「当たった……!」
これまで練習用に使っていた的に比べれば、距離も、間に障害物もあるとはいえ、自らが放った矢が自らの狙ったところに飛んだという至極当然のことにこれほど感動を覚えられるというのも、俺からすれば羨ましい話だ。
「浮かれるな、次」
俺の声に慌ただしく矢を番え、放つ。その矢が的の横を通り過ぎたのと同時に目の前の頭をはたくと、ぺしん、と存外に音が鳴った。
「一度ばかり成功したところでどうしようもないだろうが」
すみません、と小さく詫びたゴードンは、手袋越しの手の甲で額を擦った。
「一度成功した後ですから、二度目は余計に失敗できないと思うと怖くて」
「ま、実戦では最初が当たれば次はなくていいからな、そう考え込こまんでもいいが」
そもそも実戦でのこれの腕は三割増しだ。が、調子に乗られても面白くないので言って伝えることはしない。これの性格上、ありはしないことだと分かっていても、だ。
「そう、ですね」
「力、抜け」
肩に触れ揺さぶると、礼を述べながら俺の手の上に手を重ねた。
「あの、ジョルジュ、さん」
しばらく黙していたが、ためらいがちに俺の名を呼ぶ。
「時々、同じ時間を繰り返しているような気になること、ありませんか?」
「こんな、いつ終わるともわからん日々を過ごしていればそうも感じようさ」
俺の返答に、ええと、なんていうか……と歯切れの悪い反応を返して、ゴードンはさらに言葉を続けた。
「あなたに初めてお会いした時、初めてなのに初めてじゃないような……」
「あのな、ゴードン。俺は弓の練習になら付き合うが」
言いながら、ため息が漏れた。
「女を口説く時の練習台に使うなよ」
目の前の童顔が見る間に紅潮する。こういうところはいつ見ても面白い。
「こんな手垢のついた言い回し、いくら僕でも使いませんよ」
赤面したのは照れた訳ではなかったか。憮然と返すその顔は、俺の顔を眺めた後に悪戯っぽい笑みに変わった。
「あ、師匠は使うんですか?」
「煩い」
言って小突くと、小さく笑った。俺が腰の物入れから小さな砂糖菓子を取り出し差し出すと、子どもみたいな笑顔で礼を言い、俺がその場に腰を下ろしながらもう一つ取り出して口に入れ、食えばいい、と言えば、同じように腰を下ろした後、いただきます、と言い包みを剥いて口に放り込んだ。
俺自身、砂糖菓子なぞなくてもいいが、これが好むので物入れに幾つか入れてある。
「なあ、ゴードン」
甘味に相好を崩しながら、改まって名を呼ばれたためか気持ち目を丸くしてこちらを見た。
「お前、この前、俺に射たれるとは万に一つも思わなかったのか」
こんなふうに、菓子なんかを食べながら仲間然として今この場にある俺達は、少し前まで立場的には敵同士だった。
『反逆の田舎王子と、率いるごろつき騎士ども』から城を守る任にあたる俺の前に、息を切らして駆けてくるこいつと、その後ろからアリティアの王子、若手騎士達。
祖国の奴らが言う『弟子だか愛人だかわかりゃしない』、『山出し娼婦』にまんまと『骨抜きにされて』、俺がアリティア軍に寝返ったのはつい数日前のことだ。
僅かに乱れた頭髪を手櫛で直しながら、思案の後にゴードンは言った。
「いつも、そうはならなかったから」
「うん?」
「言ったでしょう。あなたに会うのは初めてじゃないような気がした、と」
ああ、手垢のついた口説き文句か、と返すと、ばつが悪そうに口許を歪め、続けた。
「出会う前にもあなたのことを、僕は一方的に知っていた訳だから……」
「憧れていた、って?」
「ええ、ええ……それはもう」
笑いながらも目を閉じ頬を紅潮させ、両手を鼻の前で合わせる姿がまるで初恋を覚えた娘のようだ。時と場所を変えれば……
「だから、そのせいかと思っていたんです。だけど、今、僕と、その……こういう、状態……」
「関係?」
