どもじみた我が儘でしかないと知っている。 それでも俺が手を伸べれば、こいつは全て承知の上で着いて来ることも判っている。それを最善の道と信じて。 堂々巡りだ。どれだけ考えても答えは出ない。 互いを求め合っているからと言って、安易に越えて良い壁ではない。 時が訪れるまでは、まだ引き返せる場所に留まっていた方が、このまま曖昧な関係でいるのが良いのだろう。 「好きです……大好きです……」 口づけの合間、独り言のようにうっとりと囁かれる声に、こいつは自ら望んでこの胸に身を委ねているのだと、安堵する。 寄せられる無上の信頼に、心が満たされる。 それは、体を重ねるよりも深い、繋がりと充足感。 ならば今だけはせめてと、その柔らかな頬を両手で包み、壁のこちら側で赦された、ただ一つのことを繰り返す。 またひとつ、そうっと唇を合わせる。できるだけ優しく、甘やかに。 傍にいてくれ、少しでも長く、と願いながら。
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