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小ネタTOPにもどる ■いたずら 師匠の本宅に数日間滞在することになった。 彼には総領としての重要な務めがあり、ぼくは退屈しのぎの賑やかしだそうだ。 表向きはそう言っているけれど、ぼくに勉強の機会を与えてくれているのは分かる。期待と信頼を嬉しく思いつつも、それなりの緊張をもって臨んでいた。 「いま客間を用意させる」 慣れた様子で外套を使用人に預けながら師匠は言う。 「そんな……ぼくは寝る場所さえあれば構いませんから」 こちらは正面の大扉をくぐった時点で、すっかり萎縮してしまったというのに、一人きり豪華な客間なんかに通されたら落ち着かない。 その様子を哀れに思ったのか、面白いのでもっと間近で観察したいと思ったのかは分からないけど、師匠はすぐに代案を提示してくれた。 「俺の部屋に、使っていない次の間がある。本来は使用人の控えの間なので少し狭いかもしれないが……それならどうだ?」 師匠の部屋に通され、さらに奥に続く扉の向こうを覗き込む。師匠の居室に比べればやや劣るものの、狭苦しさは感じられず調度も設えられていて、使用人の控えの間には見えなかった。 「寝るときにはこっちに来ればいい」 「またそんなことを……十分広いですよ、この部屋。すごいや。水の配管まで通してあるんですね。……あれ? 鍵は扉の外側だけなんですか? しかもずいぶん物々しいですね……」 怪談でも語るように、低い声で師匠が言う。 「館の女主人用に作られた部屋でな。手先が器用で、針仕事や髪を結い上げるのが特別上手い小間使いを……自分だけのために隔離しておく部屋なんだ。技術が漏れないように外出は制限されるし、主人の部屋を通らなければ廊下にすら出られない間取りになっている」 「はあ……大貴族も……それに仕える方も大変なんですねぇ」 「他人事か? 自分が閉じ込められるとは思わないのか?」 「あなたが? ぼくを独り占めするために? ──まさか!」 「……お前、少しは危機感を持てよ」 いつになく真面目な表情で、窘めるように続ける。その声音に不穏なものを感じたぼくは言った。 「──あ! 子どもじゃないんだから、いたずらで閉じ込めたりしないで下さいね!」 機先を制したつもりだったのに、見当外れだったらしい。師匠は深いため息をついた。 ■たわごととざれごと 続き部屋の扉を軽く叩くと、向こうからすぐに返事があった。 「まだ起きていたか?」 「何かご用ですか?」 「眠れなくてな。少し付き合え」 弟子を連れ自室に戻ると寝台に座るよう促し自分も隣に座る、杯を持たせて小卓に置いてあった陶瓶の酒を注ぐ。 「え……でもぼくは……」 「まあまあ、飲んでみろ」 恐る恐る口をつけると、ぱっと表情が変わった。 「──甘い!」 「だろう? 酒精も弱めだ。アリティアの酒は強いからな。あの火酒は俺でも多くは飲めん。肴は甘くない物の方が合うぞ」 塩味の焼き菓子と乾酪をすすめる。 「意外と食いしん坊さんなんですねえ」 「せめて食通と言え。どうだ感想は?」 「とても美味しいです。そちらは違うお酒ですか?」 「こっちは強いし甘くもないからお前には無理だろうな」 「そんなことないですよ、少しください」 「……調子に乗るなよ」 こちらの酒を一口舐めて顔をしかめ、やっぱりと二人で笑い合っていたと思ったら、弟子はふと調子を落とした声で呟く。 「……いつかお話したいと思ってたことがあるんです」 「ん?」 伏し目がちに溜息をつきながら、いつになく勿体つけた話し方をする。呂律はきちんとしているが、多少酔いが回ってきているようだ。 「あなたと初めてお会いしたときに、きれいだなって思ったんです」 「……それはどうも」 こういうことを言われるのは珍しくもないが、こいつの口から聞くのは可笑しな気分だ。 「そうしたら自分にはまだちゃんと心があるんだって思って、ふっと楽になって……なんだかとても安心できたんです。だから……ありがとうございます」 拙く紡がれた言葉だが、言わんとしていることは通じた。始めのうち声も掛けずにこちらをじっと見ていたと思ったら、そんなことを考えていたのか。 礼には及ばない。特に俺が何かをしてやった訳でもない。ちょうど戦いにも馴れて、気持ちに踏ん切りがついた時期だったのだろう。 こいつが王子に従いタリスに落ち延びたのは、パレスが落城し俺が虜囚になった頃。戦場に赴くのは殺し合いをするためで、覚悟の上で臨むことに年齢は関係無いが、今以上に幼かったこの子どもが負っていた重圧を思うと胸が詰まった。 適当な返事が思い付かず、肩を抱き寄せた。されるがままに俺の胸に顔を埋めた弟子が呟く。 「あなたに会えて、本当に良かった……大好きです」 酒のせいか、胸元にかかる息は熱かった。 その時に至って、ふと気付く。 ほろ酔い加減で目を伏せた弟子、天蓋付きの寝台、絹の敷布、卓に活けられた花の匂いと、甘い酒……。 娘向けの恋愛物語のような状況に苦笑する。 きっとこの雰囲気のせいだ。こいつがいつになく感傷的な気持ちで打ち明け話をしてしまったのも、俺がこいつに優しくしたいなどと考えてしまうのも。 肩口に掛かる髪を梳きながら声を掛ける。 「……自分から殺し文句を吐いたんだから、覚悟はできているんだろうな?」 頬に手を添え上を向かせ、甘い匂いの残る唇に軽く口づけると、驚いたように目を瞠りこちらを見た。 「酒の席の戯れ事だ。恨みっこなしだからな」 やや間をおいて、火を噴いたように弟子の顔が真っ赤になった。それを可愛いと思ってしまう自分も、酔いが回っているのかもしれない。 「ぼくは真面目に話していたんですよ」 恨めしげにこちらを見る目は酒のせいか潤んでいる。 「もっと本気でやれと?」 杯を取り上げ軽く肩を押すと、呆気ないほど簡単に寝台に倒れこんだ。やはり酔いが回っていたようだ。 「俺がどういう人間か知っているのか?」 「本当のあなたを知ったから……好きになったんだと思います」 怯えるふうでもなく、こちらを見上げて答える。うなじから鎖骨に指を滑らせると、小さな声が漏れ、くすぐったそうに身を震わせた。 「『好き』というのは……こういうことをする『好き』か?」 「分かりません……」 「分からない?」 「なにぶんこういった気持ちは初めてなもので……」 いちいち几帳面に答える様子に、つい口許が緩む。 「俺も、何もせずにただ寝たのは、お前が初めてだよ」 しばしの沈黙の後、ふたり同時に笑った。まあ、しばらくはお互いにこのままで良いということだ。無理に先を急ぐこともない。 「──おやすみの挨拶くらいは許してほしいがな」 誘うように目を閉じた弟子とふたたび唇を重ねた。頬を染め名残を惜しむようにこちらを見上げる表情に、これは忍耐が必要だなと思ったのだが。 ■祈り 目覚めると、この人の腕の中にいて。 それは、ひとりで見るどんな夢よりも幸せなこと。 流れる髪も、整った顔立ちも、温かな胸も、間近に感じるすべてが特別で、もったいなくて眠ってなんかいられない。 心の中でそっとつぶやく、これは毎朝の祈り。 ひとつでも多く、あなたに幸いを届けられますように。 あなたは、ぼくのものじゃないかもしれないけど、ぼくは、あなただけのものです。
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