そう、時と場所を変えれば、今のしおらしさが嘘のように……あんな姿と表情を晒すくせに、だ。などと考えながら見ている俺の前のこいつはやはり気恥ずかしげで、そしておずおずと歯切れが悪い。
「……に、なってくれたあなたになら、そう、戯言としてでいい……聞いてもらえるかもしれない」
俺に話しているというより、半ば独話のようだ。言いながら、ぶちぶちと手元の草をむしっている。
「俺とお前は……今生ではないかもしれないいつかの時に、会ったことがある、と?」
「戯言です。馬鹿げていますね」
大仰なため息を返すことにした。聞いてもらえるかもしれない、と言ったそばから打ち切ることはないだろう。だいたいが、俺にだって覚えがない話ではないというのに。
「師匠を馬鹿とは聞き捨てならん」
ふいと上空に目をやった俺の顔を、ゴードンがじっと見ているのが分かる。これも同じように感じていたことには驚きもしたが、また、安堵と高揚を感じもした。
まあ、今日と似たような天気だ、晴れていて見通しがいい日だった。形ばかり弓を構えて城の前に立つ俺の前に、こいつが駆けてくる。
挨拶代わりのつまらぬ軽口を叩く俺に、乱れた息で、一緒に戦ってほしい、などと言う。腹にもないくせに、無理かもしれないけど、などと付け足しながら。
俺の取る行動は決まっていた。問題は……その後だ。
何度も繰り返していると感じるわりに、結末のいずれも思い出せない。ただ、『そこ』に辿り着く前にこれを亡くしたことも、俺が斃れたこともあったような気もする。
互いが互いを残し、また斃れる様を見続けながら、幾度も円環の中を辿っているのだろうか。
「なあ」
はい、との返事を待たずに唇で唇を塞いだ。目を丸くして俺の両肩を押し返してくるゴードンの手から、草の匂いがした。
やはり、そうだ。
これもまた、幾度となく、幾度となく。
これまでに交わしてきた回数以上に、俺はこの感触には覚えがあった。
交わす度に異なるのは……
なんですか、いきなり、などと零している目の前の顔を、口角を舐めて濡らしながら見る。今回は砂糖菓子の味。
まったく甘党め、いつだかは、楓糖。
蜜入りぶどう酒の味。
雨の日の湿った大気……砂埃の味……
血の味。
ああ、それから……俺自身の……
記憶なのか、願望なのか、はては妄想なのかすらわからない。そんな事を考えながら黙って顔を見ていると、ゴードンは一度目を閉じて小さく息を吐いた。
「先刻はせっかく当てることができましたから、もう少し確実なものにしておこうと思います」
そう言って立ち上がり尻の土をはたくと、使い込んだ鋼の弓を手にして的を見据えた。釣られて立ち上がり、軽く伸びをしながら問う。
「一度の成功が次の失敗への恐怖を生む?」
「馬鹿みたいですよね。怖がっている暇があったら手数を増やすべきだ」
と、背の矢筒から矢を抜く手に誘導された視線の先の弟子の首筋に、赤い印がちらとのぞいた。
いずれにせよ、なるほどこれの言うとおりだ。愚かしく怖がっているのは、俺の方なのだろう。
今またこれに深く触れることを許された俺の手は、次も、その次も、やはり触れることができるだろうか。
そしていつか、終焉を迎えるのだろうか。
繰り返し弓を引く、目の前の横顔を見て思う。
今も、この先も、共にあってほしい、と。
そして、さらに強く思う。
これの心なり身体なりを、我執にて縛ることだけはすまい、と。
……ああ、怖いなどと言っていたわりに調子がいいようじゃないか。当てる音が規則的になってきた。引き換え、俺とくればまったく情けないものだ。
離れること、縛ること、亡くすこと、残すこと。
そのいずれにも覚悟が決まらない状態が今だ。
それなら、今を、これまでを、猶予と考えればいい。
この目が先を見据え腹が決まるまで、この円環の中を巡り続けるのもそう悪くはないのかもしれない。
- リセットネタというか、周回プレイネタというか、そういうのです。
あいも変わらずの面倒くさいロマンチストぶりですね。
…師匠が。
【F3さま付記より】